闇の紋章師、ペセタル・イルグラン
夜の王都は実に幻想的だ。
俺のいる噴水広場を囲むように、均等にならぶ街灯。その先端にともる魔術の火は青白くきらめき、漆黒のローブをまとったペセタル・イルグランを方々から照らしていた。
巨大な馬の上にゆらゆらと浮かぶ影法師。なんとも、不気味なほどに大きな男だ。その割にまるで気配を感じさせない。俺はその大きな影に話しかける。
「イルグラン家の領主様がこんな夜更けにひとりで外出だなんて、大丈夫なのかい?」
「ほっほっほ。自分ひとりの身を守るくらいはたやすいものです。特にこういった宵闇の中ではわたくしの魔術もよく映えるというもの」
「なるほど。お前さんも、紋章師というわけか?」
「さようです。わたくしは闇の紋章を授かった”闇の紋章師“です。ウル殿とわたくしはある意味同類。紋章師の中でも忌避される黒魔術とよばれる部類の魔術を扱う紋章師ですからね。あなたも、つらい思いをしていることでしょう」
ペセタルはゆらりと揺れながら、馬を数歩横に移動させる。目深にかぶった奴のフードの奥に目をやるがまるで空洞のように顔も何も見えない。すでに闇の魔術でも使っているのだろうか。俺は奴の動きに警戒しながら問答を続ける。
「つらいおもいをしたかって? そうでもねぇさ。俺はいまや単なる世捨て人。つらい思いをするほど他人とかかわりがねぇしな。ただ、お前さんみたいに一国の領主ともなれば、そうはいかないだろうが」
「ふふふ。闇、呪い、死霊、獣などの紋章を授かった紋章師は、その魔術の性質上、邪悪な心に支配され“闇落ち”する危険が高いといわれていますからねぇ……まぁ否定はしません。黒魔術の根源は他者を苦しめることにありますから。それに、生きとし生けるものは皆、易き悪しきに流されやすいものです。顔に仮面をつけただけで、人の残虐性というものは大きく跳ね上がるのです。あなたも一度くらいは考えたことがあるでしょう。目の前でのさばるエリートぶった宮廷魔術騎士団どもをぶちのめしてやりたいと」
「ほっ、怖いことを言うねぇ。悪いが同意はできない。というよりも、俺はそんなことを思うほど、赤マントに興味もねぇ」
「ほっほっほ……これは失礼しました。さて、今回あなたに依頼した仕事の件に話を移しましょうか」
ペセタルは手綱を握りしめたまま馬上から話を続ける。
「あの金の天秤に乗っていた“呪いの心臓”はご覧になりましたか?」
「待った。その前に」
俺は手をかざしていったん会話をとめた。ペセタルは言葉を飲み込む。どうにもつかみどころのない奴だ。カネの話は最初にしておくのが吉。
「詳しい仕事内容を聞く前に、まずは報酬の話をしようじゃないか」
「……なるほど。で、お幾らほどお渡しすればいいのでしょうか」
「あの金の天秤に乗った呪いの心臓の持ち主を探し、呪いを“解呪”するまでの仕事ならば獅子の金貨300枚といったところだ。しかし、呪いの心臓の持ち主を探すだけというのならば、もう少しまけてもいいが、どうだ?」
「獅子の金貨300枚……ふむ。いささか高額な気もしますが仕方がありません。それで手を打ちましょう。あの呪いの心臓にかけられた呪いを解くことは、わたくしの母の望みでもあります。きっとこれが、最後の親孝行となるでしょうから。息子としては奮発するべき機会でしょうね」
母の望みだと。妙なことを言いやがる。こいつが何歳なのかはまったくもってわからないが、不気味な風体から意外な言葉が出たな。少しの間を取った俺にペセタルは聞く。
「妙に黙り込んでしまいましたね。母の話が出たのが意外でしたか?」
「いんや。ま、報酬さえくれるのならば、お前さんの身の上などを詮索する気はない。しかし、一つ聞かせてくれ」
「ひとつでも、ふたつでも、なんなりと」
「どうして俺なんかに仕事の依頼をしてきたんだ。イルグラン領とべリントン領は遠い。王領をはさんで国の正反対にあるってのに。呪いの紋章師ならば、探せばお前さんの治めるイルグラン領にもいくらでもいるだろうに」
「ふふふ。単純に、興味があったのですよ。呪いの紋章師といえばふつうは“呪いをかける”ことに注力するもの。しかしながら、あなたは“呪いを解く”事を生業にしているとの噂話を聞きましてね。いったいどのような男なのか会ってみたいと思いまして」
その時、ふわりふわりと、うわついていペセタルの動きがぴたり、と止まった気がした。なんだろう、なにかの合図か。まだこの男を信用するには足りない。こいつは宮廷側の人間だ。護衛でも引き連れてきて、今日の昼間、赤マント達をあざむいた件で俺をとっ捕まえたっておかしくはないんだ。俺は周囲に人影がいないことを確かめて話す。
「そりゃどうも、で、実際に俺に会ってみてどうだ?」
「わたくしが想像していた人物像とは違いました。てっきり清廉潔白な聖人君子のような男がくるものだとおもっていましたが」
「期待に沿えず、わるいな」
「いえ。むしろ、妙に納得できましたよ。嘘くさくないとでもいいましょうか。ところで、ウル殿。我々のような黒魔術を扱える者を宮廷紋章調査局が忌避する理由は何だと思いますか?」
それにしても、よくしゃべる奴だな。
俺は今のペセタルの問いにふと考えを巡らせる。俺が呪いの紋章を授かった時、俺の父の反応は想像以上の“拒絶”だった。ペセタルの言うように黒魔術というものは根本的に他者を苦しめ、不幸にするための邪悪な魔術とされているのだ。そういったものを嫌うのは、心情として仕方のないものだとは思うが。俺はペセタルの問いに答える。
「宮廷紋章調査局が俺たちのような黒魔術をあつかう紋章師を嫌う理由、なんてものがあるのか? 俺は、単なる魔術の性質上での選別だと思っていたが……」
「ふふ……私の見解はこうです。先ほども言ったように人は悪しきものに流されやすい性質がある。そして悪しきものに流されてしまった場合、何が起こるのか。心が決壊するのですよ。法、道徳、倫理などというものがどうでもよくなり、タガが外れる。様々な束縛から解放されるのです。心の決壊とともに力の決壊がおこる。“闇落ちした紋章師”とはつまり心が壊れ、力が解放された紋章師の事を指すのです」
「……小難しい話はお断りだぜ。正直、お前さんの言っていることはよくわからん」
「わかりませぬか。魔力の源は精神、つまり心にあるのです。心が解放されることにより魔力も解放される。つまりは“闇落ちした紋章師”というものは皆、例外なく最強の紋章師なのですよ。自分でも力を制御できないほどのね。宮廷紋章調査局はそういう紋章師が生まれることを忌避している。いや……恐れているといってもいいでしょう」
「へぇ、そうかい。だからどうだってんだ。俺には関係ないね」
ペセタルはまるで周囲の空気ごと固まってしまったかのように動きを止めている。奴を背中に乗せている大馬ですら、微動だにしない。ペセタルはどこか間伸びしたような声で話を続ける。
「いえ……おおいに関係があります。ウル殿は呪いの魔術を扱いながら、その呪いの魔術をこの世からなくすことに尽力しているといってもいいのです。それも単に正義ぶっているわけではなく、ごく自然に行っている。実に興味深い存在ではありませんか」
「ハッキリ言うが、お前さん、少し気持ち悪い。俺はお前さんみたいな巨大な男に興味を持ってもらいたくはない、巨乳美女なら大歓迎だがな」
「ほっほっほ。これは失礼。すこししゃべりすぎましたな。では無駄話はこのへんにして、今度こそ、仕事の話に移りましょう」
ペセタルはそういうと、再びゆらゆらと揺れながら話し出した。