仕事の依頼主 ペセタル・イルグランのこころ ④
ラズモンの街の片隅の廃墟で一夜を過ごす。
夜中に“黒の矢団”の連中の報復が来るかとおもったが、連中は来なかった。ネリギュルは夜通し見張りをしてくれていたらしいが、どうやら無駄骨だったようだ。
朝早く、ネリギュルに、叩き起こされた私は、大馬にまたがり尾行を再開する。私はネリギュルに行き先をたずねた。ネリギュルは涼し気な眼差しをちらりと向けて話す。
「この方角にあるのは『ディルビュイ』の町です。おそらく物資の調達でしょう」
「なるほどな……それにしても、お前は昨夜の見張り番で一睡もしていないのだろう。体調は大丈夫なのか?」
「ご心配はありがたいのですが、私は“配達屋”(諜報部員)ですよ。一晩寝ずの行動など朝飯前です」
「朝飯前か……そういえば、朝食がまだだったな」
「あの、ペセタル様……私の体調を心配しているのか、自分の腹の心配をしているのかどちらなのですか?」
「どちらもだ」
「まあ、そういう事にしておきます。では、ディルビュイの町で何か食べましょう。ラズモンの街ほど荒れてはいませんので、食料市場くらいはあるでしょう」
ディルビュイの町に入ってすぐ、見つけた出店で簡単に口に入れられるものを買うと、私たちは即座にほうばった。小腹を満たし、大馬から降りて街路を進む。私はネリギュルの背中にたずねた。
「しかし、ウル殿たちはどこに行く気なのだ。こんな商人地区へ入り込んで」
「いま、もう少し先の天幕の下に入りました。あそこは『ベルク竜具商人団』の出店の天幕です。どうやら彼らは装備品を買いに来たようですね」
「……という事は少し危険な場所に行くつもりなのか」
「どうでしょう。盗賊の多い地域ですから用心のためかもしれません。しかし、一つ疑問があるのですが……」
ネリギュルはそういうと立ち止まり、首を傾げて続ける。
「呪いの紋章師であるウル、そして道案内の吟遊詩人のビセ。それに、もう一人少女が同行しているのですが、あの少女はいったい誰なのでしょうね。ペセタル様はなにかお心あたりはありませんか?」
「いや、知らぬな。わたくしが夜中にウル殿と会ったときは、ウル殿はひとりだったからな」
「ならばビセの道化師仲間でしょうかね」
同行する謎の少女。元来、この国では呪いの魔術はあまり“好かれて”はいない。私の操る闇の魔術と同じく黒魔術として一般的には邪悪なものとされているのだ。それゆえに魔術として体系的には発展せず、その系譜は細々と裏で引き継がれるといわれている。弟子という事なのだろうか。
私たちは、しばらくその場で待機することとなった。
「お、どうやらビセとはここで別れるようです」
ディルビュイの町の出口近辺で先回りし待っていると。そこに現れたのはウル達一行。ここまで行動を共にしていたビセが離れる。その代わりに、ウル達を先導するのは、見覚えのある姿の初老の男。あれは。私の口から思わず言葉が漏れる。
「ネリギュル、あの緑の鎧に包まれている男。もしかして、ラプスではないか?」
「そのようですね。ビセと道案内を交代するようですが……しかし、見てください。ラプスはフル装備です。これから危険な場所に行くのは間違いない」
「なんだか、そろそろ面倒になって来たな。そもそもなぜわたくしがこんなことをしてるのだ」
「ペセタル様、これはあなた様のお母さまの身の上に起きた出来事の調査なのですぞ。最後までしかと見届けるべきです」
「わたくしには、母などおらぬ……すくなくとも、わたくしの記憶の中にはな」
「だからこそです。記憶にないからこそ、いま知る必要があるのです……お、進みだしましたよ」
私が視線をあげると、ビセが手を振っている。ウル達一行は道案内をビセからラプスに変えて、再び進みだした。私たちも建物の陰から抜け出して後を追った。ほどなくウル達一行は深い森の中に吸い込まれるように入っていった。私たちは森の入り口に差し掛かったところで大馬をとめた。ネリギュルが森を見据えてつぶやいた。
「まさか、この森にはいるとは……ここから先は崖路へと続きます。大馬に乗ったままでは立ち入れません」
「なんだってこのような森に。この先には何があるのだ?」
「この森の先は谷につながっています。その谷の奥には“不死人の集落”なる村があるはずです。正直、私もあまり詳しくはしりませぬが」
「不死人の集落か……マアトの天秤には小さな心臓がのっていた。つまり、あの心臓の持ち主は不死人の集落にいると踏んだのか」
「その可能性は高いでしょうね……」
私たちは大馬から降りて木陰に休ませる。ここに大馬を残したままで大丈夫なのだろうか。私たちが戻るのに時間がかかった場合の事を考えて、私たちは大馬から鞍を外し自由にしてやった。ここから先は魔獣の巣窟。私とネリギュルは、気を引き締めて、深い森に足を踏み入れた。