いじめ
なんだか辛気臭い部屋でじっとしている気分になれない。
それに、一人であの呪具を眺めていると、ついつい手首にはめてしまいそうになる。
俺は気を取り直して、靴を履くとせま苦しい自分の部屋の扉を抜けた。ある人物を探す為。
このマヌル紋章師養成院の敷地内は広大だ。
規則正しく並ぶ生徒用の寄宿舎を始め、教師たちの集まる教師棟、その他にも、養成院図書館や催し物を行うときの為の大講堂、それに教会までもが完備されている。どの建物も古風な煉瓦造り。
この一つの町ほどの大きさの敷地の中、一人の人物を探すことはむつかしそうにおもえるが、実はそうでもない。
貴族と平民。
両者が入り混じるこの養成院。身分や種族で扱いの違いはないというのが建前だが、その実、階級差は様々なところで漏れ出てくる。大抵、いい場所は貴族たちが優先的に使い、そうでない場所に平民が集まる。俺はそこに向かった。
俺が探している人物は、リリカと仲がいい平民出身の少女、スオンだ。
俺の思った通り、スオンは寄宿舎の裏にある木陰のベンチにひっそりと腰かけ、何かの本を眺めていた。
俺が声をかけるとスオンは飛び出しそうなほどに目を見開いた。
「お、お、おどろかさないでよ。ウル君」
「いや、びっくりしすぎだろ。スオンは家族との面会はないの?」
「ええ。今日はないの。昨日お父さんとお母さんには会えたからね。今日は丸一日、ゆっくりしているわ」
スオンはどこか照れくさそうにそう言って本を閉じる。少し横にずれてくれた。
俺は空いた場所にすとんと座る。スオンは子猫のように目をまるくしながら、戸惑いの表情を浮かべる。
「珍しいね、ウル君が声をかけてくれるなんて……わたしに何か用事?」
「ああ、ちょっと。リリカの事を聞きたいんだけど……」
「あぁ……リリカね……あの回廊掲示板の事?」
「そうだ。俺は正直、リリカがカンニングなんてするとは思えないんだよ」
「カンニングっていうか……」
スオンの表情が一気にくもった。膝の上に置いた本をぎゅっと握りうつむいた。そして「わたしから聞いたって言わないでね」と前置きをして続ける。
「リリカ、いろいろと目立つ性格してるから、貴族組の連中に目をつけられてるの」
「貴族組って……ファイリアスとか、その辺の奴らってこと?」
「うん。やっぱり女子にもそういう派閥みたいなのがあってね、表面上は貴族や平民なんて関係ないってことになってるけど……ウル君も、わかるでしょ?」
「まぁな。解放の日の面会場所だって、講堂での面会は全部貴族組が占領してるしな、平民は外で会ってろって感じだよな。でも、それとリリカと何か関係があるのか?」
スオンは言いにくそうに言葉を絞り出す。
「リリカね……多分……いじめにあってる。今回の事も、きっと誰かのいやがらせだと思う」
「いやがらせ!? 誰かにはめられて、不正行為をしたと冤罪をかけられたってのか?」
スオンは返事をせず黙り込んだ。そして、重くうなずいた。
「そんな、馬鹿な……」
リリカが試験中に不正行為なんてするはずがないという俺の直感は間違いではなかった。安堵と同時に、ふつふつと湧き上がる感情。俺の中で様々な感情が衝突し、大きく波打って渦を巻く。スオンは小さく謝った。
「ごめんね……わたしもなんとか助けたいんだけど……リリカから、何も言わないでって、突っぱねられちゃって」
俺は自分のバカさ加減に嫌気がさした。
リリカと同じクラスだってのに、そんなことに全く気がつかなったし、リリカはそんなそぶりを俺とシールズには微塵も見せなかった。
確かにリリカは、ずけずけと容赦なくものを言うし、敵を作りやすい。貴族に対しての対抗意識のようなものをまったく隠さず態度に出してしまう。
それは彼女が過去に、貴族という身分をはく奪されたという経緯からくるものだろうけれど。
しかし、だからといって悪意を持って、貶められる理由なんかになるはずがない。
問題は、どこのどいつがやったかという事だ。俺はスオンの目をじっと見つめた。
「リリカをいじめている連中ってのは、目星がついているのか?」
スオンは陰鬱な横顔で、うつむいたまんまつぶやいた。
「わからない……リリカは何も話さないの、大丈夫だからって」
こんな時に、俺の頭に浮かんだのはなぜかテマラの言葉だった。テマラがあの呪具を俺に渡す時、ふとこぼしたなにげない言葉。
『……こんなにも平凡で退屈で、偽善に満ちた場所にいるとお前の気が狂っちまうかもしれねぇだろ、だから、おもちゃをやろうってんだよ……』
呪い、というのは確かに邪悪なものかもしれない。けれど、それ以上の邪悪というものが存在する。そして、きっとそれは、善の皮をかぶっているのだ。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
評価やブックマーク、感想などありがとうございます。励みになります!
最初の章からずっと改稿作業をしていっているので
新しいお話の更新ぺ-スが遅くなると思います・・・m(__)m