変態屋敷
お互いを求めあう使用人らしき不届きな男女。
ようやく秘密の情事がおわったのか、室内は心なしか静かになった。
その窓からすり抜けると、俺はその場にそっと腰を下ろした。
おさえた声で、胸ポケットに隠れているキャンディに耳打ちする。
「キャンディ、ちょいと頼みごとがあるんだが」
「なによ」
「さっきランカが入っていった部屋の場所はわかるか?」
「ええ。この部屋を出て東に向かった突き当りの部屋でしょ? って……なんだか嫌な予感がするんだけど」
キャンデイがぴょこりと顔を出して、不安に満ちた苦々しい声を響かせる。
「予感的中で悪いんだが、俺は外から窓に回るからよ、お前は中からその部屋に入り込んで窓のカギを開けてきてほしいんだ」
「……ええっ、どうやってよ」
「簡単だ、部屋のドアをノックして扉が開いたら足元からすり抜ければいい」
「そんな簡単に言わないでよっ、アタシが捕まったらどうするのっ」
キャンディは腕を大きく振り上げながら、吐息交じりの小さな声で怒鳴る。
「大丈夫だ。まぁ、そうなったらもう強硬手段に出るしかないが」
俺は何とかキャンディを奮い立たせてその気にさせる。
キャンディはしぶしぶといった感じでようやくうなずいた。
俺はキャンディを手のひらに乗せてそっと窓枠に移すと、キャンディが部屋に飛び込んだと同時に、急いで腰を上げ、ランカが入ったであろう東の突き当りの部屋を目指した。
東の突き当りの部屋の窓に庭から回り込む。
黄色い光が漏れる部屋の窓にはレースカーテン。花柄の瀟洒な刺繍のせいで、霧のように室内がかすむ。ただ、なんとか人影の動きは見える程度に透けている。
「ここは、応接室か……」
ちょうど部屋の真東に位置する窓だ。その両開き窓からうっすら見える。
手前のソファに座る背中はおそらくミカエル・ステインバード。その向こう、こちら側を向いて立ちすくんでいるのが、おそらくランカだろう。
説教でもしているのか、ランカは直立に姿勢を正してピクリとも動かない。
闇に潜んでその光景を眺めているうちに、窓越しにも聞こえるほどミカエルが興奮し始め、叫んでいるのが伝わって来た。
その時、ミカエルの背中がのそりと動いた。立ち上がり、ランカに近寄る。キャンディの奴、大丈夫だろうか。まさか、まだ部屋の中にすら入り込んでいないのかもしれない。俺の頭に一瞬その場から離れようかとの考えがよぎった時。
レースのカーテン越し、目の前で小さな黒い影が揺れた。俺はミカエルとランカの動きに気を配りつつ陰を見つめる。
窓がかすかに手前にズレた。
隙間からキャンディが体をむにゅりとつぶしながら、粘液生物のように這い出てきた。ぬいぐるみのなせる業。さすが、キャンディ。
キャンディが窓の中からするりと抜け出し、俺の手を伝ってポケットに入り込む。
「……サンキューです、キャンディ様ぁ」
「……なんかえらいことになってるわよ」
「……え?」
細い隙間に指を差し込み、レースを少しだけめくる。いつのまにか上半身裸のランカ。その上半身は鍛え上げられた無駄のない筋肉の鎧。それぞれの部位が区分けされているかのようにくっきりとしたラインが入っている。男から見ても惚れ惚れする彫刻のような肢体を動かしたかと思うと、ランカは突然、床に四つ這いになった。
「……はぃ?」
思わず漏れ出た声に俺は慌てて口を押えた。いったいこの状況はなんだ。お馬さんごっこでもするってのか。俺は目を細めて様子をうかがう。
四つ這いになったランカの背中を眺めながら、満足げな笑みを浮かべるミカエル。
その右手にはしなる一本鞭。
ミカエルが下卑た笑い声をあげながら、黒い鞭を準備運動のようにビュンビュンと振り回す。半笑いの赤ら顔は、一目見て酔っているというのが分かるほどだ。
少し空いた窓の隙間から、ミカエルのだみ声がはっきりと聞こえてきた。
「おい! あのバカ女の見張り役のくせに、なにをやっているんだ? お前はぁ?」
「すみません」
「まぁ、あの馬鹿女の言葉に免じてゆるしてやるが、今度またあの馬鹿女を連れ出したらどうなるかわかってるだろうなぁ」
「すみません」
酔いのせいか、自制を失い間延びした締まりのない話し方。それにしても自分の娘を”馬鹿女”呼ばわりとは。酔っているという事を差し引いたとしても、随分な言い方だ。
ミカエルはこの不道徳な瞬間を心底楽しむようにゆっくり鞭を持つ右手を振り上げた。一気にランカの背中に振り下ろす。
ぴしゃり。
肉に細い鞭があたる音。ミカエルはいやらしい目つきで、ランカの周りをグルグルと回る。
「おい! 何か言ってみろ!!」
「すみません」
「こいつめ! こいつめ! こいつめ! 痛いか? いたいのか?」
ミカエルは狂ったように笑いながら、何度も何度も何度も腕を上下に動かした。ランカの背中に延々と鞭をうちつける。
次第にランカの背中の皮膚が破けて、下から真っ赤な肉が見えはじめる。血のしずくが鞭の軌跡にそって宙に飛び散る。
それでもミカエルはやめない。興奮に上ずった声で意味の分からない叫び声をあげながら。
ほどなく、ミカエルはついに息切れ始めた。
肩を大きく揺らして腕の動きを止めると、手前のテーブルに近寄り、その上にあったワイン瓶を掴みとる。そのまま直接口につけてぐびぐびと飲み始めた。
ポケットの中に隠れているキャンディがつぶやく。
「……おわった?」
「さぁ」
「よくそんなの見てられるわね……」
「ミカエルのおやじ……こういう趣味があるのか。客間で馬のように盛る使用人といい、護衛を鞭うつご主人様といい、この変態屋敷の連中はなかなか先鋭化されているのなぁ……」
ミカエルは、ワイン瓶をテーブルに戻すと乱れた息と髪を整えて憎々しげにつぶやいた。
「……貴族なんて大嫌いだ……能ナシのくせに我ら商人を下に見やがる貴族どもが」
「すみません」
「なんだ? きこえんぞ」
「すみません」
「もっとワシに頭を下げろ! ええ? 犬のようにワシの足を舐めて見せろ!! ははは! おいこのくそ貴族が!」
終わるかとも思ったが、また始まった。これは部下をしつけているというよりは、娯楽だ。娯楽として抵抗できない者を痛めつけているだけ。惜しげなく痴態を見せつけている。
さすがにもう見ていられない。さっきの会話から、ミカエルは貴族に恨みがあることがわかる。それと、この二人の間にはなにか歪んだ縁がありそうだ。
俺は2人から視線を外した。音をたてないように慎重に窓を閉じた。その場を離れようとしたところで、キャンディが俺を非難するようにつぶやいた。
「ちょっと、アンタ助けないの?」
「助ける? だれを?」
「今、目の前で起きてたことを見て、何とも思わないってわけ?」
「おいおい、キャンディ。あおクサイこと言うなよ。俺の依頼主はリゼだ。それ以外の人間はどうでもいい。それとも、なにか。部屋に踏み込んで行ってやめないか! とでも言えってのか?」
「べつに、そうじゃないけど……アンタって情に厚いのか、そうじゃないのかよくわからないわね」
「好きに言ってくれてかまわんが、俺は別に聖人君子じゃない」