俺の身代わりになったルウイ
俺は棺桶のふちを握り、体を男のほうに傾けて、重たい体をゆっくりと起こす。
ようやく上半身が起きたところでふとあたりを見渡す。
木の長椅子がこちらを向いて遠くまで整然と並ぶ。
人影はない。
周囲から灰色の太い石柱が上に伸び、天井のアーチにつながる。
見覚えのある風景。
そうだ。
ここはべリントン家の居城、ティフリー城内にある礼拝堂だ。
俺の棺桶はどうやら礼拝堂の壇上に置かれていたようだ。
俺の棺桶をこじ開けたであろう男は少し後ろに下がり距離を置いて、俺に向き直る。
俺は男をまじまじと見つめる。
全身輝くような白のローブマントに身を包み、薄茶の長髪を後ろに結い上げている。ハの字のように垂れた腫れぼったいまぶたの奥に光るエメラルドグリーンの瞳。無精ひげに囲まれた口は苦々しくへの字に曲がっている。
一体何が不満なのか全身で不快感を伝え、こちらを睨みつけている。ふいに男が口を開く。
「ちっ。クソガキ、じっとしていやがれ」
「……この魔術は失敗だ、はやく……」
「やめろ!」
俺の言葉をはねのけるように、男は手を顔の前で大きく振りかぶった。
つぶれたようなだみ声で続ける。
「俺たちのかけた『黄泉がえりの呪法』は失敗なんてしてねぇよ。お前の兄貴は生き返りピンピンしていやがる。魔術は成功だ。そうでなきゃ俺たちが困る。高額の報酬がパーになっちまうんだからよ。それにな、困るのは俺たち以上にお前だ」
男は言い終わるか終わらないかの間際、突然はっと後ろを振り返る。
首を回して周囲を警戒するようなそぶりを見せる。
それにしてもなんて下卑た口の利き方だ。加えてこの馴れ馴れしい態度。俺はこんな男、今まで見たこともない。
俺は棺桶から出ようと体を動かすが、まだうまく動かせない。まるで手足が木の棒みたいだ。じたばたしている俺がそんなに気に喰わないのか男はまた聞こえよがしに舌打ちをした。
「ちっ。なんだか、見ているだけでいらつくガキだ。俺たちのかけた『黄泉がえりの呪法』をはじくとは。お前、一体何もんだ?」
俺は、父のように他人に伝えられる肩書は何もない。
いや、一つだけあった。俺はこう答えた。
「俺は……呪いの紋章師。ウル・べリントンだ……」
「……呪いの?」
男の声色がどこか変わった気がした。
俺はきしむ体をなんとかひねり、棺桶から抜け出そうともがく。
「早……く。父さんに……」
俺はようやく四つ這いまで体勢をかえて、足から棺桶を乗り越えた。
その時、バランスを崩して壇上から一気に下の石床にズルリと滑り落ちた。
どんっ、と全身を打ちつけるが、今は痛みよりもダルさの方が勝る。
俺はゆっくりと仰向けに男を見上げる。
男はこちらを見下ろす。
「おい、ガキ。耳をかっぽじってもう一度よく聞きやがれ。お前の兄貴はすでに生き返っている。しかも公にはお前が死んだと発表されてんだよ。今更、のこのこ出て行ってみろ。どうせ偽物として投獄されるのが関の山だ。下手すりゃその場で処刑だぞ。気が進まねぇが、俺と一緒にこい。ちょうど小間使いが一人くらいほしいと思っていたところだ」
「どうして……アンタ、なんかと」
「他に行く当てがあるのか? 父親に呪いをかけられるようなクソガキがよ」
男はそういうと俺の頭に回り込んでしゃがんだ。
頭にチクリと痛みが走る。
見ると、男の手には俺のダークブロンドの頭髪が数本。
男は立ち上がると棺桶の中に手を突っ込んだ。
その手にルウイを持っている。
俺は下からその一部始終をぼんやりと見上げる事しかできない。
男は俺の髪の毛とルウイをぐっとくっつけて口元で何かを唱えた。
そしてルウイを棺桶に戻した。
俺は何とかルウイを取り戻そうと力を振りしぼって体の向きを変える。壇上に手をのばしてなんとか立ち上がる。棺桶の中を覗き込んだ瞬間、息が止まりそうになった。
棺桶には俺とそっくりな誰かが目を閉じて横たわっていた。
一体、なんだこれは。
男の声が耳元で聞こえる。
「傀儡術の一種だ。お前も呪いの紋章師なんだったら、これくらいの魔術はすぐに使えるようになる。ぬいぐるみをヒトガタにして、魔術でお前の分身をつくった。お前は兄貴の身代わりで死んだ。そして今は、このぬいぐるみがお前の身代わりとなってここに眠る」
「そんな……ルウイ……ルウイはどうなるんだ……」
「この棺桶は、しばらくはどこかに安置されるだろうが、すぐ燃やされるだろうぜ」
「ルウイ……ル……」
俺の全身から力が抜けていく。
戻ったはずの感覚がしびれていく。
また手が足が、ただの棒きれになりそうだ。
ぐるぐるとまわりの景色が回り始める。
もう立っていられない。
「ちっ、ぬいぐるみがそんなに大事なのか。気持ちのわりぃガキだな」
男はそういうと強引に俺の体の下にもぐりこむ。
俺は体を腰から二つ折りにされ、男の肩に担ぎ上げられた。
俺は男の背中にぐったりともたれかかる。
そこで俺の意識は途切れた。