罪の意識なんてもたなくていい
第一の隔壁を無事すぎて、王領に入り込んだ俺たちは、整備されたなだらかな大通りを何事もなくつき進んでいった。
小窓から見える外の景色はなだらかな緑。リラがふと、ビセのほうを向いてつぶやいた。
「ビセさん、私、王領ってはじめてなんですけど、どんなところなんですか?」
「ん? そうねぇ……第一の隔壁をこえてからしばらくは“ふつう”よ。七大貴族たちが治めるほかの領地とさほど変わらないかな。ただ、宮廷魔術騎士団達が常に領地を巡回しているわね。王領の民からはトレードマークの深紅の羽織りものをさして“赤マント”とも呼ばれているわ」
「……赤マントって……さっきの男の人たちですよね。なんだか、あんまりいい人たちじゃなさそうでしたけど……」
「ま、中にはあんな連中もいるわよ。剣や魔術に優れているからって性格まで優れているとは限らないもの。アタシたちみたいなよそ者にはあんな感じの態度をとる連中もいるわ。王領に忍び込んで、悪さをする部外者たちもいるみたいだから」
「へぇ……あ、そういえば、王都を囲む隔壁って三つまであるんですよね?」
「そうよ。第一の隔壁から第二の隔壁までの領地は農奴や職人たちが住んでいるの。いわゆる平民居住区ね」
「なるほど。じゃ、その第二の隔壁の先は、貴族の居住地になるんですね」
「その通り! のみこみが早い子って好きよ! で、最後第三の隔壁の中が王都ね。大貴族や、宮廷魔術騎士団、紋章調査局員や王都の各庁局員たちの居住区になるわ。そろいもそろって嫌味な連中ばかりよ。それに、名だたる紋章師たちも数多く住んでいるわ」
「紋章師たち……、そういえば、ウルもそうだよね?」
なんとなく二人の会話に耳を傾けていた矢先、不意にリラが俺に顔を向けた。俺は突然ふられた会話に間の抜けた声を上げる。
「ふへ? あ、あぁ……ま、俺もいちおう、呪いの紋章師だが……」
「ねぇ、ウルは宮廷魔術騎士団にはならないの?」
「ならねーよ。誰かに指図される生き方なんて性に合わねぇしな。それに何を隠そうおれは社会不適合者だ!」
「ふふ……確かにウルが、あんなかっちりした真っ赤な制服を着ている姿なんて想像できないかも」
「だろ? 俺にはこういう汚い格好が一番なの!」
その時、馬車のスピードがゆるくなったのが分かった。ほどなくとまる。ビセが俺に目くばせをして小さく話す。
「はぁ~~~。まただわ……たぶん、通行証の確認よ」
「は? さっき見せたところじゃねぇか。第二の隔壁の検問所なんてまだまだ先だろ?」
「ええ。これはたぶん、巡回中の宮廷魔術騎士団の抜き打ちの検閲(とりしらべ)よ」
「ちっ、めんどくせぇなぁ。俺の知るころと比べて随分と警備が厳重になってる気がするが」
「現国王様になってから、王領の警備はこれまでにないくらい厳しくなっているわ。そのおかげで犯罪率はすごく下がっているって聞くけど」
「オヤジのやりそうなことだ。恐ろしいほど他人に厳しい堅物だからな」
「……あのさぁ、さっきから、現国王様が父親だっていう冗談はなんなの? オヤジギャグってやつ? ちっとも面白くないんだけど」
「べつに笑ってくれなくても結構!」
「まぁどうでもいいけどさ。とりあえず、おとなしくしていてよ。アタシが適当に済ませるから」
「ま、なにかありゃ俺がオヤジに言いつけてやるよ」
「はい、はい。もういいからその話は」
ビセはそう言い残すと、勢いよく箱馬車の外に飛び出した。
抜き打ちの検閲を何事もなくやり過ごした後、俺たちは王領の中の平民地区にあるいくつかの村を経由した。
気が付くと、太陽がしずみかけている。俺たちはとある町で宿をとることとなった。ビセのやつは旅慣れしている。そのあたりの手配は抜かりなさそうだ。ま、とにかくこの王領を抜けるまではビセに従うしかないのだ。
王領の平民地区、マリンという町の宿に泊まることになった。
夕食を済ませて小さな部屋に戻る。
寝台でゴロンと横になってぼんやりしていると、薄手の部屋着姿のリラが部屋に入ってきた。俺は寝台の上で寝ころんだままたずねる。
「おう、どうしたんだよ」
「うん……ちょっと……」
「ん?」
リラは小さな部屋の中で、壁際の椅子に座るとどこか浮かない表情を見せた。俺は寝台の上で体を起こしてあぐらを組む。リラのほうにからだを向けて話した。
「どうした? なにかあったのか?」
「ごめんなさい……私、人前で魔術を使ってしまったから気になっちゃって。ウルが前から言ってたでしょ。人前で魔術を使うなって。それなのに私、約束をやぶっちゃったから、ウルが怒ってないかなとおもって」
「怒ってなんてねーよ。どうしちまったんだ、急に。あの時はビセを助けようとしたんだろ? 仕方ない状況だったんだ。それに、俺が何とかしなきゃならなかったのに、グズグズしちまったからな。謝らなきゃならないのは俺のほうだ」
「……ほんとに怒ってない?」
「怒ってねぇって」
「それならいいけど……」
リラはどこか煮え切らないといった感じで、口をつぐんだ。なんだろうこの表情は。他にも何か言いたいことが、ありそうだな。
「リラ、何か気になることがあるのか?」
「気になることっていうか。ウル……私ね、ほかの人に対して魔術を使ったのってあの時が初めてだったの」
「あの時っていうと、王領に入るときの第一の隔壁での検問所での事だよな?」
「ええ。私ね、物心ついた時から、いつも魔力が強いって言われていてね。だから人前で魔術をあまり使わないように両親から言われていたの。ウルと同じことを言っていたの」
「そうだったのか……」
「私、はっとしたの。私は危険な存在なのかもしれないって。だから……私を閉じ込めるために、かつてのダークエルフ族の人たちは、私を巫女に選んだんだと思う。ダークエルフの巫女に選ばれたら寺院に閉じ込められて、外界との接触を絶たれるから……」
リラの声は、少し震えていた。まずいな。随分と動揺している。あの時、石ころを大金に見せ、宮廷魔術騎士団の連中をだましてしまった、とでも思っているのか。幻覚術をかけたのは事実だが、罪の意識を感じる必要はないはずだ。そんなのは、あまりにも考えすぎだ。
しかし、リラは今、他人をだましたような、そんな罪悪感にさいなまれているのかもしれない。まったくもって、純粋が過ぎる。
「あのなぁ、リラ。お前は誰も傷つけちゃいないし。これからも誰も傷つけはしない。お前があの時つかった魔術でビセが助かったんだ。それ以外になにがある?」
「なんだか、今になって心が痛くなってきたの……あの男の人たちの石ころを見つめる目が、とても恐ろしく思えてきて」
「あいつらは、おのれの欲望のせいで自滅しただけだ。お前があいつらを、悪意を持って操ったわけじゃない」
「……そう、なのかな……」
「そうだ。お前は何一つ悪くない」
「……うん。そういってくれると少しほっとする。あのさ、私ね、ウルの言う通り、人前で魔術を使うのはやめておこうかな」
「そうだな。あまり人前で魔術を使わないようにするって心がけには賛成だ」
「……うん、そうだね。ありがと。ちょっとすっきりした」
「ま、あんまり気に病むな。俺だって、魔術を使い始めた頃はいろいろと複雑な思いが芽生えたことがあったもんさ。こんな俺でもな」
リラは少し笑った。そして立ち上がると「またね」といって部屋を出て行った。
少しくらいは気が晴れてくれたのならばいいんだが。俺はリラを見送った後、また寝台に横になった。俺がリラにしてやれることはなんだろうか。できる限りの事はしてやりたいが、自分の心は自分じゃなきゃ救えない。
リラ、強くなれ。