仕事の依頼主 ペセタル・イルグランのこころ ②
八頭会議は無事終わった。私たちイルグラン家の一団が、王都を出てからはや数日。
王領を抜ける最後の外壁、第三の隔壁の検問所を通過したところで、私は箱馬車から降りたち、ひとり、大馬に乗りかえた。
護衛から受け取った真っ黒のフードローブを頭からすっぽりとかぶる。これは私のお気に入りの“夜陰のローブ”だ。珍しい黒麒麟の体毛と鋼鉄蜘蛛の強粘膜糸を縫い込んだ高級裁縫。
我がイルグラン領が誇る武具商人『ベルク竜具商人団』の名物鍛冶師、ラプスに作らせた最高の防御性能をもつ特注品だ。隣の護衛の一人が不安そうな声を上げる。
「ペセタル様、本当に我々はここで引き上げてしまっても構わないのですか?」
「何をそんなに不思議そうな顔をしているのだ。わたくしは今から立ち寄る場所があるのだ。お前たちは先に帰るがいいぞ」
「しかし、せめて一人くらいは護衛をお付けになっては……」
「護衛など必要ないといっているではないか。それともお前たち、わたくしの命令が聞けぬのか?」
「と、とんでもございません!」
護衛たちはしぶしぶ納得して私の前から去っていった。護衛たちの囲む馬車が先の森にはいり私の視界から消えさったころ。後ろから声がした。
「待ちくたびれました。ペセタル様」
「ほ……風使いネリギュルよ。お前は本当に神出鬼没だな」
「……風が私の存在を消し去るのですよ。かくいうペセタル様も、そのような夜陰のローブをまとってしまえば、まるで影のようにひそやかですよ」
ネリギュルはそういうと大馬に乗る私の隣に並ぶ。ちらと目をやると私と同じく大馬に乗ったネリギュルは頭を下げた。そして小さくつぶやく。
「ペセタル様。それでは、いまからウル達一行の尾行を開始します。尾行の際には私の指示に従ってください」
「……できうる限りはそうしよう」
「ウル達一行が目指しているのは、ここから南西にあるラズモンの街です。治安の悪い場所ですのであまり目立たぬようにお願いします」
「わかった」
私たちは大馬を走らせた。
ウル達が休めば私たちも休み、ウル達が進めば私たちも進む。つかず離れず。私とネリギュルは彼らを尾行した。尾行といっても、最初の行先はラズモンの街であることはわかっている。さほど神経質にならずとも問題はなかった。
そして、尾行を開始してほどなく、私たちはラズモンの街に入り込んだ。
大馬から降りて見渡す街路。あちこちに浮浪者のようなみすぼらしい格好をした男女が物を売っている。いや、物乞いをしているのか。
さらに街に入り込みある角を曲がった瞬間にネリギュルが手を下にかざした。私は慌てて立ち止まり、先に進もうとする大馬をなだめた。ネリギュルは壁際に背をつけて曲がり角の向こうをうかがっている。小さくつぶやく。
「……ペセタル様。さきほどビセの乗っていたヤクーが道端で死んでいます。どうも首に矢を射かけられているようですが……おっと、ビセともう一人、浮浪者のような男がヤクーに近づいてきます……」
私は足を忍ばせて進み、ネリギュルの足元にひざまずいた。そろりと壁際から顔を出す。たしかに、首から血を流して倒れているヤクーのすぐそばで、ビセと浮浪者が立ち尽くしている。しばらく見ていると、二人はヤクーの体を裏返した。次に前後にわかれて足をつかんだ。必死に持ち上げようとしている。私はネリギュルを見上げて聞いた。
「……さっきから、あの二人は何をしているのだ?」
「さぁ……ヤクーの死体をどこかに運ぶつもりなのでしょう。しかし、いくら移動獣のなかでも小さいほうの魔獣といっても、ヤクーの体は筋肉の塊です。あのようなバカげた方法で持ち上がるはずがない。実に考えの足りぬ者たちだ」
「ネリギュル、お前、随分とひどい物言いだな……ビセの事はお前も知っておるだろうに」
ネリギュルは小さく咳払いをして続ける。
「あの女は、吟遊詩人のビセでしょう。城の催し物の際に、何度か言葉を交わしたことはあります」
「顔見知りならば、一肌脱いでやろうという気は起こらぬのか……わたくしが行って来よう」
「なっ……いったいなにを。ペセタル様、おやめください。目立つようなことはしないというお約束です」
「わたくしの闇の魔術“影法師”をつかえばだれにでも成り済ませるのはお前もしっているだろう。お前はここで待ってれおばよい」
「ちょ……ペセタル様っ……」
私はネリギュルの制止を気にも留めずに、近くの道端に座り込んでいる小汚い格好の男に近づいた。見下ろした男の足元には、当然のごとく男の影。私はそばにしゃがみ込んで右手で男の影にそっとふれた。
「男、しばらくお前の影を借りるぞ……闇冥火急汝律令……影法師」
グイっと空間がゆがみパチンと戻る。男の影が私の影と入れ替わった。私の足元に黒いローブをかぶった私の姿。そして私が男に成り代わる。私は自分を見下ろして姿が入れ替わったことを確認すると、いそいでネリギュルの潜むまがり角を飛び出して、ビセたちのもとへ駆け寄った。
私とビセ、穴掘り屋となのる黒装束の男と三人でヤクーを持ち上げて、街角の墓地に運び込んだ。そして、墓地の隅っこ、空いている場所にヤクーを埋めた。上から土をかぶせ終わると、ビセは仮初の姿の私に礼をいってきた。
「ありがとう。本当に助かったわ」
「いいよ。お安い御用だ」
すると穴掘り屋と名乗った男はいましがたヤクーを埋めたばかりのこんもりとした土の前にひざまずいた。そして祈り始めた。両の手を組み、上に下にふる。その時、男の背中が小さく震えているのがわかった。これは泣いているのか。ヤクーの為に。私とビセはしばらく祈りをささげる男の背中を見つめていていた。
祈りが終わり、私は二人と別れてネリギュルのもとへ急いだ。ネリギュルは入れ替わった私の体を守るように腕を組んで立っている。その顔は実に不服そうだ。私は魔術を解いて元の体に戻った。これ見よがしに、ネリギュルは小さくため息をつく。
「ペセタル様、尾行の相手と直接接触をするとは、いったいなにごとですか」
「まぁよいではないか。どうせバレぬのだから。それにしても……ネリギュル」
「なんでしょうか?」
「尾行というのは、意外と楽しいものだな」
「何を馬鹿なことをっ、さ、ひとまず宿を探しますよ」
ネリギュルはそういうと大馬を率いて歩きだした。