呪具『マアトの天秤』
ペセタルは、ゆらゆらと揺れながら今回の依頼について話し出した。
「まず、あの金の天秤は“マアトの天秤”と呼ばれている呪具のようです。そして、最後の持ち主はわたくしの母、エマニュエルだったようです」
「ん? ……なんだか随分と煮え切らない言い方だな」
他人事のような口調が気になり、俺が問いかけると、ペセタルは小さく笑いさらに続けた。
「ええ。正直なところ、わたくしはあの天秤に関してはあまり調べておりませんし、母の事すらよくしらないのですよ。もはや、いまさら知りたくもない。だというのに、何の因果か。あのマアトの天秤がわたくしの手元に巡ってきた。その為に仕方なくウル殿に仕事を依頼した、というところです」
「しかし、お前さん、さっきは、あの天秤に乗った心臓の呪いを解くことは、母に対する親孝行だとかなんだとか言っていたじゃねぇか」
「そうです。おそらく最初で最後の母親孝行となるでしょうけれど、わたくしは実の母親であろうエマニュエルにはあったこともないのです。母は生んですぐにわたくしを捨てたのでね。母の名は知れど、顔も知らねば、愛も知らぬ。そういう間柄なのです。母についてわずかながらに知っていることといえば……エマニュエルという名前、舞踊家であったこと、見境なく男と寝るような性に奔放な女。そして、最近どこぞの貧民街でみじめに野垂れ死んだという事くらいです。ろくな話がありませんが」
大貴族イルグラン家の領主の母親が貧民街で野垂れ死にだと。どうにも複雑な家族関係のようだな。母親の事を話す時のペセタルの口ぶりは、どこか憎らしさを潜めている。ま、俺の家族、べリントン家もさほど理想的な家族ともいえねぇが。ペセタルは押し黙っている。俺は聞いてみた。
「そんな話を俺にしちまっていいのか? 世間体のある大貴族にとっちゃ醜聞ともとれる話だが」
「かまいませんよ。すでにそれなりに広まっている話でしょうから」
「なるほどな……で、ほかには?」
「そうですね。あの天秤をわたくしに送りつけてきた男の居場所はわかっています。おそらくその男が母を看取った人物でしょう。ひとまずその男に話を聞きに行ってみてください。肖像画家だという話ですが詳しくはよくわかりません。わたくしからお話しできることはこれくらいです。マアトの天秤の現物は、今はイルグラン領の居城に保管してあります。必要であらば早馬を飛ばし、すぐにでもここ王都に届けさせますが……」
「そうだな、できればそうしてくれ。ただ一つ心配なことがあるんだが」
「ほっほっほ、ミーゴス・べリントンの件ですか?」
「ご名答」
俺の“傀儡術”を使い偽物のミーゴスで宮廷魔術騎士団を欺いたことは事実だ。もしも俺たちを捕まえようとするような、なんらかの動きがあるようならばあまり王都に長居はできない。できれば明日の朝にでも王都を発ちたいところだが。俺の心配を察したのかペセタルは少し柔らかい口調で話してきた。
「大丈夫ですよ。ウル殿たちに対する処罰などはありません。偽物のミーゴス・べリントンを連れ帰ったと気が付いて青い顔をしていた宮廷魔術騎士団のところに、本物の彼が戻ってきたらしいですから。あの件はその場で終わったようです。もちろん、わたくしがウル殿にこうして今、会っていることなど、わたくし以外は誰も知りませんのでご安心ください」
「そうかい、じゃ、しばらく王都にいても大丈夫かな」
「ええ。ただ目立つような行動は控えてください。もしも、今後はビセと別々に行動をするようならば、イルグラン家からの“王都通行証”をウル殿に発行することもできます」
「お! そいつはありがてぇ。じゃお願いしてもいいか?」
「もちろんです。その代わりできるだけ早く、今回の仕事の解決をお願いしますよ」
「わかった。しばらく王都を見学した後、仕事に入ることにしよう」
ペセタルは、部下に俺用の通行証を届けさせることを約束してくれた後、夜の王都に消えていった。これで、しばらくはリラの奴に王都の見学させてやれそうだ。俺は宿に戻った。