マルカブア通り9号の教会
穴掘り屋を追うように並び、荒廃したラズモンの街の中をすごすごと進む。
押し黙った俺たちはまるで亡者の行進だ。静けさに耐えかねたのか、俺の背中で眠るリラを、横から眺めていたビセがふいに話しかけてきた。
「ねぇ……ウル。リラって紋章師なの?」
「ん……まぁ、そんなところだな」
「アタシは“そっち系”の話はよく分からないけど。紋章師になるには登竜門である“天資の儀式”を受けなきゃならないのよね?」
「そうだな。どれぐらいの期間だったかな。儀式通過までには二十日間くらいはかかったかな。それは、それはとっても厳しい儀式だぜ。単なる儀式ってだけじゃなくて基本的な剣術や魔術知識の学科試験だって行われるからな」
「アタシみたいな平民なんかには、剣術を習う機会もなければ、馬鹿みたいに高価な魔術書を買うおカネだってないわ。そもそも文字が読めない人だっているんだから。ウルだってどうせお金持ちなんでしょ?」
ビセはどことなくふてくされたように口をすぼめた。なんだ、ビセの奴、そんな風に思っていたのか。
「ま、たしかに紋章師になるにはある程度の金は必要だな……だが、紋章師になっている連中のなかには貴族や金持ちじゃないやつもいる」
「そうなの?」
「そうさ。俺に呪いの魔術を仕込んだテマラって呪いの紋章師がいるんだがな。お師匠はもともと孤児奴隷の身分だったんだぜ。そこから死に物狂いで一人で学んで、15歳の頃に“天資の儀式”をうけて見事通過した。はれて紋章師となったすごい爺さんだ。まぁ昔は相当なワルだったらしいが」
「へぇ、すごいね。その人は今どうしているの? まさか宮廷魔術騎士団にでもなった?」
「まさか! 俺と同じさ。野良の紋章師ってやつだ。俺のように呪い関連の仕事の依頼を受けて金を稼いでいる。まぁ、お師匠の場合は俺の仕事の仕方とは随分と違うがな」
ビセは興味深そうにこちらを眺めている。その時、ふとビセの目が俺がおぶっているリラに向いたのが分かった。
「ねぇ、ウル。アタシ、リラが15歳になっているようには、見えないんだけれど。リラも“天資の儀式”をうけて紋章師になったの?」
「あ、あぁ……まぁ、そうだな」
「リラは何の紋章を授かったの?」
「なんだっけかな。俺もあんまり知らないんだよ」
「え? なんか怪しいなぁ。でもさっきリラって大馬の傷を治していたでしょ。あれは治癒術よね。治癒術を扱える紋章師って言ったら“祝福”の紋章師でしょ?」
「まぁ……そうだな」
くそう。さっきから、なんだってこんなしどろもどろの返事をしているんだ俺は。嘘ついてますって言っているようなもんじゃねぇか。リラには素性を隠せと言っておいて、こういう質問には何の準備もしていない俺、まったくもって阿呆の極みだな。
その時、俺たちのやり取りを遮るように前から穴掘り屋の声がする。
「ひぇひぇひぇ……あんたはその子の話になると途端にグズグズするねぇ……ひぇひぇひぇ、お嬢ちゃん、そちらの紋章師どのは、その背中の子の事はあまり話したくないようだよ。詮索はよしたほうがよさそうだ……ひぇひぇひぇ……さ、ついたよ。あそこがマルカブア通り9号の教会…デウヘランの棲み家さ」
穴掘り屋は枝のような腕を伸ばして指さした。俺とビセはその先を見据える。少し先の開けた道の先に、枯れ木に囲まれた建物。空に突き出た三角屋根が見えた。あれが目的地の教会か。俺達は先を急いだ。
教会にたどり着く。見上げる壁は薄黒く汚れている。きっともともとは白かったんだろうと連想することはできるが、もう何年も手入れをしていないことがすぐにわかる。正面のドアは開け放たれたまま。俺達は大馬も連れて、そのまま教会の中に入り込んだ。途端にひんやりと冷たい空気が体を包む。
中には何もなかった。
普通、教会といえば正面には豪華な祭壇。そちらをむいて椅子が秩序だって並んでいるはずなのだが、文字通りこの教会には何もなかった。がらんどうだ。穴掘り屋がのっそりと俺たちに振り返り口を開いた。
「ひぇひぇひぇ……ここは誰のものでもない、みんなの場所さ。好きに使うがいい。暖が欲しけりゃ、裏の倉庫にある程度のものはそろっているよ。錆びついた鉄の燭台や、くさった薪、かび臭い寝具。着替えが欲しけりゃ神父が着るような祭服もあるよ……ネズミが食い散らかした穴だらけのものがね……ひぇひぇひぇ……」
「ありがとよ。ところで、肝心のデウヘランという男が見当たらないが」
「デウヘランは昼間はよその街へ出稼ぎに出ているよ、ここにもどるのは夜だろうね……それに、あんたは、一つ大きな間違いをしている」
「なにがだ?」
「ひぇひぇひぇ、デウヘランは、男ではなく女だよ」
「お、女? そうなのか、俺はてっきり……」
「思い込みとは恐ろしいねぇ……そうだなぁ、もう少しつたえておくならば、デウヘランは男のような女だ、ひぇひぇひぇ……それじゃあな……俺はここでおさばだ」
「そうか、ありがとよ。これはすくないが……」
俺は胸のポケットを指でまさぐると硬貨を取り出した。穴掘り屋のそばにより、差し出した。穴掘り屋は俺の手をじっと見つめて首をかたむけた。俺の手にある金貨を眺めて、穴掘り屋は不思議そうな声で聞いてきた。
「……なにかな? これは」
「獅子の金貨だ。こんなもので悪いが、お礼だ。ここまで案内をしてくれた感謝の気持ちさ。差し出せるものが、今はこれくらいしかなくてすまないが」
「……ひぇひぇひぇ、いらないよ、こんなもの……。こんなものをこの街で持ち歩いていたら命がいくつあっても足りはしない……そうだな、こうしよう。もしもお前たちがこの街で死んだら、お前たちのために穴を掘らせておくれ、俺にはそれで十分さぁ……ひぇひぇひぇ、俺はこの街の唯一の良心なのだから、ひぇひぇひぇ」
穴掘り屋はそういうと金貨などには何の興味もないといったそぶりで背を向けた。そして不自然な足取りで教会の出口に向かっていく。その時、ビセが穴掘り屋を呼び止める。
「ねぇ! 穴掘り屋さん!」
穴掘り屋はふと、立ち止まった。ビセが優しい声で穴掘り屋の背中に話しかける。
「さっきは、あの……本当にありがとう。あの子の……ヤクーのお墓を一緒に作ってくれて。アタシあなたの事忘れないよ」
「……ひぇひぇひぇ……お嬢ちゃんがあのヤクーの為に墓の前でうたった歌……よかったねぇ。とてもきれいな澄んだ歌声だったよ……まるで天使の歌声だ。まぁ、俺は天使になんてあったことはないがねぇ……この街で出会えるのは悪魔だけなのだから、ひぇひぇひぇ」
穴掘り屋はそういうと、こちらを一度も振り返ることなく去っていった。