シールズの正体
名前のない寄宿舎に入り込むと、そこはタイル地の床に靴音が冷たく響き渡る玄関ホール。
制服姿の人影が数人見えた。
まるで俺達を待ちわびていたかのうようにずらりと肩を並べている。
中央に陣取るファイリアスが口を開く。
「観客つきで悪いな」
俺とシールズはしんとした空気の中、ファイリアスとその取り巻きと対峙する。
ファイリアスが成績証明書を手に軽く笑った。
「さっさと終わらせようぜ」
そういうと手にしていた成績証明書をぱらりと開いた。
俺もそれにならって手にしていた成績証明書を開く。
互いに科目の得点を読み上げていく。
くやしいけれど、8科目目で、俺の敗北が確定した。
ファイリアスは底意地の悪さがにじみ出るような高笑いをかます。
「勝負はついた。最後まで読み上げる必要もなかったな。ざまあみろ。さぁ、きっちりと約束を果たしてもらおうか?」
俺の心は妙にフラットだった。
なんとなく負けそうな、そんな予感はしていたんだ。
俺は成績証明書をぱたりと閉じると一つ息を吐いた。
シールズの視線が痛い。俺を見つめながら、シールズが口を開いた。
「ウ、ウル……こんなのリリカが吹っ掛けた勝負なんだから、リリカがいないんだったら、そもそも勝負自体がなかったことに……」
俺はさえぎる。
「シールズ。今さらそんな事を言っちゃだめだ。負けを認めよう。ここでジタバタするのは往生際が悪い」
「で、でも……こんな、みんなの前で、土下座だなんて……」
「いいんだ。これは俺が提案した勝負でもある。俺がやるよ。これを持っていてくれ」
俺はそういうとシールズに成績証明書を手渡した。
シールズはおどおどとそれを受け取った。
俺はゆっくりとしゃがむと、床に両方の膝をつく。
両手をそろえて地面につくと、すっと頭を下げた。
途端、それを見てファイリアスの取り巻き達のクスクスと笑う声が耳に入った。俺は頭をタイル地の床すれすれにまで寄せる。
その時、隣でがさがさと音がした。俺がちらりと目をやるとシールズも土下座の体制で頭を下げていた。俺は少し顔を上げてシールズに話す。
「シールズ、なにやってんだよ! 俺だけでいいのに!」
「……そ、そんなわけにはいかないよ、ただ見ているだけなんて僕には無理だ」
なんだかシールズの表情は引きつっていて、どこか笑っているようにも見えた。その時、タイルについていた俺の手に電気のような激痛が走った。
「いっ……!」
俺が目をやると俺の手の上にファイリアスの黒い革靴が乗っかっていた。
ファイリアスの靴は俺の手をタイルに埋め込むかのような勢いで圧をかける。
俺は歯を食いしばって声が出そうになるのをこらえる。
その時、隣から小声で聞こえてくる。
「怒っちゃいけない……怒っちゃいけない……怒っちゃいけない……ダメだ、ダメだ……」
シールズがぶつぶつと呪文のように同じ言葉を繰り返している。
その時、俺達の頭の上からファイリアスの声が降り注ぐ。
「これはリリカがいない分の“おまけ”だ」
ファイリアスはそう言って俺の手をさらに踏みつけてきた。
俺は奥歯をかんでしびれる手をこわばらせた。
「ウル……」
痛みに耐えながら、シールズの声に俺はすっと横を見る。
シールズは口の両の端っこをほほの筋肉でむりやり引っ張り上げているような、はりついた笑顔を見せた。さっきと同じ言葉をまだ何度も口にしていた。
「僕は怒っちゃいけないんだ……怒っちゃいけない……でも……もう、む、無理かも」
その瞬間。
いつも不健康そうに青白いシールズの顔。その色はさらに真っ青に変わる。
それは顔色というものではなく、青い皮膚だった。
吊り上がっていたシールズの口の端っこから白い牙がずるりと伸びる。
おびえたような表情は一変し、ぼこりと眉が盛り上がる。俺が驚いて飛び跳ねるよりも先に、ファイリアスが一気に足を引っ込めて、後ずさった。
取り巻き達の驚きの声がホールに響き渡る。
俺は土下座も忘れて、ぽかんとシールズを見上げる。そこに立ち上がっていたのはすでに俺の知っているシールズではなかった。
制服がはちきれんばかりに膨らみ、青い全身が熱波を放っていた。
額から左右にかすかな角のようなものが伸びている。
「シールズ……お前……巨碧人族……なのか?」
シールズは鋭い眼光を俺に向けると、小さくうなずいた。
「……ぼ、僕は巨碧人族と人間族の混血種……こ、これがオルクス族のもつ臨戦変質……」
声質すらも、野太く変化している。
「……へぇ……そ、それは……すげぇ」
これは、混血種がもつ独特の特徴。
他種族と人間族との混血種の場合、普段は人間族の姿をしていたとしても、何かの拍子にもう片方の種族の特性が発現する者が時々現れるという。
それは大抵、攻撃態勢になったときに出現する。
それが臨戦変質とよばれる変化だ。
なんとなくごつい体の奴だとは思っていたけれど、まさかオルクス族との混血児だったとは。
それにしても、恐ろしく強そう。
ファイリアスと取り巻き達は全員が口をあんぐりと開いて、驚きのあまり動きを止めている。
シールズがつぶやいた。
「や…やく、そく通り、ど、土下座はした……こ、これ以上僕を怒らせると、僕は自分を抑えきれなくなる……」
ファイリアスたちは目を見開いたまま、お互いの顔をちらちらと見合わせる。
ファイリスは、後ずさりながらも、まだ強気を崩さずに続ける。
「オ、オルクス族なんて珍しくはないぞっ、お、俺に手を出したら、どうなるかわかっているのか!」
「……ぐう、グルルゥゥ……」
シールズの牙の生えた口元から漏れたのは、もはや言葉ではなかった。
地底から響いてくるような、低い唸り。その巨体はさらに前傾に、手を床につき四つ足で構える。
まるで魔獣そのもの。獲物を捕らえる殺気に満ち満ちた獣の目。
シールズが、今にも飛びかかりそうに足を踏みしめた、その瞬間。
ホールの入り口から鋭い声が飛んできた。
「お前たち! ここで何をやっている!!」
俺達が一斉に振り返ると、そこには険しい顔で腕組みをししているワルド先生が立っていた。