さよならキャンディ
俺が本来の姿に戻ったキャンディとの抱擁に心を打たれていると、隣から妙に冷めた声でレイべスがつぶやいた。
「あの~……おふたりさん。感動の最中に悪いんだけど、ちょっと聞いていい?」
俺とキャンデイはパッと体を離し、同時にレイベスに目をやる。レイべスは居心地が悪そうな顔で、頭の上からのびる耳をぴょこぴょこと揺らしながらキャンディに目をやる。
「今、そのダークエルフの女の子の中にいるのはエレシュなの?」
キャンディは目を見開くと、少し考えるように間を持ち、俺とレイべスを交互に見ていった。
「今はエレシュよ。この体の持ち主であるリラはずっと眠ってる。でも不思議なのよね、キャンディとしての記憶もすべて覚えているから、私自身も混乱しているわ」
俺はふと、首をかしげる。いまコイツ”わたし”って言ったよな。キャンディは自分の事をずっと”アタシ”と言っていた気もする。それに、声は同じではあるものの、以前会話していた時と比べるとどこか雰囲気が大人びているような気がする。
俺はすっと立ち上がると、羽織っていた腰までのマントを肩からはがしてキャンディにふわりとかぶせた。キャンデイの身を包んでいるのは、今にも剥がれ落ちそうなほどに腐りきった焦げた羽衣だ。危なっかしい。キャンディはマントを見てから、こちらを見て微笑んだ。
「ありがと、ウル」
「はいよ。さて、それじゃここから出るか」
レイべスが驚いたように黄色い声を上げる。
「え!? ここから出られるの? まさかあなたこの寺院にかけられているダークエルフの結界術を解けるの?」
「ああ、いまさっき、解き方を教えてもらったんだ」
「誰によ、ここにはわたしたちしかいないようにおもうけど」
「ま、一瞬の間にいろいろあってだな」
俺は詳しい説明は省いて、ひとまずこの寺院にかけられた結界術を解くために、回廊を目指した。
ガリアスが教えてくれた通りに、回廊の天井にある古代文字を手順通りに削っていく。レイべスはふたたびケルベロスにその姿を変えて、俺とキャンディを背中にのせて俺の指示通りにあちこちをとび回ってくれた。ことは順調にすすんでいく。
それにしても不思議なものだ。この結界術の解き方を俺は今、知っている。教えられたというよりは、もはや俺の記憶の中にガリアスの記憶がなじんでしまっている。この回廊の構造が手に取るようにわかってしまうのだ。俺は手順通りに進めて、再び中庭に戻ると、祭壇をのぼり中央の棺の前にたつ。
そして、うしろでキャンディとレイべスが見守る中、結界術を解くための最後の呪文を唱えた。
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水をもち身を洗い 土をもち形を練る
百の星座は図式を合わせ
千邪と万聖 穢れは水にあらわれて清まれり
僧正を助け 巫女は随行す
身形をもって終止 紡ぎは 星が照らしたり
青龍 白虎 朱雀 玄武 は四方の対峙
急いてことをおし進めよ
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俺はさっき教わったばかりの呪文を、慣れたように唱え終わる。
ふと、空気がはれたような気がした。後ろからレイベスの声が聞こえる。
「いま、結界が解けたね。氷のように張りつめていた空気がかわったわ。ウル、だっけ? なっかなかやるわね~。人間族にしちゃ上出来よ。まるでダークエルフみたいだわ」
俺は振り向いた。そこに並ぶのは、白銀のケルベロスと、その背中にのったダークエルフの美少女キャンディ。
「さて、もう自由の身だぜ。きっと地上に出られる。どうするんだ、お二人さんは」
ケルベロスの姿のままレイべスは話す。
「結界が解けたのならばこんなところに用はないわ。エレシュ、冥界へ戻りましょう」
ケルベロスの背中にいるキャンディは口ごもる。そして小さく話す。
「なんだかね。私、千年もの間、ずっとこの世界中を旅していた。だから、この世界を去るのを寂しく感じるわ」
「あなたね、この世界に無理やり呼び出されたくせに、何を言っているのよ。私がどれだけ三千世界(様々な次元の世界)をめぐりめぐってあなたを探し回ったと思っているの」
「わかってるわよ、わかってるけど……」
俺は気になっていたことを聞いてみた。
「なぁ、キャンディ……。もしもお前さんがその体を抜けてもとの冥界に帰ったとしたら。その子の体はどうなっちまうんだ?」
キャンディは答える。
「今は私の力で形を保てているけれど、この子の体は千年以上も前のものだからね。きっと朽ち果ててしまうでしょうね」
「そうか……その子を……リラを地上の世界に連れて行ってやりたかったんだが、無理かな」
「ええ。かわいそうだけど」
「わかった。仕方ねーな」
その時、遠くから大きな地鳴りがきこえた。その音は次第に足元から壁を伝い天井にまで届いた。俺は身構えて周囲を見渡した。
「お、いったいなんだこの揺れは?」
キャンディが答える。
「ダークエルフが考案した転移魔術よ。ダークエルフは外敵から身を隠すため、自分たちのすむ地下都市をあちこちに移す転移魔術をかけているのよ。もうじきこの寺院は再びこの世界の地下のどこかへ転移するわ」
「へっ、転移魔術なんてものがあるのか。なるほど。千年遺跡は急に現れて急に消える。その言い伝えの正体は転移魔術というやつなのか」
「ええ。ここにいては危険よウル。私たちはどうとでもできるけれど、あなたは巻き込まれるとどこへ飛ばされるかわからないわ。ここでお別れね。さ、はやくレイべスの背中に乗って!」
俺はキャンディの言うがまま、急いでレイべスの背中に飛び乗った。レイべスは祭壇を飛び、一気にジャンプする。地に降り立つと空気を切り裂くように駆け抜けた。
ゴゴゴッゴゴゴゴッゴゴゴゴ
のしかかるような異音が俺たちを包み込む。
レイべスはあッという間に、ここに降り立った時の呪いの階段を駆け上がると、最初の踊り場にたどり着いた。
俺はレイべスからとびおりて、出口に近寄る。そして振り返る。ここでお別れなのか。キャンディ。大地の唸り声はさらに強く大きくなる。ついに足元がグラグラと揺れ始めた。
キャンディはレイべスの背中から降り立ち、ゆっくりと歩を進めて俺に近づいてきた。そして俺の目の前で立ち止まると、こちらを見上げてにこりと微笑んだ。
「……ウル、さよならね」
キャンディはそういうと、マントの下から黒いうさぎのぬいぐるみを取り出して俺に握らせた。そして、俺に手をすっと差し伸べた。俺はひざまずいてもう一度、キャンディを抱きしめた。少女は俺の耳元でささやく。
「私は冥界の女神エレシュキガル。私はここで去ります。ウル。この体は大丈夫よ。私の力でこの子の体の時を戻して元通りにしてあげる。この子はこれから、ダークエルフの15歳の少女としてその生を全うする。あなたが守ってやりなさい」
俺は息を吸い込んだ。そして伝えた。
「俺にとってのお前はずっとキャンディだ。いままで、たのしかったぜ。ありがとよ。俺はお前のことを忘れねぇ、わすれねぇからな……」
「ありがとう。ウル。このダークエルフの少女リラの中に”キャンディ”の記憶を残していってあげる。ふとした時に顔を出すから……その時はよろしくね、このくそオヤジッ、アタシを忘れるんじゃないわよ。ふふふっ」
そういったとたんに少女の体はぐったりと倒れこむ。その体から白い光が糸のように抜け出す。そして光はふたたびレイべスの背中にもどった。
光から優しい声が響いた。
「さぁ、ウル。いきなさい。ここはもうじき土となる」
俺は少女の体を抱きあげて、光に背を向けた。そして叫んだ。
「あばよ! キャンディ!!」
俺は一気に出口にむかって走り出した。