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本当の姿



 隣の部屋に駆け込むと、ネリギュルはそのまま寝台横にひざまずいて、(こうべ)を垂れた。




「ペセタル様……私は……何と言っていいのか……」




 その、ネリギュルの苦しそうな声が聞こえたのか、ペセタルはゆっくりと体を起こす。右手をローブの首元に伸ばして、ひもを緩める。そしてかぶっていた真っ黒のフードをガバリと後ろにはいだ。ローブの下から出てきたのは、しもぶくれの色白の大男の顔。これが絶世の美女だというエマニュエルと、あの小柄で華奢なメディアベルの息子なのか。いや、違うな。俺はぽつりとつぶやいた。




「変化術か……」




 俺の独り言が聞こえたのかネリギュルがふりかえった。その向こう、ペセタルが俺の言葉に反応する。



「……ウル殿……わたくしとしたことが、お見苦しい姿を……見せてしまいましたね……」

「そんなことはいいんだ。ただ、まさか尾行されていたとはね。仕事の依頼主に尾行されるなんて経験は初めてだぜ。俺ってそんなに信用できなかったか?」

「いえ……そういうわけでは……ただ……」

「へっ、冗談だよ。それに尾行を言い出したのは、お前さんの隣にいるネリギュルのほうだろうしな」




 ペセタルはそれには答えずに黙り込んだ。その代わりにネリギュルが答える。




「そうだ。この尾行は私の提案だ。私は……この旅で、ペセタル様に過去と決別をしてほしかった」

「過去との決別。つまりは実の両親との決別、だな」

「そうだ……ペセタル様はずっとご自分の過去に苦しめられていたのだ。自分の素性をひた隠し、そのお姿さえ隠して……私は、そんなペセタル様を、見ていられなかったのだ……」

「気持ちはわかるが、それにしちゃ、お前さんの計画は、随分と荒療治(あらりょうじ)だねぇ。ネリギュル」

「こうでもしなければ……ペセタル様は、ずっと実のご両親の事に興味がない“フリ”をされていた。その実、いまなお苦しめられているというのに。私はそれを乗り越えて、デルモス・イルグラン様の正当な後継者として、イルグラン家領主として、胸を張ってほしかったのだ」

「そのためには過去を“清算”しなきゃならない……と、お前さんは考えたわけか」

「そうだ。これが、私の身勝手な期待だとはわかっている、それでも……私は……ペセタル様に……」




 言葉に詰まったネリギュルに目をむけて、ペセタルは静かに話す。




「ネリギュル、もういい。お前の気持ちはわかっていた。お前の言う通りだ。わたくしはずっと目を伏せてきたのだ。憎らしい自分の両親の事を思うと、胸の奥がひりひりと痛み、恥ずかしくなって、息がつまった。そんな自分自身が本当に嫌だった。だから考えないようにして、イルグラン家領主としての仕事にまい進していた。そんな時にあの天秤が、わたくしに届けられた。まるで突然、喉元にナイフを突きつけられたような気分だったよ」




 ペセタルの言葉を、ネリギュルはうつむいたまま聞いていた。そして小さく「もうしわけありません」と言った。いったい何に対する謝罪なのか。とにかく、ネリギュルは消え入りそうなほどに肩を落としていた。誰が悪いというものでもねぇのに。


 いろいろな事がただ嚙み合わず、いろいろな思いが不協和音を奏でながら運命が取り返しのつかない方向に向かっちまったんだろう。


 しかし、俺は仕事を遂行する。俺はやつれた顔をしたペセタルに問いかけた。




「で、ペセタル。お前さんはどうするつもりだ。あのマアトの天秤に乗った心臓の呪いを解くという事が、どういう結果になるかは、すでに知っているんだろう?」

「……知っています。それよりも、呪いの解き方はわかっているのですか?」

「一応は過去の文献と魔術書を見て調べてきたさ。その前に、これは、(いにしえ)の伝承からの引用だが……」








 冥界の神アヌビス


 頭は黒い犬、体が人間という奇妙な形をした冥界の神であるアヌビス。アヌビスは死者を冥界へと導く役割を(にな)うとされている。


 冥界の入り口で、アヌビスは、死者の魂の審判を行う。その審判において死者の過去の罪を裁くのだ。アヌビスが持つ天秤の片方に死者の心臓、もう片方に“マアトの羽根”を載せる。この時、心臓が羽根より重い場合は、過去に悪行を犯したということが分かるそうだ。


 もしも、その心臓の重さが“マアトの羽根“よりも重い場合には、過去に重罪を犯したと審判され“死者を食らうもの(アメミット)”という怪物に心臓をのまれ、楽園(アアル)の大地へ行けなくなる。その魂は永遠にこの世をさまよい、二度と復活できないとされている。


 では、“マアトの羽根”とは何か。この天秤につけられた名前。“マアト”とはある女神の名だ。かぶる冠に駝鳥(だちょう)の羽根を添えた女神。その女神の頭に添えられたダチョウの羽は“真理”を意味するとされている。真理、真実を象徴するもの。それが“マアトの羽根”という事だ。







 俺は話を続ける。



「この天秤を“マアトの天秤”と名付けたのは、おそらくどこかの呪いの紋章師だろう。この伝承をもとにしてな。この呪いを解くには、心臓が乗った反対側の皿に、心臓の持ち主の罪の重さを測る“何か”を置く必要がある。その“何か”が、あの心臓の持ち主に審判を下し冥界へといざなう。その結果、その心臓の持ち主の魂が冥界にたどり着けるのか、それとも永遠にこの世をさまよい続けるのか、それはわからねぇが……」

 

 

 俺はペセタルのうつむいた顔をじっと見つめる。ペセタルは、何かをあきらめたように小さく乾いた笑いをこぼした。そしてつぶやく。




「……解術(ディスペル)……」




 魔術を解く呪文。ペセタルはついに、変化術を解いた。俺達が見守る中、ペセタルの体はぼんやりと白く輝き、その輪郭を変えた。大柄の男は消えて、大きめのローブの中にいたのは、少しばかり緑がかった肌を持った、とても美しい青年だった。俺はエマニュエルという女性を見た事がない。しかし、ペセタルのこの姿。エマニュエルの美しさというものがどれほどのものか。わかった気がする。凶器とまで称されたその美貌の片鱗(へんりん)を、垣間見た。




 流れる髪は白銀、儚げな深い二重のまなざしの青年は俺を見上げてこういった。




「ウル殿。これが……わたくしの真実です」




 寝台の横にしゃがんでいたネリギュルは、美しい青年になったペセタルを見上げ、うるんだ声で言った。




「ペセタル様……私は、ずっとお会いしたかった……本当のお姿をしたあなた様に」



 

 ペセタルはネリギュルの肩に、そっと、その華奢な手を置いた。

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