魔獣学の教師、ワルド先生
次の日。
「お~い! うしろ! ちゃんとついてきているか!!」
キラキラとした陽がこぼれる森の中。
大きな声がこだまする。
声の主は、魔獣学の教師、ワルド先生だ。
今日は魔獣学の課外授業の日。
俺たちは先生に連れられて養成院裏にある丘に続く道を進んでいた。
生徒の列の先頭にいるワルド先生は後ろを振り返って後方を確認している。
ワルド先生は丸っこくてその体はとても大きい。
上向きに弧を描く細い目は、まるでにやけた猫みたいに見える。
列の中央あたりにいた俺達も、立ち止まり思わず後ろを振りかえった。
後ろにひときわ遅れている集団がいる。
皆、肩で息をしながらゆっくりと連なっている。
俺の隣を歩いていたシールズがはなす。
「いつになったら、お昼休憩になるのかな。今日のお弁当、すごくおいしそうだったよ」
それを聞いていたリリカが反応する。
「シールズ、あなたお弁当の中身をみたの?」
「うん。というか……実は、さっき少し食べちゃったんだよね」
「もう、何をしているのよ……ねぇ、それにしてもウル、大丈夫なの? 顔が青いけど?」
リリカがそういって俺を心配そうに見つめる。俺は何とか笑顔をつくった。
「あぁ……大丈夫」
というのは嘘で、実はかなりしんどい。
俺の持病からくるこの息苦しさ。
さっきから口をすぼめて、できるだけ息を整えて歩こうとしているけれど、そろそろ休憩をしないとやばそうだ。
それに『黄泉がえりの呪法』を受けて生還してから、こういう気怠さはさらにひどくなってきている。
俺の体には、『黄泉がえりの呪法』を受けて以降“呪いの後遺症”とでもいうべき様々な体の変化が起きているのだ。
____俺の特異体質その一、生体機能の低下。
心臓が波打つ数や、呼吸の数がふつうの人の半分程度になっている。
それに体温も妙に低く肌に触れた人には例外なく驚かれる。
傷の治りも遅かったりする。
____俺の特異体質その二、体毛の変化。
体じゅうの毛がすべて、磨かれた銀貨のような白銀。
瞳も髪もダークブロンドだったのに、色素が抜けてしまい今は白銀色になっている。
俺は気を取り直して、前をむいて歩きはじめる。
しかし、このゆるい坂道にすら足を取られる。
そんな俺を見かねたのかリリカがシールズに声をかける。
「ちょっと、シールズ。ウルに肩を貸してあげなさいよ」
言われたシールズはとぼけた声で「え、ウルしんどいの?」と、俺の真横に寄り添う。
俺のわきの下に手を差し込んでぐっと持ち上げてくれた。
途端に体が軽くなる。
俺は礼を言った。
「ありがとう、シールズ」
「僕、勉強は苦手だけど、力仕事なら任せて。ウルを担いでいくくらいならば、朝飯前さ」
シールズはそういうと、ふわりとした笑顔を見せた。
ほどなく念願の休憩時間がおとずれた。
視界が開けた小高い丘の上。
風になびく草原が広がる。
皆、思い思いの場所にグループで座り込み、待望の弁当をひろげ、むしゃむしゃと食べている。
俺達も小さくかたまって食事をしていた。
シールズはあっという間に弁当箱を空っぽにして物欲しそうに俺たちを見ている。
俺はシールズに聞いてみた。
「シールズ、もしよかったら俺の手をつけていないおかず食べるか?」
「え!? いいの?」
「ああ、俺あんまり食べないから」
「じゃ、もらっちゃおうかな!」
そういって手を伸ばしかけたシールズにむかってリリカがたしなめる。
「ちょっと、シールズ。あなた少しは気を遣いなさいよ。ウルは、しんどそうなんだから。きちんとご飯を食べて体力を回復しなきゃダメなのに」
そういわれてシールズは伸ばした腕を慌ててひっこめる。俺はリリカに伝える。
「大丈夫だ。俺はもともとあまり食べない方だから。最近特に、ね」
____俺の特異体質その三、偏食。
俺は食事の量が少なくても平気になっている。
おそらく体の活動が著しく低くなっているからだろうが、ほぼ一日食べなくてもまるで平気。
水分だけでも持つ。
でも別に食べられないというわけじゃないから、いつもは普通に振舞ってはいる。
心配そうな顔のリリカを横目に、俺はシールズにおかずを分けてあげた。シールズは目を輝かせておかずをつまんで口に投げ込んでいる。
その時、俺たちのグループにワルド先生がやってきてしゃがみこんだ。ワルド先生は俺の顔を覗き込む。
「ウル。大丈夫か? 随分と顔色が悪そうに見えるが……」
「あ、大丈夫です、俺、もともと持病があってあんまり体力がなくて」
「そうなのか。あまり無理はするなよ。何かあれば先生をよんでくれよ、その時は先生がおんぶして連れて帰ってやるからな」
「ええ!? そんな、いいですよ。恥ずかしいし」
ワルド先生は豪快に笑うと、立ち上がりほかのグループにも声をかけて回っていた。先生の背中を見ながらリリカが小声で俺に話してきた。
「ワルド先生って優しそうに見えるけど実は、すっごく強いらしいよ。戦士系の紋章師だって聞いたわ」
「そうなんだ。でもさ、ここに来てしばらくたつのに、魔術の授業は全然はじまらないよな。ここに来ている生徒ってみんな紋章を授かってるはずだろ」
リリカは、やれやれという顔で説明する。
「ウル。あなた、ちゃんと生徒手帳を見なさいよ。授業予定はあそこに全部書いてるわよ。本格的な魔術の授業は後期から。それまで基礎的な科目の授業ばっかりなんだから」
「え? そうなのか?」
「そうよ。しっかりと基礎を学ぶまでは、魔術はお預けって事。時々、ファイリアスみたいに、勝手に使っちゃうようなバカもいるみたいだけどさ」
その時、シールズが口をはさみ、物知り顔のリリカにたずねた。
「じゃあさ、しばらくは、いまみたいな授業がずっと続くってこと?」
「そうよ。後期からようやく剣術や魔術の授業が本格的にはじまるもの。たしか、それぞれの紋章ごとにいくつかのクラスに分かれて実技の授業を受けることになるはずよ」
「ええ~。僕はやく体を使った実技の授業を受けたい。もう暗記の授業は嫌だよ」
「なにを言ってるの。今日も帰ってから勉強会よ」
その後俺たちは自分たちの紋章を互いに教えあった。
俺は“呪いの紋章”で、シールズは“盾の紋章”。
そして、リリカは“雷の紋章”だった。
リリカの紋章を聞いた瞬間、またシールズが余計なことを口走った。
「リリカが、雷の紋章って、なんだかぴったりだね。いつもあちこちにカミナリを落としているし」
「なによっ! 私にカミナリを落とさせるのは、あなたたちのせいなんだからね!」
そんなことを話しているうちに、あっという間に休憩は終わってしまった。
俺たちはまた列を作り、ワルド先生につれられて丘を少し下りて横道を進み、林の中に入り込んだ。
ワルド先生が振り返り、全員が集まったのを確認すると、先生はみんなに座るよう指示した。
その後、いくつかのグループごとに先生について奥に行って、帰ってくるの繰り返し。ついに俺たち3人が呼ばれた。
先に行こうとするシールズの袖を引っ張り、リリカが言った。
「ちょっとシールズ。あなた大きいんだから後ろにいきなさいよ」
「え、あ……うん、ごめん」
シールズは言葉通りに一番後ろに回り込む。
ワルド先生の背中を追っていくと、急に先生が手をかざして俺たちの動きを止める。
そして手招きした。
俺達は腰を低く先生のとなりに並ぶ。リリカの感嘆の声、よりも先に俺が声を上げた。
「わぁ……か、か、かわいいぃぃ……」
目の前の甘い光景に心が癒される。そんな俺の声を聞いたリリカが俺を小突く。
「ちょっと、ウル。それは私のセリフよ」
「へ? あ、わりぃ」
「私、一匹、連れて帰りたいわ」
俺たちのしゃがみこんだ場所から少し先。
モーフル(リスに似た小型の魔獣)の群れが黄色い毛並みを寄せ合って、お互いの毛づくろいをしている。
動き回る黒目、鼻をクンクンと動かしながら、あちこちを見まわしている。
十匹以上はいるようだ。
ワルド先生がひそひそと俺達に話す。
「実はこの場所は、最近見つけてね。みんなに見せたくて課外授業に急遽入れ込んだんだよ。近くにモーフルたちの巣があるんだと思う」
俺は質問する。
「え? じゃあ、あのかわいい生き物がもっとかたまってどこかにいるんですか?」
「おそらくな。さすがに巣の場所まではわからんが。モーフルは土の中に巣を作る習性があるから。きっとこの丘のどこかにあいつらの巣穴があるはずだ」
「へぇぇ……」
「さ、そろそろ次のグループの番だ、戻ろう」
俺たちは黄色い天使モーフルの方を振り返りながらも、しぶしぶ先生の後を追った。
その日の夜遅く。
俺達三人はシールズの部屋での勉強会を早めに終えた。
俺はリリカを女子の宿舎へ続く渡り廊下まで送る。
いつになく口数が少ないと思っていたら、不意にリリカが思いつめたように口を開いた。
「ねぇ、ウル。ごめんね、こんなことにつき合わせちゃって」
「ん? こんな事って……ファイリアスとの成績勝負の事?」
「うん……あの時、ファイリアスの話をウルも聞いていたとおもうけど、あいつの言う通り、私の家はもともと貴族でね。まぁ本当に小さな家柄ではあったんだけど、事情があってつぶれちゃって、名前もとられちゃった。だから、ついつい向きになっちゃうのよね。家を復興させるためには、私が頑張らなきゃってさ……」
「いろいろと事情があったんだな。でも、俺は別に迷惑になんて感じてねぇよ。それにファイリアスの奴がムカつくのは事実だし。ぎゃふんといわせてやろうぜ」
俺がそういうと、リリカの表情はほんのすこし明るくなった。
「一回目の試験はもうすぐね、それまでシールズがもつかしら」
「シールズは、ああ見えて根性のある奴さ。ただ少し愚痴っぽいってだけで」
そしてたどり着いた渡り廊下の前。
この渡り廊下の向こうが女子の宿舎だ。
なんだか夜の空気のせいか、妙な沈黙が続いた。
リリカがどことなく照れたような表情で顔を向ける。
「ね、ウル」
「なんだよ」
「どうして、私のくだらないケンカにここまで付き合ってくれるの?」
「え? い、いや別に……」
おなじもと貴族の縁だ。なんてことは口が裂けても言えない。
ただ、なんとなく。俺にはリリカの気持ちが少しはわかるような気がした。
「じゃ、おやすみ、リリカ」
俺は軽く手を上げ、何かを言いかけたリリカに背を向けた。