不死人のフェイヨン族、メディアベル
メディアベルはそっと口を閉じた。
そして、階段を降りきる前、黒のローブをふわりとひるがえし背を向けた。そして、ふたたび二階に戻っていく。俺達はどうするべきかわからずに、ただただ、その小さな後ろ姿を見上げていた。俺のすぐ後ろからリラのささやき声がした。
「……ねぇ、ウル。あの人、フィヨン族なの……?」
「あぁ、特徴としてはそうだな。小さなからだに緑色の肌。一見頭から生えているのは白銀の髪にみえるが、あれは無数の触覚だ……」
「……あのヒトが、その天秤に置かれた、心臓の持ち主なのかな?」
「どうだろうな。ただ、あいつの反応から見るに、この天秤を知っている感じだったから、そうだとは思うが……」
「じゃ聞いてみましょう。行きましょ」
「……あ、お、おいっ」
リラは制止も聞かずに、俺の後ろから前にすり抜け、小走りに階段に駆けだした。俺とラプスもあわてリラを追いかけた。
いまにも底が抜けそうにきしむ二階フロア。俺達は、おそるおそる足を交互にすすめていく。どの部屋も扉がなく開け放たれているようだ。というよりも、おそらく、崩れて足元に散らばっている粉々の木がきっと扉だったものなのだろう。俺達は廊下を進んで、一番奥の部屋に入り込んだ。
開け放たれた部屋の窓からは緑の葉をつけた蔦が触手のように不気味に広がる。天井や床に枝分かれしてじっしりとはりついている。あちこちの壁は表面が崩れて骨組みが丸見えだ。そんな部屋の中央、小さな椅子に腰かけてメディアベルはいた。こちらを向いているメディアベルは口を開く。
「おもてなしなどできないけれど、よければ、どうぞ。ここがわたしの住む部屋だ」
俺たち3人はがらんとした部屋の中央あたりで立ち止まる。俺が口を開く。
「さっきの屍鬼たちとともに、この屋敷でひがな一日過ごしているっていうのか?」
「そうだよ。さびしいとか、つらいとか、そんな感情はもはや、無い。わたしも“不死人”だからね。食事も必要なければ、排せつすら必要ない。なにもせずとも、ただ生きていける」
果たしてそれを“生きている”といえるのだろうか。それって、ただの廃人じゃねぇのか。俺はどこか、とらえどころのない態度のメディアベルにたずねる。
「……このマアトの天秤の右側にのっかっているこの心臓は、フェイヨン族のものだと考えているんだが……これは、お前さんのものなのか?」
俺は腕に抱えていた天秤を足元の床に置いた。天秤の片方の皿にある小さい心臓。真っ赤に膨らみ、ゆっくりせばまり、ドクンドクンと波打っている。メディアベルはその心臓をぼんやりと眺めている。しかし、表情が変わることはない。メディアベルは、両の瞳をあげて、俺のほうを見る。
「この心臓がわたしのものかって? さぁ、どうだろうね。この天秤が誰のものかによるだろう……どうしてキミがこの天秤を?」
「話せば長くなっちまうから、簡単に言うが……」
俺は、この天秤の心臓にかけられた呪いを解くように依頼を受けた事を話した。依頼主が領主、ペセタル・イルグランである事。そして、この天秤の持ち主は、ペセタル・イルグランの実母である、エマニュエルという女性であることまでを伝えた。相槌もなく口をつぐんで聞いていたメディアベルは、どこか悲し気につぶやいた。
「……エマニュエル……か。久しい響き。でももう、彼女の名前を聞いても、わたしは何も感じない。それにしても……いま、この天秤を持ってわたしの前にキミが現れたということは……もしかしてエマニュエルが……?」
俺は返事に窮して思わず視線を一瞬そらした。しかし、メディアベルはすぐに悟ったようだ。
「そうか。エマニュエルは逝ってしまったんだね」
「気の毒だが……それでな、メディアベル。この呪いを解くのはエマニュエルの願いだそうだ。呪いを解くには“真実”を知る必要がある。お前さんと、エマニュエルの因縁とは……いったい何だ?」
「キミは、エマニュエルに直接会ったかい?」
「いや、俺が彼女の事を知ったときにはもうすでに……」
「そうか。そのほうがいい」
メディアベルはうつろな目で話した。