幽霊屋敷のあるじ様
近づくほどに遠くなる。そんな錯覚に陥るような幽霊屋敷だ。俺達はいつのまにか屋敷のまん前まで来ていた。
外壁一面にびっしりと深緑の蔓が絡まり、まるで屋敷を大地に引きずり込もうとしているようだ。二階建ての古びた石造り。人の気配はなさそうだが。
俺たちは大きな口を開いたままの入り口から玄関ホールに入り込む。足元には剥がれおちた壁面の残骸や、平板がボロボロと転がっている。砂とほこりまみれの床にはところどころに穴が見える。視線を先に向けると奥。いくつかの部屋につながっているようだ。
俺がラプスに続いて、さらに奥に進もうとしたとき、後ろでリラの小さな悲鳴がきこえた。俺はあわてて振り返る。今入ってきたばかりの玄関口の向こうに人影、しかも大勢。俺は咄嗟にリラの腕をつかむとを後ろに下がらせて、ラプスに小さく声をかける。
「……おいっ、ラプスのオヤジっ……」
「わかっとるわい……しかしな、すでに囲まれておるようじゃ」
「囲まれている? なにをいって、やが……」
俺が入り口から視線を外し、周囲を見渡すと、あちこちのガラスのない窓の外。無数のヒトならざる者たちの顔がうようよと蠢いて見えた。なぜだ、さっきまで全く気配を感じなかったってのに。すでに屋敷の周り、あちこちにいる。俺とラプスがリラを中央に前後を挟んで身構えたその時、頭上からくぐもった男の声が耳に届いた。
「……森の番犬の奴がキャンキャンと騒々しいと思ったら……本当に客人がおとずれるとは油断したよ。不死人以外の者が、この屋敷に足を踏み入れるだなんて実に何年ぶりか。喜ばしい事なのだけれど……しかし、いまからする質問の返事によってはキミたちも、そいつらと同じく屍鬼となろう……では、質問だ。キミたちは何者だい?」
今にも入り口からなだれ込んできそうな骨と皮だけの亡者どもを俺はじっと睨みつける。うつろな目の連中は、さっきよりもさらに数が増えている。この数はかなりまずい状況だ。俺は慎重に言葉を頭に浮かべながらゆっくりと質問の返事を考える。
嘘は通用しない男。そう直感が告げている。ここは正直に話すのがベストだ。俺は口を開いた。
「……ま、まぁ待て。こいつらが屍鬼ってことは……お前さんは“死霊の紋章師”だな。俺は呪いの紋章師、ウルってんだ。別にお前さんの屋敷を荒らそうだなんてこれっぽちも思っちゃいねぇよ。ただ、ちょいとばかり調べ物があって、たまたまこの屋敷に迷い込んじまっただけだよ」
「……不死人の集落を抜けて、さらにその奥。この谷底の屋敷にたどり着いておいて“たまたま”というのは無理があるね。目的を言ってくれないか」
「わ、わかった、ちょっと待てよ……」
俺は深く息をすいこんでから、ゆっくりとはいた。これって返事を間違えたら、死ぬよなたぶん。俺は屍鬼どもからいったん視線を外して、気持ちを落ち着かせる。背中の荷袋を前に担ぎなおして、木箱を取り出す。そして蓋をあけて中から金に光る天秤を素早く取り出した。両手に持つと、見えやすいように頭の上に掲げて姿の見えない男に伝える。
「この天秤は呪いの道具だ。俺はこの天秤にかけられた呪いを解く為にここに来た」
周囲からは屍鬼たちの唸り声が低く続いている。しばらく待つが、返事が遅い。俺がもう一度話そうと思った時、男の声が再び聞こえる。
「……まぁ、いいだろう。しかし、忠告しておくけれど、この屋敷の周りには何十匹という屍鬼がいることを忘れないで欲しい。変な真似をすればすぐにでもやつらがキミたちに襲いかかるだろう」
「あぁ、わかった。何もしねぇさ。本当だ」
「……散じよ」
男の声が響いたかと思うと、屋敷中を取り囲んでいた無数の屍鬼はあっという間に消え去った。しんと静寂が戻る。俺がため息をついて、振り向くと、リラとラプスも構えていた手をおろし警戒を解いた。二人とも血の気が引いた青い顔をしている。
その時、右手側奥のすすけた階段から足音。俺達3人がほぼ同時に目をやると、あちこちひび割れた階段を踏みしめて、声の主が姿を現した。全身黒ずくめ。足元までのローブを揺らしながら、男は階段を下りきる数歩手前で立ち止まる。銀に光る髪を後ろで束ねてくくっている。しわひとつないつるりとした顔は、緑色の皮膚。そして、ラプスと同じく非常に小柄。
間違いない。この容貌。こいつは、小妖精族だ。男は表情を動かさずに、ガラス玉のような目玉だけを動かした。こちらをながめて話す。
「この幽霊屋敷の主。死霊の紋章師、メディアベルだ。ガルムが黄色い声で鳴いていたのは君たちのせいなのかな?」
俺はすぐさま詫びる。
「あ……す、すまねぇ、もしかして、あのガルムはこの屋敷の番犬だったのかい?」
「そうだよ。やつも屍鬼だ。もし、まともに戦っていたら絶対に勝てない相手のはず。なにせ、すでに死んでいるのだから。キミたちがやった“追い払う”という選択が正解さ」
フェイヨン族のメディアベルは、俺の手元を見て、続けて話した。
「君の手にあるそれが呪いの元凶なんだね」