起きぬけに薄着の美女
「ウル。朝ごはんできたわよ~」
甘ったるい女の声で目が覚める。
少し硬めのこの寝台にも慣れてきた。
けれど、毎朝、日替わりで違う女の声で起こされるというのは、いつまでたっても慣れない。こんな日々が、唐突に始まってから十数日。
寝台から体を起こす。
部屋の扉の前、ほとんど裸に近い薄着の女が、柔らかい笑みで俺を見つめている。
はだけた胸元から、するりとのびるなまめかしい首筋にはっと息をのむ。
俺は視線のやり場に困り、とりあえず彼女の足元を見る。
しかし、彼女は足の指すら、不思議と艶っぽい。
彼女はいわゆる夜のお店の人だ。
職業柄とでもいうのか、それとも天性というやつなのか。彼女の姿は心をざわつかせる。
俺は頑張って何気ないふりをしながら朝の挨拶をする。
「あ……お、おはようございます。えっと、デリアナさん」
「いやん。いいかげん、よして、そんなお行儀のいいセリフ。やりなおし。もう一度、アタシのことを呼んでみて?」
「……デリアナ……さん?」
「だからぁ、デリアナ、でいいの。さん、を外さないと何度でも言わせちゃうよ?」
「あ、じゃ……で、デリアナ」
デリアナは満足げに白い歯を見せた。
彼女の耳元で、薄茶の巻き髪が小さく揺れた。
どうやらお気に召したようだ。
「うふふ。うれしい。でも、ウルって随分と育ちのいいボクちゃんなのね……あなたみたいな子をこの屋敷に住まわせるだなんて、テマラったら、どういうつもりかしら」
テマラ。
というのは、俺をここに連れてきたヒゲ面の男の事だ。
この屋敷の主人である“呪いの紋章師”テマラ。
『黄泉がえりの呪法』という呪いの魔術を受けて死んだはずの俺はどういうわけか棺桶の中で息を吹き返した。その現場に居合わせた唯一の目撃者がテマラだった。
そして、俺はテマラの手によって棺桶から担ぎ出されて、そのままべリントン家からここへ連れてこられたらしい。
デリアナは「朝ごはんは一階の大広間に準備しているからね」と言い残して去っていった。俺は身支度をして一階におりた。
まだ落ちてくる思いまぶたをこすりつつ階段を下りる。
大広間の扉を開く。そこにいつもの光景。
俺はこめかみに手を当てため息をつく。
「はぁ……」
床一面。女ものの衣類や下着が散乱している。大広間中央には大きな楕円のテーブル。その上には、倒れた瓶が何本もあちこちをむいている。昨日の酒宴のむせかえるニオイと残飯がそのまま。
俺は大広間に足を踏み入れて進み、テーブルの一番端の椅子をひいて席に着く。目の前、一応グラスに入った飲み物と、俺の為に取りそろえられたであろう、肉や野菜が盛られた皿。俺はそこでひとり、朝食を摂る。
「……これって、朝食っていうより、夕食の残りだよな」
俺の朝食後の仕事はすでに決まっている。この大広間の後片付けだ。
食事の後、俺がテーブルの上の残飯をひとところに集めていると、ふいにうしろから物音がした。俺が顔を向けるとデリアナが薄い肌着のまま、大きな籠を片手にあらわれた。
そして、床に散らばる衣類を素早く籠に放り込んでいく。その時デリアナが俺に話しかけてきた。
「ね、ウル。あなたどうしてこの屋敷に連れてこられたの?」
「……まぁ、いろいろとあって。一応、テマラは俺の事を助けてくれた人ではあるから……」
「ふうん、そうなんだ。でもさ、あの人が自分の屋敷に男を入れるのはめずらしいのよ。たいていがアタシ達みたいな娼婦ばかりだし、今までのお手伝いさんもみんな女よ……あの人もいい年だし、そろそろ息子でも欲しくなったのかしらねぇ……」
デリアナは一人でぶつぶつと言いながらせわしなく動き回る。
しゃがみこむたびに太ももや胸がはだける。
そこからのぞく、はじけるようなつるりとした肌。
俺の視線に気がついたのかデリアナがふと手を止めて上目遣いにこちらを見る。
俺と目があった途端、いたずらっぽく微笑んだ。
「残念ながら、アタシがこの屋敷にいる間は、アタシのお客様はテマラだから」
それから、俺たちはいつものようにテマラの事をいろいろと話しながら広間の後片付けを始める。
デリアナの話によると、テマラはこの人里離れた丘の上の屋敷に一人で暮らしているらしい。そして頻繁に娼婦たちを呼び寄せて豪勢な食事を振舞っているようだ。そして夜通し乱れたバカ騒ぎをする。
彼女たちからすれば上得意のお客様というところだろう。
この二階建ての大きな屋敷は、貴族の別荘を譲り受けたものらしい。
質素ではあるがそれなりに立派な屋敷だ。
一階はこの大広間以外に玄関ホール。
客を迎える応接室や居間もそろっているし、二階はプライベートフロア。
複数の寝室や書斎が廊下で結ばれ、その一室が俺の部屋になっている。
なんでもこの屋敷は、テマラが仕事の報酬として、とある貴族から受け取ったという話だ。こんな立派な屋敷を仕事の報酬として受けとれるだなんて、いったいどんないかがわしい仕事をしているのやら。
テマラは自分の話は一切しない。
だから、俺はこうして日替わりの娼婦たちからテマラの話を聞きだしている。
彼女たちはもともと口が軽いのか、それとも俺に心を許しているのか、とにかくなんでもあっけらかんと話す。客の秘密といえる話をこんなに聞いてしまってもいいのだろうか、と少し不安になるくらいだ。
ただその話は、らしい、とか、だそうよ、とか、とにかく伝聞だ。彼女たちにとってそれが事実かどうかは特に興味がないようだった。
俺は、テマラについてのあれやこれやを彼女たちの噂話から知ることが多かったけれど、どこまでが本当かは正直よくわからない。
俺は今朝から姿の見えないテマラが少し気になっていた。
「それにしても、いつもは宴会のあくる日は大広間のそこのソファで寝ころんでいるテマラの姿が見えないけど……どこかに行ったの?」
デリアナはあらかた衣類を籠に入れ終わると、一息ついて腰をのばした。
「さぁ、珍しく今朝早くに出ていったからね。なんだか、あなたの事を話していたらしいわよ」
「俺のこと……?」
なんだろう、と思った時。玄関ホールの方から足音が聞こえてきた。
かと思うと、扉が大きく開いた。向こうからテマラが大きなあくびをしながら入り込んでくる。テマラは俺達に気がつくとおざなりに軽く手を上げた。昨晩の酒が抜けきらないのか、おぼつかない足取りで一番手前の椅子にドスンと座り込んだ。そして、俺に手招きしながら話す。
「おい、ウル。ちょっとこっちにこい」
俺はテマラに言われるがまま、テマラのはす向かいの席に着く。
テマラはおもむろに話しはじめた。
「ウル。お前の新たな身分を手に入れた」
「新たな身分? 俺は、べリントン家の……」
「黙れ。何度言ったらわかるんだ。いいか、ウル・べリントンはすでに死んだ。お前の気持ちの整理なんてのは知らん。そんなことはお前が勝手にやれ。とにかくだ、お前は今日からここマヌル領にある、ケトの村、二号番地のウルだ。いいか」
「……なんでもいいけど……でもさ、なんだって新たな身分なんて……」
「決まっている。お前を『マヌル紋章師養成院』に入学させるためだ」
不意に出たテマラの提案に、俺は「ええ!?」と叫んで立ちあがる。
紋章師養成院っていうとこの国のエリート紋章師を育てるための教育機関だ。
テマラは驚く俺にどんよりとした目を向け、めんどうそうに話しだした。