久しぶりのお客さん
さて、この街に引っ越してきて最初のお客だ。
応接間、低い木のテーブルをはさみ前のソファ。薄茶の頭に少し白いものが混じる中年の男が座っている。表情は陰鬱にくたびれてはいるが、格好はそれなりに小奇麗にしているようだ。白いブラウスに、ベージュの羽織りもの。物腰の柔らかさからして、商売人というところか。男はうつむきがちに話す。
「……最近ね、どうにも嫌な夢を立て続けに見るんですよ……」
「ほう、いったいどんな夢を?」
「黒い顔が出てくる夢なんです……こう、わたしがひとりで箱馬車にのっていてね、ガタガタとゆられているんです」
男はソファに座ったまま突然、体を激しく上下に揺らす。俺は思わずびくりと身を引く。不気味な奴だな。おれはビビりなんだから急にそんなことをされると、ひく。俺はビビったことを悟られまいと、表情を作って話を促す。
「ば、馬車にねぇ……で、その続きは?」
「ええ。するとね、馬車の右にある小窓から顔がのぞくんです。真っ黒い顔が……すごいはやさで走っている箱馬車の窓から顔がのぞくんですよ、私はブルっちまってね。でもね。怖いもの見たさってあるでしょ。私はゆっくりとその顔をみるんですよ……そしたらね、その真っ黒だった顔に口だけが現れて、真っ赤な舌を出して笑うんです。それでね、私にこういうんですよ……」
「ほう……」
「お前の死ぬ日は5日後だ!って」
急に目玉をひん剥いた男の顔に、俺の尻は分厚いソファから浮き上がった。その時、部屋の中にかすかに香る甘いにおい。俺はふと視線を上げた。男の後ろからリラが両手にトレーをもちこちらに来る。銀のトレーの上には湯気をたてたカップが二つならぶ。
リラは男の横に回ると、カップを男の前にコトリと置いた。そして小さくつぶやく。
「どうぞ、リンゴ湯です」
「ああ……お嬢ちゃんありがとう。気が利くね」
「どういたしまして」
リラは男にそういうと今度は俺の横に回り込み俺の前にも湯気の立つカップを置いた。このカップは確か、この前リラと街に買いものに行ったときに買ったものだ。この屋敷の近くにある雑貨屋で買った陶器製のカップ。白い表面に緑の葉の模様が描かれている。
あの時、リラがどうしても欲しいといってきかなかったから買ってやったが。まさかこの日のための準備だったのか。なんとも用意周到な奴だ。俺はついリラのほうに目をやった。一瞬目があったが、リラはどこか照れたようにはにかみ、すぐに応接間を後にした。
男はリンゴ湯をすすると、大きくため息をついた。
「ふぅぅ……こんなうまいリンゴ湯は久しぶりに飲んだ。いいお嬢さんですね」
「ああ、ありがとう」
「それでね……さっきの話の続きですが……」
男はカップを置くと再び話し始めた。
男の依頼を聞き終わり、俺は玄関ホールから男を送り出した。居間に戻るとリラがカップを流しに持っていくところが目に入る。俺は声をかけた。
「リラ、そのカップを買ったのは今日の為だったのか?」
「うん。お客さんにはおもてなしはしないと」
「なんだか随分と……」
「え?」
「いや……なんでも」
振り返るリラの顔を見て、俺は慌てて言葉を切った。“キャンディとはずいぶんと違うな”と言いそうになった自分を戒める。リラはそんな俺を気にする風でもなく、視線を手元に戻して、流しで二つのカップを洗っている。
その洗い方というのがまたすごいのだ。
手元から自在にあふれ出る水を操り、カップを包む。カップは透明な水の膜につつまれて、すすがれて、あっという間にきれいに生まれ変わる。
恐ろしいほどの魔術の使い手、それがこのダークエルフ族の末裔、リラなのだ。
今の時代に生きる魔術の使い手の“紋章師”達とはケタ違いだ。リラは水の魔術のみならず、何種類もの魔術を扱うことができる。俺が今まで見ただけでも10種類以上。おそらく、それでもまだまだすべてを見せてはいないだろう。
楽しそうにカップを洗うリラの後ろ姿。白銀の髪を揺らし、小さくはずむ肩越しから聞こえるこぎみよい鼻歌。この小さな背中に、彼女は何を背負っているのだろうか。