本物
まさに全身白づくめの女。
彼女はついに観念したのか、ゆっくりと立ち上がると、寝台に戻り、投げやりに腰を下ろした。そして、虚空を見つめながら自分の名をこう名乗った。
「……私の名は、リゼ……リゼ・ステインバード」
聞き覚えのある名前。俺はつい首かしげ、胸ポケットにいるキャンディと顔を見合わせる。
ふざけているのか。しかしそういう雰囲気でもない。
キャンディは不服そうに左右の耳を器用に動かし時計回りにぶんと一振りした。
俺は視線を女に戻す。
「何を言っている。その名は、俺の依頼主の名だ」
「ふふ……でしょうね。だって、アイツは私の”ニセモノ”なのだから」
「偽物だと……?」
この状況になって、今更こんな嘘を言うとも思えない。
次の瞬間、女は純白の手袋に包まれた手を、おもむろにその仮面に乗せる。
そして、すっと横にはがした。
白い仮面に隠されていた女の顔。
その顔を見て、胸もとのキャンディは「きゃっ」と小さく悲鳴をあげた。
女の左右非対称の表情は、あちこちがピンクにふくれあがり痛々しい皮膚の裂け目がならぶ。
おそらく、右の眼球はすでにつぶれている。かろうじてうすく瞼が付いている程度。
口元は無様に開いたまま、歪み、うまく閉じてすらいない。
俺は目をそらさずに、じっとその顔を見つめた。
視線が交わった途端に、女はすこし恥じらうようにうつむいてから、仮面を顔の上に戻した。
俺は女にたずねる。
「で、その話をどうやって信じろってんだ? お前さんが、本物のリゼ・ステインバードだという証拠でもあるのか?」
「そんなもの……ここにあるわけないでしょ。ここにいるのは全身が焼けただれた、女の抜け殻なのだから……」
その時、俺の胸ポケットからキャンディが飛び出した。床に着地すると、ゆっくりと彼女の足元に近寄る。彼女を見上げて、話しかけた。
「ねぇ、アンタの話を聞かせてよ」
女は動くぬいぐるみに驚いたのか、一瞬身を引いた。
しかし、仮面越しに小さく笑うと、ぽつりぽつりと話し出した。
リゼは、ステインバード家の長女として小さな頃から大切に育てられていた。
可憐な少女はいつしか、女ながらにステインバード商団を継ぐことを夢見ていたそうだ。
しかし、彼女の父であるミカエル・ステインバードは商団は息子に継がせて、リゼと妹は貴族に嫁がせたかったようだ。
ミカエルは商売をする上で、貴族と平民の差というものをよく嘆いていたらしい。
貴族というだけで、全ての取引が優遇される、と。
そのうち、ミカエルは、次第に不公平な世の中の仕組みを、貴族という存在そのものに原因があると考えはじめた。そして貴族を羨望のまなざしで眺めると同時にひどく嫌悪し嫉妬した。
女はつぶやく。
「お父様と私たち家族は商売のために、各地を転々としていた時期があったの」
「どうして、家族みんなをあちこちに引き連れていく必要があるのよ?」
キャンディの問いに女は答える。
「お父様はね、私と妹をあちこちの貴族たちに引き合わせたかったのよ。どこでいい出会いがあるかわからない、なんて言ってね」
「ふうん……なんだか、身勝手な親ね」
「そうかもしれないけど。私は苦じゃなかった。もともと旅が好きだったし、あちこちの町や村を巡るたびに心が躍ったわ……でもね、そんな楽しい日々の裏側で、残酷な運命は息をひそめて忍び寄っていたの……」
ある時、ステインバード商団が商売の為に各地を転々としている道中、盗賊に襲われてしまったそうだ。
ステインバード家の人間たちは護衛たちに守られ命からがら逃げ延びることができた。
しかし、運悪くリゼだけが盗賊の手に墜ちてしまったのだ。
盗賊たちは、他の家族に逃げられたはらいせにリゼを凌辱した。
そしてあろうことかリゼを小屋に閉じ込め柱に縛り付けたあげく、外から火を放ったのだ。
いきたまま、彼女を火であぶったのだ。
無残に焼け落ちていく小屋のなか、灼熱の空気に胸を焦がされ、闇のような煙に飲み込まれていく。
その時の彼女の絶望は、計り知れない。
なんとか、助けに来た護衛団のおかげでリゼは奇跡的に一命をとりとめた。
しかし、その姿は目もあてられぬほどに変わり果ててしまった。
そして、変わり果てたリゼを待っていたのは、さらなる悲劇。
父、ミカエルの裏切りだった。
娘を貴族に嫁がせることだけを考えていたミカエルはリゼを捨てた。
本物のリゼを奴隷として娼館に売り払った。
そして娼館で見つけた美しい娘をリゼと称して迎え入れた。
ミカエルが、娼館に閉じ込められたリゼにはなった最後の一言。
”醜い女に価値はない”だった。
その後、ミカエルは、偽物のリゼを実の娘と偽り、ルルコット領主の息子マルコと結婚させようと画策したのだ。
偽物のリゼを使って、貴族に成り上がろうとしたのだ。