傀儡術(くぐつじゅつ)の効果範囲はそんなに広くないんです
「おい、扉をあけろ!」
声とともに、馬車の扉が今にも外れてしまいそうなくらいに激しく叩かれる。車内の空気が凍りつく。俺はちらりとミーゴス・べリントンと名乗るガキの目を見る。ミーゴスは怯えたように青い目を丸くしてじっと扉を見つめていた。
この状況で、こいつが嘘をついているとも思えねぇな。俺は固まっているビセに、早口で小さく話す。
「……おい、ビセ。この王都からイルグラン家まであとどれくらいかかる?」
「……え、そうねぇ。ちょうど半分ってところだから、まだあと7日くらいは」
「なげえな……このガキの話を信じるならば、八頭会議がいま王都で開かれているはずだ」
「だからなによ?」
「わからねぇか。今回の俺の仕事の依頼主であるイルグラン家の領主もこの王都にいるはずだ。なにもイルグラン家の領地まで行かなくてもここで詳しい話を聞けばいいってことさ。領主の名は?」
「ペセタル様よ。ペセタル・イルグラン様。豚のように……あ、じゃなかった。牛のように丸々とふっくらしたお方」
「豚でも牛でもいいが、この王都でそいつに会おう」
「どうやってよ」
「このガキを使う」
俺はミーゴスをあごで指した。ビセはふいっとミーゴスに目をやりくびをかしげる。
「この子って、べリントン家の子でしょ。何をしようとしてるのかよくわからないんだけど、ちょっと危険じゃない?」
「ま、どうとでもなる」
俺たちのやり取りを引き裂くように、再び扉が叩かれる。俺は急いで足元の荷袋に手を突っ込むと呪具の“ヒトガタ”を取り出した。魔力の宿った白樟の木の幹を削って作ったものだ。俺はすっとミーゴスの頭に手を伸ばし指先で奴の髪をつまむと、勢いのまま数本引きちぎった。ミーゴスは頭を押さえて、泣きそうに表情を崩す。
「いたっ! な、なにをするんだ」
「お前の髪の毛たった数本で、仕事をしてやろうってんだから安いもんだ。俺の大事な呪具をひとつ使ってやる。感謝しな」
そう言い聞かせると、俺はヒトガタにミーゴスの髪をくっつけて印を結んだ。
“傀儡術”だ。途端、俺の手の中の小さなヒトガタはむくむくと形を変えて、ミーゴスと瓜二つのガキに変わる。その光景を見た三人は思い思いに悲鳴を上げた。俺は慌てて皆に告げる。
「こらっ、さわぐな。お前たちはじっとしてろよ」
俺は扉を開けてヒトガタのミーゴスと馬車の外に飛び降りた。
石畳から視線を上げる。周囲には真っ赤なマントを羽織った宮廷魔術騎士団の男たち。皆の視線は俺ではなく俺の隣にいるヒトガタのミーゴスに注がれている。先頭の男が口を開く。
「探しましたよ」
「……はい」
「さ、行きましょう。ティリアナ様が心配されています」
「……はい」
ヒトガタのミーゴスはうつろに返事をする。といっても返事をさせているのは俺なんだが。赤マントの男は、すこしいぶかしんだような目で俺を睨む。そして前に進み出る。それにしてもどいつもこいつもでけぇ図体をしていやがる。赤マントになるには高身長という条件でもあるのだろうか。俺が男を見上げると、男は涼しげな視線を俺に飛ばして話した。
「男。すまなかったな、感謝する」
「あぁ、別にいいけどよ。急に馬車の中に入り込んできたから物乞いかとおもって驚いちまったぜ。このガキんちょは誰なんだい?」
「ちょっとな……」
「なるほど。大事なお客人ってところかな?」
男は俺の問いかけには一切答えず、目をそらした。そしてヒトガタのミーゴスのそばによると背中に手を回してやさしく誘導し、後ろの男に引き渡した。ヒトガタのミーゴスはそのまま男についていき、待機していた大馬の背に乗せられた。
さてと、この“傀儡術”の効果範囲はそれほど広くはない。ここは王都のどのへんなのか。おそらくあのヒトガタのミーゴスは宮廷の内部にまで連れていかれるだろう。そこまでは“傀儡術”は持つまい。俺たちもとっととこの場を離れなくては。ヒトガタのミーゴスの背中をじっと見つめていた俺に、赤マントの男がたずねてきた。
「随分と立派な箱馬車に乗っているな。見たところ長距離の送迎馬車にみえるが、旅人か?」
「ああ、ま、そんなところだ」
「今は八頭会議の開催期間中だ。部外者に対する警備は一層厳しくなっている。あまり出歩かないほうが身のためだぞ。下手なことをすればすぐに牢獄行きだ」
「下手な事ってのは、例えば?」
「我々宮廷魔術騎士団の邪魔をするようなことだ」
やんわりとした脅しをかけやがる。ああ、やっぱ俺赤マントは好かんな。エリート然としたこの態度。まるで俺たちを見下していやがる感じだな。ついつい俺は言葉を継いだ。
「でも、宮廷魔術騎士団も随分暇なんじゃないのかい?」
「どういう意味かな、旅人よ」
「いやさ、最近はエインズ王国も争いごともないじゃねぇか。隣国のアラビカ公国とは良好な関係と聞くし、反対の大陸側にある『アスドラ帝国』もおとなしいもんだしよ」
「平和というものは微妙な均衡の上にある。常に警備は必要だ。アスドラ帝国も今はなりを潜めているが、いつなんどきこのエインズに戦争を仕掛けてくるかわからんからな」
「でもよ、最近じゃ紋章を授かっても宮廷魔術騎士団に入らずに、普通の生活をしている奴も多いって聞くぜ?」
「紋章師としての才覚がありながら、そのようなことをする者たちはただの馬鹿者だ」
「なるほどね」
その馬鹿者の魔術にころりとだまされていやがるのはどこのどいつだ。ま、この辺でいいか。俺は赤マントに頭を下げて馬車に戻った。中には本物のミーゴスが座って体を丸めている。俺は席に戻ると、小窓のカーテンの隙間にゆびをかけて、ちらりと外を眺める。赤マントたちはあっという間にその場からいなくなっていった。