兄の為に俺は死んだのさっ
さて、いままではおっさん主人公のお話でしたが、9章からはかなり時間が巻き戻ります。
おっさん主人公ウルの15歳の頃へ、主人公ウルの過去へとお話はうつります。
(最初のほうは、ちょっと重めの展開ですのであしからず)
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ではでは!!
目を開いたというのに、そこもまた隙間のない闇だった。
ここが棺桶の底だと気がつくまでそう時間はかからなかった。
なにせ俺は自分でこの棺桶に跨ぎ入り横たわったのだから。
(なぜ……生きている)
俺は実の兄をよみがえらせる為に自分の魂を差し出した。みずから棺桶に入り、十五年という短い人生を終わらせたはず。というのに今、両のまぶたは冴え冴えと軽い。
俺の頭によぎる予感。まさか“黄泉がえりの呪法”が失敗したというのか。
黄泉がえりの呪法。
それは死者の魂を冥府から連れ戻しよみがえらせる呪いの魔術。実行するには身代わりに“誰かの魂“を差し出す必要がある。
その“誰かの魂”というのが“俺の魂”だったはずなのに。
その時、閉じた口の中に冷たい違和感。
舌の上に何かが乗っている。
俺は唇を閉じたまま舌先を前歯の裏にあてて、違和感の元となっているそれを舌の上でゆっくり左右にねぶる。
苦味。
ざらついた表面、薄くて硬くて丸い。
ふいに、うっ、と吐き気がこみ上げたがなんとかこらえる。
(これはきっと銀貨だ)
俺の住むエインズ王国では、死者を棺桶に入れた後、その者の口の中に銀貨を一枚入れる風習がある。三途の川の渡し守、カロンにわたすための手間賃だ。カロンというのは光る目を持つ、襤褸をまとった不愛想な老いぼれらしい。俺はどうやら三途の川を渡る前に、その老いぼれに追い返されたようだ。
家族に疎まれこの世を去ったはずなのに、あの世へ続く川の渡し守からも追い返されたのか。この世とあの世を行ったり来たり。
ふと吸い込んだ空気にひそむ香の匂い。
冷たく重い闇の中。
俺は妙にさえた頭で記憶を手繰り寄せる。
一度死ぬ前の俺。
ウル・べリントンはあの日、父の書斎にいた。
俺の頭よりも高い本棚が四方の壁に立ち並ぶ。
厳めしい本の背表紙たちが偉そうにこちらを見下ろしてくる。
俺にとっては世界中のどこよりも居心地の悪い場所だ。
すべての家具が最高級のオーク材。ダークブラウンの色合いで統一されているこの書斎は、家族でもめったに招かれない父の聖域。俺はその聖域の中央に立たされ、どっしりとしたテーブルの向こうに座っている父の返事を待っていた。
俺の父、アルグレイ・べリントンは手元に開いた本に視線を落としたままだ。
その長いまつ毛は微動だにしない。
父の座る場所がこの世の中心。
そんな風格を備えた精悍なオーラが漂う。
その威圧感はすさまじい。
俺は父の前に立つだけで、心がはりつめ、息をするのがやっとになる。
俺は今しがた、ある報告を父にしたところだった。
この国では一五歳の成人になった者にある儀式が行われる。
それは『天資の儀式』と呼ばれるもので、その儀式により魔術の素養のある者とない者がはっきりと選別される。
魔術の素養が開花したものには『紋章』が授けられる。
そして、紋章を授かったものは『紋章師』とよばれることになる。
例えば水の紋章を授かれば『水の紋章師』となり、火の紋章を授かれば『火の紋章師』となり、その紋章にそった魔術の才能が引き出されるのだ。
俺が授かった紋章は、呪いの紋章だった。
俺は『呪いの紋章師』となる宿命を背負った。
そして、父にその報告をしたのだ。
長い静寂はついに父によって破られた。
「そのような忌まわしい紋章を授かるとは」
父の言葉はいつもその裏に何かを潜めている。
見えない刃を直に心臓にあてられたようにみぞおちのあたりがひんやりとした。
父はこちらを見向きもせずにつぶやいたあと、また黙り込んだ。右手の人差し指と親指の腹で手元の本のページをつまみ、ぱらりぱらりとめくり続けていく。
何ページ進んだのだろうか。
俺はとにかく釈明しなくては、と、息を整えてから口を開いた。
「こ……この紋章は呪いを解く力があるんです。その力はとても……」
父は両手で挟むように勢いよく本を閉じた。
ばたん。
と本を中心に部屋中の空気がびぃんと震える。俺は口をつぐみ、両肩をすくめる。
もはや言い訳など必要なかったのだ。
俺はすぐに自らこの報告を終わらせた。
「すみません。それでは……失礼します」
俺は振り返り書斎の扉に歩み寄りノブを回そうとした。
その時、自分の指がかすかに震えていることに気がついた。
ふと、耳に届く父のちいさな声。
「咎多き息子、お前はべリントン家から追放だ」
そのからからに乾いた声は、本当に父の口から出た言葉だったのか。俺は確かめる勇気もなくそのまま書斎から逃げだした。