浮気の代償は悪夢という嫌がらせ
リラと別れた後、俺は今回の依頼主の男から聞いていた番地に向かった。
そこは聖都市フレイブルの西地区にあたる集合住宅街。石畳の通りを挟んで両側に、見上げるほどの木造の多層建築がずらりと並んでいる。見事なほどにどれも同じ三階建ての三角屋根。
一回見ただけではまったく見分けがつかないほどだ。辛うじて違うのは、口を開く玄関前にとびだしている番号札の数字。俺は「5番」の建物の入り口に入り込んだ。
階段を上り、男の部屋にたどり着いた。扉を軽くノックすると、ほどなく依頼主の男が扉の隙間から顔をのぞかせた。
「ああ、呪いの紋章師さんか……どうぞ」
俺は男の体をかわして中に入る。途端に鼻をつくぬるいニオイに、うっ、となった。独特のこの香りは蝋だ。俺が立ち止まって鼻をすすると男が背中から声をかける。
「なんだい? 呪いの紋章師さん」
「お前さん、行商人か?」
「私は宝石を売り歩く宝石商人だ。よくわかったね」
「ああ。ま、このあたりの集合住宅に住んでいるのは定住者ではなさそうだからな。宝石商人か……だったら違うか」
「違う?」
「いやてっきり蝋細工でも売っているのかと思ってね。部屋中に蝋のにおいがするが……燭台はないな」
「ロウのにおい? この部屋にはロウソクなんてないぜ」
男は不思議そうな声を上げながら、俺を追い越して小さなテーブルに向かう。呪いの正体はある程度わかっちまったな。蠟燭を使った“悪夢の呪い”だ。素人にでもできる簡単な呪い。
俺はとりあえず話を聞こうと男に続いて室内に進んだ。歩きながらぐるりと室内を見まわすが質素な部屋だ。必要最低限のものしか置いていない。
行商人という事はここに定住しているわけでもないだろうし、単なる借り部屋だろう。俺は男に誘導されるまま目の前の小さなテーブルに腰かけた。男は椅子に座ったとたんに、待ち切れないといった感じで話しだした。
「で、私も商売人だ。呪いを解くのに料金はいくらくらいかかるんだい?」
「そうだな。宝石一つというところか」
「ほほう。宝石といったってピンからキリまであるが」
「そうだな……女の子が使えるような装飾品があれば、なおよいかな」
「あぁ、あの娘さんにあげるものか……そうだね。だったらイヤリングかネックレスなんかがいいのかな。ま、あんなきれいな娘さんならば何をつけても似合いそうだが。チョイと待ってな」
男はそういうと立ち上がり、背を向ける。壁の隅にある袋まで歩いていきしゃがみこんだ。ガサゴソと袋の中をあさっている。男の丸い背中を見ながら俺は何となく不思議な感覚に襲われる。
娘さん、か。別にリラが自分の娘というわけでもないが、リラの事を褒められるとどうにも悪い気はしない。
男は立ち上がると小さな箱をいくつか持ってきて、テーブルに並べた。はしから順にふたを開けて説明を始めた。
「私が今扱っているのは黄玉製が多くてね。一番右がイヤリングだ、透明な黄色に輝く涙型のイヤリング。中央のものがペンダント付きのネックレスだ、楕円にカットされたトパーズがついている。左が指輪だ。どうだろうか。報酬としては悪くないと思うがね」
「そうだな、じゃ……イヤリングを貰おうか」
「値段としてはこの中で一番安いものだが、いいのかい?」
「ああ。実はすでにこの呪いの目めぼしはついている」
「ええ!? そ、そうなのかい、ま、まぁ、それじゃ、商談成立ってことで」
「よし」
はぁ。なんとも簡単な仕事だった。この街での初仕事、腕ならしとして良しとしようか。俺が今回の依頼主である男の家を出るころにはすでに日は傾きかけていた。意外と時間がかかったな。これからリラを孤児院まで迎えに行き、まだ慣れないわが家へ帰るか。
今回、俺が解呪したのは“悪夢の呪い”だ。
最近、悪夢にうなされるという宝石商人の男。そいつに呪いをかけていた犯人は、なんてことはない同じ部屋に寝ていた自分の妻だったというオチだ。まさに痴話げんか、ここに極まれりだな。
俺は、男の部屋に入った瞬間、鼻についた蠟のにおいですぐにわかった。誰にでもできる簡単な悪夢の呪いだ。呪いをかけたい相手が寝ている間、黒いロウソクに灯をともし悪いイメージを男に向かって放出し、呪文を唱えるだけ。
しかもこの呪いは対象者の近くで行わなくてはいけない。男が寝ているすぐそばで。
効果の弱い呪いであるがゆえに、半径数メートル以内、目視できる範囲で行うというレベルの呪いなのだ。だとすると犯人はおのずと限られる。男の寝室に出入りできる人間であり、男と寝食を共にする一番身近な存在。
妻だ。
あの男はどうやら若い女と浮気をしていたらしい。それに嫉妬した妻が悪夢の呪いをかけたってわけだ。
寝室にある床下の隠し扉。(といっても単に床板をめくっただけのものだが)その奥に潜んでいた箱。中から出てきたのは呪いのセット。
黒いロウソク
顔のない夢魔の絵が描かれたタロットカード
火種
呪いの呪文が書かれた羊皮紙
そして、男の髪の毛がごっそり。この箱を見つけ出すのに少々時間がかかっちまった。ま、呪いを解くも何も、妻と話をしてその行為をやめさせればいいだけの話だ。
呪いのセットを床下から見つけた時の男の青い顔ったらなかったな。これから、あの夫婦の関係がどうなるのかは、俺の仕事の範疇ではない。ま、浮気する夫も悪いが、その夫に呪いをかける妻も妻だ。夫婦生活というのは複雑だねぇ。独り身の俺にはよくわからないが。
まいにち顔を合わせている妻が、自分が眠っているその横で闇のなかロウソクに火を灯し、自分に向けて呪いの言葉をかけていたのだ。その光景たるや想像するだけでゾッとする。いや、むしろ滑稽か。それにしても、あれほどに蝋の臭いが部屋いっぱいに充満していたというのに、気がつかないものなのか。慣れとは恐ろしいもんだな。
俺は今回、手にした報酬である、イヤリングの入った小さな木箱をポケットに突っ込む。最近何だかリラに物を買ってやってばかりだな。すこし控えなきゃならん。
俺はそんなことを思いながら、リラを迎えに行くためにフレイブル孤児院に向かった。