リラの幻覚術
次の日、リラの声で目が覚める。
「ちょっと! ウル! 早く起きて! もう行くわよ!」
「……んあ?」
俺はリラの慌てた声に、首をもたげた。周囲を見渡しながら、うまくあかない目をこする。あれ、もしかして昨日、あのまま寝ちまったのか。俺は寝台の上でのそりと体を起こした。リラが、俺の顔を上からにらみつける。
「もう! きのうは晩御飯も食べずにねちゃうし、朝は寝坊するし。もう出なきゃいけないからね。朝ごはんは馬車の中で適当なものを食べてよ」
「ほぉ~い……」
「私とビセさんは先に馬車に乗ってるから、すぐに来てよ!」
「はい、はい……わかったよ」
「じゃぁ、あとでね! もう!」
リラはそういうと、背を向けて飛び跳ねるように部屋から出て行った。俺は明るい日が差し込む部屋を見渡して、身支度を開始した。はぁ、体が重いのは寝すぎたせいだけではなさそうだ。王領に入り込むというのは、どうも気が引ける。
宿を出て、箱馬車に乗りこんでから、しばらく三人であれやこれやと話をしていた。
ビセは他人の話は根掘り葉掘りと聞きたがるくせに、自分の事になるとあまり話したがらないようだった。俺はなんとなく聞いてみた。
「でもよ、ビセ。お前さんはどうして吟遊詩人になったんだ? 女ひとりであちこち行くのは危険だろうに」
「旅をするのは子供のころから慣れっこよ。ママはアタシのように歌い手で、パパはリュート弾きだったの。道化師仲間に連れられて、あちこち回っていたわ」
「ほぉ、音楽一家か。じゃお前さんの歌がうまいのは、母親譲りってわけか」
「まぁね。でも、ママの歌にはかなわないわ。ママの歌声は本当に……なんていうのかしら……言葉ではうまく言えないけれど、心が何倍にもふくらむみたいになるの」
「こころがふくらむねぇ……で。いまはどうして両親と一緒じゃないんだ?」
「二人とも、天国にいっちゃった」
「そうだったのか……気の毒に。悪いことを聞いちまったな。すまん」
「いいのよ。もうずいぶん昔のことだから。平気」
ビセはどこか寂し気に微笑んだ。
その時、馬車の動きが止まった。俺たちが顔を見合わせると同時に、箱馬車の扉がコツコツ、とたたかれた。扉の向こうから「降りろ」という野太い男の声が響いた。俺たちはその言葉に素直に従う。皆で外に降り立った。
外には、箱馬車をとり囲むように、真っ赤なマントを羽織った騎士たちが並んでいた。
高いえりの制服姿。胸には輝く金の刺繍。八つの頭を持つ獅子をかたどった“八つ獅子”の紋章だ。この国の守護者、宮廷魔術騎士団だ。皆、若く、大きく、威圧感がある。腰や背中に、槍や剣など、それぞれの武器を担いでいる。全員が、何らかの魔術を操る紋章師たちだ。
そのうちの一人が前に進み出て、俺たちを上から下までじろりと見据える。矢のように鋭いまなざし。短く髪を切りそろえた男が、口を開いた。
「王領の通行証を見せてもらおうか」
その言葉に反応し、ビセは胸元に手を差し込んだ。小さく丸まった羊皮紙を取り出す。男は羊皮紙を受け取るとすっと開き、目を細めじっくりと眺めている。しばしの沈黙。
俺は大きな体の男からふと視線を外し、男の後ろを見上げた。
男の後ろ。
硬質の魔鉱石を積み上げた巨大な壁がそびえている。相変わらずでかい壁だ。三階建ての屋敷くらいの高さはある。
これが王領を守る第一の隔壁だ。いくつもの魔鉱石を積み上げたことで自然と壁面に模様ができている。そのさまはまるでギラギラ光る龍のうろこのようにも見える。
この壁が王領の周囲全体を覆っているのだ。さらにこの隔壁の中に入ると、王領の台地が広がる。そして、ほどなく第二、第三の隔壁が控えているのだ。その三つの隔壁を超えて、ようやく王都にたどり着くことができるのだ。
おいそれと通り抜けることはできない強固な守り。この壁を作ったはるか昔の王は、いったい何に怯えていたのだろうか。
俺が壁をぼんやりと眺めていると、通行証を見ていた男が口を開く。
「イルグラン家の通行証か……たしかに確認した。行っていいいぞ」
「ありがと」
ビセがほっとした様子で男から通行証を受け取ろうとすると、男はなぜか通行証を高く掲げた。ビセが首をかしげる。
「ちょっと、通行証を返してよ」
「通行証のほかにも渡すものがあるだろう」
「はぁ……わるいけど今は手持ちがないの。また今度にしてくれない?」
「おい女、今ここでこの通行証を燃やしてしまってもいいんだぞ。そうなるとお前たちは王都へたどり着けなくなるどころか、隔壁を超えることもできなくなる」
「ちょっと、いいかげんにして」
ビセの声が怒りでするどく気色ばむ。若いくせに、がめつい連中だ。金をよこせってか。宮廷魔術騎士団ともあろうものが聞いてあきれる。俺はビセの後ろから男らに声をかけた。
「おいおい、何をやってんだよお前さんたち。上官に言いつけちまうぞ?」
「……面白いことを言うやつだ。道化師野郎がなんだって?」
「悪いがな……俺様は現国王の息子、べリントン家次男、ウル・べリントンだ。お前たちの不正行為を国王に言いつけることだってできる身だぞ」
赤い制服姿の男たちは一瞬固まる。そして次の瞬間、全員が噴き出して大きく笑いだした。
「ははは! こりゃ傑作だ! 国王の息子様がこんなところにお出ましで?」
「おい、おっさん! なかなか面白い冗談だ!」
「アルグレイ様の息子とか!? なにをいってるんだこのおっさんは!」
笑いあう男たちをバックに、ビセとリラが呆れた顔でこちらを眺めていた。
ま、そりゃ誰しもがこういう反応するわな。と、気を取り直して。俺が口を開こうとしたとき、リラが割って入った。
「あの、これでどうでしょうか?」
リラはそういうと足元の石ころを一つ拾って男に見せた。するとその場にいる男たちは皆で顔を見合わせてから、リラの手のひらにある石ころじっとを見つめる。男たちは魅入られたように目を見開いて叫びあう。
「おお!! こいつはすげえ大金だぜ!」
「なんだ、最初っから素直に渡せばいいんだよ!」
「よし、じゃ、この通行証はかえそうか」
宮廷魔術騎士団の男はそういうと通行証をビセに手渡し、リラから石ころを受け取った。そしてその石ころを大事そうに胸にしまい込んでうなずいた。リラのやつ、魔術を使いやがった。これはおそらく“幻覚術”の一種だろう。まるで状況が飲み込めないビセが首をかしげて、口を開こうとした。が、俺はビセを制する。
「ビセ、いいから行こう」
「あ、うん。でも……あれって……いしっころ? え? どういうこと?」
「いいんだ、いいんだ。リラからのおごりだ」
俺はリラを先に馬車に乗せ、不思議にとまどうビセを無理やりあとから押し込んで、最後に飛び乗った。俺たちが乗り込んだ後、馬車はゆっくりと進みだした。目の前の座席に座るビセは目をパチパチとさせながら、リラにたずねる。
「ね、アタシの目がおかしいのかしら。さっきあいつらにあげたのって石ころよね?」
「はい、そうです」
「石ころが金貨にでも見えたのかしら」
「……みたいですね」
ビセはそれ以上、リラに深い追及はしなかった。それにしても、リラ。なにかの呪文を唱えたそぶりすら見せなかった。本当に、俺たちのような紋章師とはまるで次元が違うレベルの魔術師。
宮廷魔術騎士団といやあ、この国のエリート紋章師たちだってのに。まるで赤子の手をひねるようにとはこの事だ。俺はいま、なぜかリラの方を見る事が出来なかった。
今回の旅で俺が感じていた正体不明の不安というのは、もしかして俺の隣に座るダークエルフ族の少女、リラが原因なのかもしれない。