ランカの心 その②
さてさて、今回も、もう少しだけランカ視点が続きます……。
難なく城内に入り込んだ後、おれは酒樽をパーティ会場に運び込むよう商人団の仲間と護衛たちに命じた。
そのうちの一人が不思議そうにたずねてきた。
「え? ランカの兄貴、酒樽は厨房裏にある貯蔵庫に持ち運ぶんじゃないんですかい?」
「いつもは、そうなのだが、今回はミカエル様からの直接の命令だ。会場の隅に並べておくようにとの事だ」
奴らはすこし不思議そうな顔をしたが、それも一瞬。
言葉通りに、各々の肩に酒樽をかついでパーティ会場に向かっていった。
もはや、俺の言葉はミカエルの言葉。
信頼というものは、悲しいほどに表層的なものだ。
剥いでしまえばそこには裏切りしか残らない。
俺は酒樽を運んでいく仲間たちの背中にどこか心が痛んだ。罪の意識というやつなのか。
自嘲気味の笑いがこみ上げた。
「ふふっ……俺にもまだこんな心が残っているとは」
俺は心を断ち切るように、奴らに背を向けた。
酒樽の配置はこれでいい。
あとは、あの”ニセモノ”のリゼを連れ出すだけだ。
よくよく考えれば、あの”ニセモノ”のリゼも不憫な女ではある。
あの女は、ミカエルのお気に入りの娼婦だった。
確かに人を魅了する美しい肢体を持つ娘ではある。
でも、かつてのリゼにはかなわない。
あの時。
リゼの全身がやけどに覆われてしまった時、父親であるミカエルは無残な姿の娘を見て貴族に嫁に出すことができなくなったと嘆いていた。
実の娘の身を案じるわけでもなく、ミカエルは、ただ、ただ、自分の娘を貴族に嫁がせることができなくなったことだけを嘆いていた。
ミカエルにとっては実の娘ですら、自分が貴族になりあがる為の道具でしかなかった。
平然と実の娘を捨て、こともあろうに、自分の囲い込んだ娼婦を自分の娘だと偽り貴族に嫁がせようとしている。
ミカエル・ステインバード。魂を悪魔に売り渡した男。
お前の死にざまをこの目に焼き付け、リゼに伝えてやろう。
あの奇人の館とよばれる娼館で待つ、哀れなリゼに。
その時、ふいに背中の傷がチクリと痛んだ。
しかし、やつにつけられた背中の傷跡などリゼの傷に比べれば大したことは無い。
俺は勝手知ったる城内を進み、中庭を突っ切っていく。
見回りの衛兵たちの動線、木々の配置、噴水の位置、建物や死角もすべて頭に入っている。
俺は腰を落として、陰に身を潜めて、後戻りできない道筋を孤独に突き進んでいく。
ついに、視線の先に見つけたのは幽閉塔。
煙突のように丸くまっすぐにそびえたつ幽閉塔の一番上。
最上階に”ニセモノ”のリゼが閉じ込められているはずだ。
俺は塔に滑り込み、石造りの階段を駆け上がる。
あっという間に、最上階の踊り場。
そこには牢の黒い鉄扉の前に兵士が立っていた。
兵士はこちらに身構え口をひらく。
「なんだ貴様は? こんな時間に」
「突然失礼します。ミカエル様の使いです。リゼ様を部屋にお連れするようにと」
「なに? そんな話はきいておらんが……」
「今お伝えしました。私はステインバード商人団の護衛隊長ランカと申します」
兵士は少し表情をやわらげる。
「ああ、ランカ殿か……お名前は聞いた事はあるが」
兵士は眉をひそめて黙り込むと、ほどなく口を開いた。
しかし、その返事は俺の期待通りではなかった。
「やはりだめだ。マルコ様より、誰がきても出さないようにと命令を受けている」
「そうですか。ならば……」
「ん?」
「聞き分けのない人間に用はない」
「……ランカ殿、今……なんと申されたのかな?」
兵士の顔に陰り。
俺は背中に隠し持っていた槍を音もなく抜き取る。
兵士はあわてた顔で腰の剣に手をかけた、と同時。
俺の右手の槍は、すでに兵士の首を貫いていた。
「……遅すぎる」
「……が……ぎぁ、ぐぱぁ……」
兵士は目をカッと見開きピクピクと痙攣しながら、最後に俺の顔に視線を向けた。
しかし俺と目が合った時にはすでにそいつの目から生命の火は消えていた。
「お前のような奴が重要人物の護衛とは……」
兵士の口元から真っ赤な血が溢れた。
俺はそいつの首から槍をズルリと抜き取ると、後ろに倒れ込んだそいつの頬で槍の先についた血を拭きとった。兵士の両頬に血の筋がついた。
「言う通りにしていれば、死なずに済んだものを」
俺はしゃがみ込んで、兵士の腰にぶら下がっていた牢のカギを抜き取ると、その死体を壁際によせて、首元の傷を隠す。そして、まるで居眠りでもしているかのような格好で寝ころばせる。
素早く、扉の前に戻ると、鍵穴に鍵を突き刺してぐいと回す。
重い音と共に扉が向こうに開いていく。
牢の中には”ニセモノ”のリゼ。奥の壁にもたれて座り込んでいる。
俺は近より女の肩に手をやった。ありったけ優しく声をかけると、女は不安げなまなざしで俺を見上げた。
「ランカ、来てくれたのね。わたしの呪いを解いてくれるの? もしかしてウルさんが来てくれた?」
「とにかくこちらへ」
「わかったわ……」
今の状況を何も知らない女は、震える体で立ち上がった。
この女はいまだに俺の事を味方だと思い込んでいる。
これから俺とこの女は地獄の底へ向かうというのに。
俺は女の肩を後ろから抱いて、兵士の死体が目に入らないように体を盾にしてかわし、幽閉塔の階段をおりていく。長い、長い地獄へと続く階段を。
もうすぐだ、もうすぐ。ほらリゼ、君の望みがかなう。薄汚いバカ女どもがうようよといるあの場所へ。
俺たちは幽閉塔をおりきって、周囲を警戒しつつ中庭を突っ切る。
城内に入り込むと、真っ赤な絨毯が敷かれた廊下を進む。やけに人が少ないが気のせいか。
その時、男の声に呼び止められた。
「ようランカ、奇遇だな。こんなところで会うなんて」
耳を疑った。なぜ、お前がこんなところに。てっきり諦めてすでにこの城下町を去ったと思っていたのに。俺は声の方に振り返る。
そこにはローブを羽織った男の影。
間違いない。この男は。
「……呪いの紋章師、ウル」