ビリジアの村に泊まります
聖都市フレイブルを出発してから、はや三日目。
さっきの村を出てから、どれくらいたったか。俺は箱馬車の窓に顔を寄せて外を眺める。後ろに流れる田園風景はすでに夕日の赤に染められている。もうじき夜。なんとものんきな旅だ。俺は視線を車内に戻して、ビセに話しかけた。
「おい、ビセ。こんなゆっくりとしたペースじゃいつまで経ってもイルグラン家の領地にたどりつきやしねぇ。大馬(移動用の強靭な馬)で駆ければ、もっと早くつけるってのによ」
「……あのさ。勘違いしないでほしいんだけど。アタシがイルグラン家にあなた達を届けるのは、あくまでも“ついで”なのよ?」
「なんだって?」
「これは“アタシの旅”であって、イルグラン家の依頼は“おまけ”みたいなものなの。そこを間違えないでほしいわ。吟遊詩人であるアタシの本来の目的は旅そのものなんだから。あちこちをめぐって、その土地のいろいろな人たちの心に触れる。そしてアタシの歌で、みんなの心をいやすのが目的よ」
「はぁ? そんな悠長な旅に俺たちをつきあわせてるってのか。ばかばかしい。そんなことなら俺とリラは大馬を借りて先にイルグラン家に向かう」
「アタシが持っている通行証がないと王領にはいれないでしょ。王領を迂回するとなると、かなり大回りすることになるのよ。結局、到着するのは同じころになるんじゃない?」
「そりゃそうだが……ったく」
「それにさ……リラちゃんは、結構楽しんでくれているみたいじゃない、ね?」
ビセが俺の隣に目をやると、リラがうなずいて口を開く。
「うん! 私、こんな風に街の外を旅するのがはじめてだから、すべてが新鮮!」
「でしょ!? うふふ……今日泊まる予定にしているのは、山のすきまにあるビリジアの村っていうところでさ! そこの酒場宿の山菜のお鍋がおいしいのよ、これが!」
「へぇ~! 楽しみ!」
俺を置いてけぼりに、リラとビセは女子同士で妙に盛り上がっている。ああ、こんな時、なんだかおのれの無力さを感じる。ま、リラが楽しそうにしているのはいいんだがよ。俺は再び窓の外に目をやった。
それにしても、王領に行くのなんて何年振りだろうか。
俺が15歳の頃、まだべリントン家の次男、ウル・べリントンだった頃だ。呪いの紋章師として生きることを定められた、あの『天資の儀式』以来だ。月日が過ぎるのは早い。
ビセの言う通り、俺たちの乗る箱馬車はビリジアの村にたどり着いた。夕闇迫る中、俺たちは馬車から降りると、すぐ宿に入った。二階に上がり、ビセが用意してくれた三つの部屋それぞれに入った。
開いた扉の向こう、俺の部屋。広くはないが、狭くもない。そんな部屋だ。俺はようやく一人になって、一息つけることにどこかほっとした。壁際のベッドに歩み寄ると、担いでいた荷袋をボンと床に落として寝台に転がった。仰向けに体をひろげて、天井に向かってつぶやく。
「明日は王領か……」
俺の父親、アルグレイ・べリントンが統治している領地だ。
このエインズ王国には王室というものがない。
王は世襲制(ある血族が引き継ぐわけ)ではなく選挙制なのだ。王と七貴族による『八頭会議』によりふさわしいとされる者が王に選出される仕組みだ。そこで俺の父が見事に選ばれたというわけだ。
父親のことなど、最近は思い出すこともなかったが、予期せず王領に入るという機会ができちまったせいで、妙に父親の顔が頭に浮かんできやがる。べつに好きとか嫌いとか、そんな感情はいまさら持ってはいない。俺のような大貴族の次男坊など大事にはされないものなのだから。
家督は長男が継ぐし、次男に残されるものは何もない。
唯一、自分を証明できる手立てといえば武功を上げることぐらいだ。が、俺は子供のころから病弱だったし、授かった紋章といえば“呪いの紋章”だからな。愛想をつかされたって仕方がない。父にとって俺は恥ずべき存在なのだ。
俺がぼんやりしていると、小さなノックの音が耳に入る。俺は顔をあげて扉に向かって返事をした。すると扉がすっと開き、隙間からリラが顔を出す。
「ウル、今から一階の酒場食堂でビセさんが歌をうたうんだって、聞きに行ってきていい?」
「ん? あぁ、行ってきな。俺も後で行くからよ」
「わかった、じゃ、後でね!」
リラは嬉しそうにそういうと扉を閉めた。どこか楽し気な足音が扉の向こうに小さくなっていく。俺はリラの足音を聞きながら目を閉じる。そのまま、するりと眠りの中に滑り込んでいった。