仕事の依頼主 ペセタル・イルグランのこころ ③
私とネリギュルは街のはずれにある小さな屋敷にその身を隠した。宿というものはこの街にはなさそうだ。
私たちは大馬二頭を屋敷裏に連れていき、しなだれた木の陰にやすませる。屋敷の内部に入るが、人の気配は感じられない。埃とカビにまみれたいくつかの椅子と、崩れかけたテーブルがぽつりと取り残されている。誰かの忘れ物のように。
ネリギュルはすぐにウル達一行の寝床を探るべく出ていった。私がきしむ椅子に腰をかけて、廃墟を見回しぼんやりと過ごしていると、ネリギュルはすぐに戻る。どこで手に入れてきたのか干し肉数切れと葡萄酒の入った小さな樽を持ち帰って来た。仕事が早いのか落ち着きがないのか、とにもかくにもせわしない男だ。
ネリギュルは私に干し肉を手渡すと、自分もかじりながら、もごもごと話す。
「ペセタル様。ウル達一行はすでに目的地の教会にたどりついています。どうやらそこで一晩を明かすようですね」
「……で、我々の今宵の宿は、このボロ屋敷というわけか」
「さようです。ペセタル様、私たち二人は隠密行動なのです。泊まる場所として廃墟はうってつけです」
「ふっ……おかしなものだ。数日前まではこの国の中心部にある王都で贅沢の限りを尽くした華やかな宮殿にいたというのに。最高級の羽根布団、ふかふかの寝台が恋しくなってきたよ」
私が固い干し肉をかみ砕いているとネリギュルは足元の荷袋からカップを取り出す。持ち帰った小樽の蓋を開き少し傾けて、カップに葡萄酒を注ぐ。自分で飲み干すのかとおもいきや、それをこちらに差し出した。私は礼を言い受け取った。
葡萄酒をぐいと喉に通すと酸い香りが舌の奥から体中に広がり身が引き締まる。頭がすこし冴えたせいか、私はふと考える。ラズモンの街がここまで荒廃してしまっているとは想像もしていなかった。私は飲み終えたカップを、ネリギュルに手渡しながら話した。
「ネリギュル。今、この目で見るまでラズモンの街がこれほどまでに荒れているとは思ってもみなかった。領主としては、放ってはおけぬな」
「ええ。もともとは“戦士の街”として名を馳せたこの街もいまや“ならず者の街”とよばれ、悪名のほうが勝っている始末ですよ」
「ネリギュルよ、“配達屋”(隠語、いわゆる諜報部と同義)として考えるこの街の問題は何だ?」
「問題を挙げろと言われればいくらでもあげることができますが。最近一番の問題を言えば、盗賊の存在です。この街にはいま組織立って動いている盗賊がいるようです。その連中が街の民からあらゆるものを横取りしているとか……黒の矢団と名乗っています」
「黒の矢団か……」
その時、屋敷の外から大馬のいななく声と大地を蹴る音が混ざりながら耳に飛び込んできた。私とネリギュルは飲み食いの手を止めて急いで屋敷の外に駆けだした。
屋敷の裏手に回り込むと、さっき木につないだ大馬二匹が怯える姿。その周りを取り囲む徒党。10人は下らない。そいつらが一斉にこちらに鋭い目をむけてきた。どいつも手にはナイフや弓を持ち身を包むのは何かの動物の毛皮。私とネリギュルが歩を進めると、そいつらのうちの一人がだみ声でたずねてきた。
「大馬に乗った紋章師一行とはお前たちの事だな?」
そうだといえばそうだが。私もネリギュルもこんな男に見覚えはない。私とネリギュルが顔を見合わせて黙り込んでいると、男は続けて質問を繰り出す。
「俺たちの仲間に手を出したのは、お前たちだな?」
ネリギュルが一歩前に出て男に伝える。
「悪いが、何のことかわからない。私たちはお前たちの事など知らないし、手を出した覚えなどもない。人違いだ。他をあたってくれないか」
「嘘をつくんじゃねぇ!! 俺たちの仲間に妙な魔術をかけて目つぶしをしたというじゃねぇか!」
「だから身に覚えがないといっているだろう」
私はネリギュルの肩にそっと手をのせる。ネリギュルは不思議な顔を私に向けた。私はそのネリギュルの顔に小さく話す。
「ネリギュル。さっきの話からすると、こいつらが盗賊“黒の矢団”なのではないか?」
「……その可能性はありますが……それがどうかしましたか?」
「このラズモンの街を立て直す“手始め”をしようじゃないか」
「……あの……ペセタル様、何度言えばわかるのですか、いま我々はウル一行を尾行しているのであり、隠密行動をしている最中であるのです」
「まぁ、よいではないか。隠密にも息抜きが必要だ」
その時黒の矢団の男が右手をかざして叫んだ。
「お前ら!! やっちまえ!!」
号令と同時に盗賊たちはいっせいにこちらに矢を番えた。次の瞬間には無数の矢が我々の体を貫いた。かと思ったが、風の紋章師ネリギュルは、その矢よりも早かった。すでに風の魔術である“風龍の反転”を唱えていたのだ。
こちらを目指していたはずの矢という矢はその軌道の向きを真反対にかえ、矢を飛ばしたはずの盗賊どもの手に見事命中した。矢を射た盗賊どもはみな、ぎゃっ、と押しつぶれた声を上げて後ろに倒れ込んだ。すでに半数以上は沈んだ。残りの盗賊たちが剣や斧を手に一斉にこちらに飛びかかってくる。私は闇の魔術を唱えた。
「……闇冥火急汝律令……暗闇の蛇」
私たちの足元の枯れた大地に映っていた木の影がぐにゃりといびつに揺れる。
そして、くねくねと動き出す。ずずず、と影が大地から持ち上がり、首をもたげ真っ赤な口を開いた。闇の蛇が飛びかかってきた盗賊どもに首のひとふりを食らわせる。強烈な薙ぎ払いで全員を吹き飛ばした。
「ぎいやぁあああああ!」
「ひぃいいい!」
「うひょーーーー!」
盗賊どもはそれぞれの悲鳴を上げて、かなたに吹き飛ばされていった。それを見ていた盗賊たちはわなわなと震えだしくるりと背を向けて走り去っていった。あとに残されたのは私とネリギュルと闇の蛇。なんともあっけない。私が闇の魔術をとくと蛇は霧散する。ネリギュルは、またわざとらしくため息をついた。
「ペセタル様……あなた様は、ほんっと~~~~~~~にっ。私の言う事を聞いたためしがありません。こうなったら隠密行動をしてくださいとは言わず、思う存分暴れてくださいといったほうがいいようですね」
「それならそれで、思う存分に暴れようぞ」
「はぁ……まったく」
「しかし、ネリギュルよ。わたくしたちはどうやら、あの盗賊どもに誰かと間違えられていたようだな」
「もうおわかりでしょう。盗賊どもが言った“大馬に乗った紋章師一行”というのはおそらくウル一行の事です。私たちは奴らの尻ぬぐいばかりしている。まったく忌々しい連中です」
ネリギュルはそういうと、悔しそうに歯噛みした。