橋の上のシールズ
『紋章師養成院』はここエインズ王国に合計で7院配置されている。
七大貴族が治める各領地にそれぞれの分院があるのだ。
その7つの分院の成績上位者から特に優秀だと認められたものが、王都にある『王立紋章師学院』へと進むことができる。
さらに、王立紋章師学院には”上院”と”下院”があり、選抜された数十名のみが、上院まで昇りつめることが許される。
ま、言うまでもなく。
俺の父、アルグレイ・べリントンは、史上最短期間でそこまでいっちゃった、ものすんごい人物。俺なんかが努力でどうこうできるレベルを超えているような気はする。
そんなことを鬱々と考えながら歩いていると、少し先、橋の中央あたりでなにやら男が騒いでいる。皆見て見ぬふりをして通り過ぎていくようだ。
ひざまずいている大柄な男、そして、それを見下ろす痩せた男。
風に交じり、声が聞こえてきた。
「おい、シールズ! どうしてお前がこんなところにいるんだよ」
「え……ぼ、僕も紋章をさずかったので……」
「紋章を授かっただと? ここはこの国エリートが集まる養成院だぞ、お前のような平民が来るような場所じゃあないんだよ」
「え、で、でも……」
シールズと呼ばれた少年は大きな背中を小さく丸め、おびえたように口ごもる。
俺と似たような麻の上着にズボンという軽装だ。
それに比べて尊大な態度で見下ろす男の方はというと、ゴテゴテとした装飾のある赤マントを羽織り、足元はピカピカに磨かれた黒革のブーツ。
身分や種族の差別なく受け入れるというのが、この紋章師養成院の掲げるモットーだと聞くけれど、その弊害がこういうところに現れるんだろうか。
みるからに、貴族対平民。
でも、俺はすでに“元”貴族であって、今は名もなき平民。
貴族となんて揉めたくはない。
はぁ、なんだか面倒くさそうなところだな、ここは。
俺が目を伏せて通り過ぎようとしたとき、シールズと呼ばれた少年の悲壮な声が聞こえた。
「あっ……それは、僕の、返して!」
「げっ、オマエ、まだこんなぬいぐるみをもっていたのか! 軟弱な奴め!」
ぬいぐるみ。
俺のまゆがピクリと反応する。
目をやると尊大な男の手の隙間から、ぬいぐるみの手足がぶらん、とはみ出ているのが見えた。
男はそれをあろうことか地にたたきつけて上から踏みつけた。
何度も何度も。
次第にその黒いぬいぐるみは無残にひしゃげて、なかから綿のような白い塊がはみ出してきた。
その光景を目の当たりにした瞬間。
俺の頭に浮かぶのは、かつての俺の相棒。黒いうさぎのぬいぐるみ、ルウイ。
ああ、ぬいぐるみを踏みつける時点でアウト。
完全にアウト。
考えるよりも先に体が動いていた。
気がつくと、俺は赤マントの男を、どんっ、と押しのけていた。
俺の足元にぬいぐるみの残骸が横たわる。
俺はそれを拾い上げて、はみ出した中身を縫い目から押し戻した。
そして、膝をついてこちらを不思議そうに見つめるシールズと呼ばれていた少年の手に持たせた。
シールズはぽかんと口をあけながらも、小さく礼を言ってきた。
「……あ、ありがとう」
「……大事にしなよ、その黒ブタのぬいぐるみ」
「……あっ、いちおう、黒ネコ……」
その時、赤マントの声が聞こえ、視線を向ける。
赤マントは手をついて立ち上がりながら不敵に笑う。
「おい、オマエ、いい度胸だな。俺の尻を地につけさせるとは! しかし相手が悪かったようだ。この地を治めるマヌル家の一族である俺様に手を出すとはなぁ。お前の顔はしっかりと覚えたぞ!」
「そうか。でも、俺は別にお前の顔なんて覚える気はねぇ」
う。我ながら、なんだこの言葉遣いは、はしたない。
しばらくテマラの屋敷でこんな言葉ばかりでしゃべっていたせいか、テマラの口調が染みついてきちまった。
俺の言葉にカチンときたのか、男は顔を真っ赤にこちらを指さしてわめき立てた。
「なんだと! そのこぎたない格好を見る限り、どうせお前も下賤の身だろう! 俺様に逆らうとどうなるか思い知らせてやろうかぁ?」
その時、赤マントの右手の周囲に青い光が集まりだした。
うすぼんやりと輝きはじめる。
こいつ、偉そうなだけでなく、馬鹿でもあるのか。
こんなところで魔術を使うつもりか。
俺は後ろに飛びのき、咄嗟に身構えた。赤マントの右手のひらの中央にぼっと青い炎が燃え盛る。
炎の紋章師。
その時、鋭い声が男の動きを制止した。
「おやめなさい!」
俺は思わず後ろを振り返った。
いつの間にかできていた人だかりを割るように一歩前に進み出る少女。
少女は聡明そうに輝く深緑のまなざしを俺にむけると、純白のローブをなびかせて、言い放った。
「あなた達、この紋章師養成院の生徒ならば、院の規律くらいきちんと知っておきなさい。“敷地内での魔術の使用に関して。魔術訓練時以外は教師の許可なくみだりに魔術を使用してはならない。万が一使用した場合、所定の手順により組織された懲罰委員会にかけられ、最悪の場合は院からの追放処分とする”だそうよ。入院式早々に追放なんて事になれば、末代までの恥ね」
空まで響く少女の言葉にその場にいた皆が聞き耳を立てていた。
その時赤マントの男が小さくつぶやく。
「なんだか面倒くさい奴が来たものだ。へっ、そこの貧乏人ども、命拾いしたな」
赤マントは口惜しそうにそういうと、右手に灯っていた炎を握りつぶした。
そして俺達に背を向けて、そそくさと去っていった。
子猫のようにその場にひざまずいていたシールズがのっそりと立ち上がる。
でかっ。
俺はシールズを見上げる。野太い首にこんもりとした小山のような肩。
さっきの偉そうにしていた奴なんかよりよほど強そうに見えるが。
大きな体のシールズは、もじもじしながら少女に話した。
「ご、ごめんなさい、この人は悪くないんだ。ぼ、僕を助けてくれただけで……」
見た目の割にあまりにも気の弱そうなシールズの声。
それをさえぎるように少女は言葉を投げ返す。
「あなたもしゃんとなさい。仮にも紋章師候補生でしょう。すくなくともこの養成院の生徒でいる間は、種族も身分も関係ないのよ。相手が貴族だからって、へこへこする必要はないの」
シールズは少女の叱責にびくっと縮こまり「ごめんなさい」とまた謝った。
少女は「まったくもう」というと、つんと顔を前に向けなおして、そのまま俺たちの真横を通り過ぎていった。
金色の髪をキラキラと流し颯爽と去っていく彼女の背中を見ながら、シールズがぽつりとつぶやいた。
「とってもきれいだけど、おっかない女の子だなぁ……」
「……あのさ、お前、そんなことをあの子の前で言ったら、また怒鳴られるぞ」
「そ、そうだね。注意しなきゃ……あ、そうだ」
シールズが俺に顔を向けて聞いてきた。
「僕はシールズっていうんだ。キミ、名前は?」
「俺は、ウル・ベリ……」
まずい。俺は慌てて口を閉じた。俺はもうすでに、七大貴族のべリントン家一族じゃなかったんだ。テマラに与えられた新しい身分をそのまま言い直す。
「ええと、俺は、マヌル領、ケトの村二番地に住むウルだ」
「え!? ケトの村って言ったら僕の住んでいる村のすぐ隣じゃないか。わぁ、うれしいなぁ。でも、お互い小さな村だから、ある程度みんなの顔をしっているんだけど、キミには会ったことがないね」
「あぁ、俺は最近、他領から移住してきた身だからさ、ここに顔見知りはいないんだ」
「へぇ……そうなんだね。とにかくさ、偉そうな貴族様じゃないみたいで安心したよ」
まぁ、もと貴族だし。
べつにシールズに言い訳する必要はないか。
俺たちは肩を並べて歩き始めた。
そして、マヌル紋章師養成院の古びたアーチの石門を見上げる。
歴史を刻む傷だらけの石門が、期待と不安を抱えた俺たちを飲み込む。
今日からここで俺の生活が始まる。
七大貴族のウル・べリントンではなく、ただのウルとしての日々が始まるんだ。