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画家とモデルのご関係



 俺が部屋に飛び込むと、寝台に足を伸ばして座っているリラの姿が目に入る。よかった。ゆるんだ心の底から安堵の吐息があふれた。全身の力が足さきからぬけていく。




「ほぁぁぁ~~~~~~……心配したぜぇ……リラァ」




 俺の言葉に、リラは小さく微笑んだ。その時、俺の後ろからデウヘランの声がした。




「せっかくのところ悪いが……お前たちは早めにここを出たほうがいい。黒の矢団(ブラックアロウズ)の連中はいずれここをかぎつけるだろう」

「……けっ、お前さん、実にせっかちな奴だな」

「悪いな。残念ながら、ここはもう祈りをささげる場でも、恵みを施す場でもない……お前たち、まさかとは思うが……この教会に入り込むところを誰かに見られてはいないだろうな?」

「あぁ……そういえば、ここに俺たちを案内してくれた男が一人いる。穴掘り屋と名乗るやせっぽちの男だ。肩に(くわ)を担いでいたが、俺たちの居場所を知っているといえばあの男くらいだ」

「あぁ……そうか。その方ならば大丈夫だろう。お前たちの居場所を誰かに漏らすことはない」

「なんでぇ、まるであいつの事をよく知っているって口ぶりだな」

「もちろんだ。あの方は、もともとこの教会の神父だったお方だからな。ワタシはあの方の許可を得てここに住み始めたのだから」

「し、し、神父だって!? あの男が?」

「黒い祭服を着ていなかったか? あの方はこの教会のミリリア神父だ。少し事情があっていまはあんな風体で街の中をさまよってはいるが……立派なお方であることに変わりはない」

「あの穴掘り屋が……神父様だとは……こりゃ驚いた。へましちまったよ」




 なんと、俺は神父様に道案内をさせたうえに、金貨を渡して、施しを与えようとしてしまったってことかいな。かぁ、こりゃすまない事をしちまった。デウヘランは俺のやらかしなどには全く興味がない様子で続けた。




「まぁ、ここで夜を明かすくらいはしてもらってもいい。しかし黒の矢団(ブラックアロウズ)がここにきても、ワタシではお前たちを守ることはできないぞ」

「わかった。とにかくお前さんに迷惑はかけないようにするよ」

「その言葉、信じるぞ。それにしても、そこの少女は随分と疲れているようだな。着替えが済んだら祭壇向こうの部屋に来るがいい。一応あちらの部屋が食事場と炊事場を兼ねている」

「お、じゃ、今夜はこの部屋を使わせてもらってもいいのかいい?」

「ワタシとしては不本意だが仕方がない。ミリリア神父がお前たちをここへ案内したのだから。ミリリア神父の意思に従う」

「そうこなくちゃな!!」




 俺とデウヘランはもう一度部屋を後にして教会の外に出た。周囲の風景は茜色に塗りたくられている。デウヘランは俺の少し先を歩き、きびきびとした動きで裏庭にある墓地に向かった。足元に並ぶ無数の墓石に囲まれながら、俺たちはさらに奥にむかった。


 そして、一つの墓石の前でデウヘランは立ち止まる。顔だけ振り向いて俺に目くばせした。俺はデウヘランの隣に立ち、ひざ下くらいのたかさの墓石を眺める。まだ新しそうなきれいな灰色の石の墓標。ひらべったいその表面にはこう削られていた。“エマニュエル”と。


 たしかペセタル・イルグランから聞いた彼の母親の名前のはずだ。俺はひざを折り曲げてその墓標のまえで手を合わせた。祈りを済ませて、俺がすっと立ち上がると同時にデウヘランが口を開く。




「あのマアトの天秤の持ち主が、ここに眠るエマニュエルだ」

「なるほどな。で、どうしてお前さんが、そのエマニュエルの持ち物であるマアトの天秤をペセタル・イルグランに送りつける羽目になったんだい?」

「頼まれたからさ。ただ、それだけだ。嘘か本当かはしらないが、エマニュエルは死ぬ少し前に、自分はペセタル・イルグランの実母だと話した。ただ、自分は悪い母親だから息子に合わせる顔がない、もう二度と会う気もない、とも話していた。あの天秤はエマニュエルが死んだあと、彼女の部屋で見つけたのだ。彼女の手紙とともにね」

「手紙……その手紙にあの天秤を息子に送ってくれとでも書いていたのか?」

「そうだ。ワタシから話せることは、正直それくらいしかないかな。ああ、そうだ、それとエマニュエルの遺体を、彼女の部屋で最初に見つけたのは、ミリリア神父だ」

「あの……あの穴掘り屋が……ねぇ……」




 ペセタル・イルグランの実母であるエマニュエル。いってみれば七大貴族の一員であるはずの彼女がこんな貧民街に住むことになる理由はなんだろう。一人だったのか連れがいたのか。なんだか雲をつかむような話で、わけがわからないことだらけだな。いったい何から手をつければいいのやら。夜の風が俺の頬をなでた。足元からふいに寒気が襲う。


俺はデウヘランにたずねる。



「デウヘラン、ところで、俺がペセタル・イルグランから聞いた話では、お前さんは肖像画家だと聞いたが……お前さんとエマニュエルはいったいどういう間柄なんだ?」

「……なんだ知っているのか……エマニュエルとの関係か。そうだな、彼女はワタシの……絵の対象物(モティーフ)だったんだ」

「……ん、すまん、話がよくわからんのだが。芸術的な何かだったってことか」

「そうだ。お前も彼女の実物を見ればわかっただろう、この言葉の意味が。彼女の美しさはまるで凶器だった。見るもの全員を傷つけるほどの美貌だ。誰もが彼女の存在に陶酔しそして嫉妬にさいなまれた。人物を描く肖像画家としては彼女を描かずにはいられなかったんだよ」

「ほぉん……ま、とてもいい女だったてことか」

「簡単にいえばそうだ。それゆえとでもいうのか、称賛とともに、災難をも呼び寄せてしまったんだろう。最後はこんな薄汚い街にたどり着き、だれにも看取られずに孤独に死んでしまった」



 デウヘランの頬は夕日にそめられて赤くひかった。遠い記憶を見つめるようにデウヘランはエマニュエルの墓標を眺めている。まるで恋人を見つめるような瞳。デウヘランは確か女だよな。



「デウヘラン、悪いが俺の仕事はあの“マアトの天秤”の呪いを解くことだ。つまりそれはあの呪いの心臓の持ち主を探すことと同義だ。あの心臓の持ち主は生きている、そいつを探し当てるのが今回の依頼のカギなんだ」

「なるほどな……」

「お前さんとエマニュエルが……その、なんだか、ただならぬ関係というのならば深く詮索する気はないんだが……俺としちゃ、あの天秤の呪いを解くヒントがあれば教えてほしいというだけなんだよ」

「ふっ。そうだったのか。悪いな、変な気を遣わせてしまって……あの心臓についてワタシが知ること、か」

「ああ、何でもいいんだが。心臓を抜かれているってことは……そいつには死に関する呪いがかけられているのかもしれない」




 デウヘランは、急にぱっと眉をひろげた。そして話す。




「そうだ。この街のさらに南にある谷底に“不死人(ふしびと)の谷”とよばれる集落があるそうだ」

「ふしびとのたに?」

「ああ、それがその心臓の持ち主と関係しているかどうかはわからんが……そこには様々な理由で世間から隔離された者たちが住んでいるという話だ」

「ふうむ、ほかに手がかりもないし、ひとまず行ってみるかな……」




 デウヘランはどことなく心配そうな声を上げる。




「だが、正直この街よりもさらに危険なところだ。異種族や魔獣も住み着いている谷の底なのだから」

「ま、まじかよ……もう勘弁してほしいぜ。そうだ、このあたりで武器や防具を売っているような町や店はないか? 装備品をそろえたいんだが……」

「本当に不死人の谷にいく気ならば、確かに装備はそろえたほうがイイな。『ベルク竜具商人団』の店が一番品ぞろえがいいだろう。残念ならがこの街に彼らの店はないが、隣町にたまに出店を構えているはずだ。あとで場所を教えよう」

「たすかる。ありがとよ。じゃ、そろそろ帰ろう。妙に冷えてきやがった」




 振り返ろうとする俺を引き留めるようにデウヘランはささやいた。




「ウル……だったか」

「ん? なんだ?」

「……お前の察する通り、ワタシは女の身でありながらエマニュエルに恋心に近い感情を抱いていた。しかし、今となってはそれもよくわからない。画家として、被写体として彼女をもとめていたのか。それとも、一人の人間として彼女を求めていたのか。とにかく、彼女の手紙にはあの“マアトの天秤”を息子に届けてほしいという事が書かれていた。そして、その息子からの依頼でお前がここへ来た」

「まぁ、そういうことになるが……それがどうしたんだ」

「……孤独に死んだエマニュエルの魂を救ってあげてほしい。ワタシからも……お願いする。この墓標に、空になったあの天秤を、そなえてやりたい」




 デウヘランは、静かにそういった。


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