ガリアスのこころ ④★
寺院の回廊を駆け足で直線に抜ける。中庭に出てすぐたちどまる。
目の前に広がる光景に足がすくんだ。
なんとおぞましい。
まるで絨毯のように屍が累々と折り重なり倒れている。ダークエルフの黒い肌とリザードマンの緑の鱗が交互に足元を埋め尽くしている。地獄、いやまるでこの庭こそが冥界の入り口だ。あちこちから死んだばかりの者たちの怨嗟の悲鳴が聞こえてくるようだ。
私は心を麻痺させて、屍の隙間につま先を踏みいれながら先にすすむ。その時、うめき声が足元から聞こえた。視線をおろすと袈裟を真っ赤にそめたダークエルフの僧侶がびくりと顔を上げる。私は膝まずきその者の体を仰向けに抱えた。男は息も絶え絶えに、私にむけて目をひらくと、小さく話した。
「こ……これは夢か、もしや、あなたは……賢人ガリアス様か……」
「いかにも、おぬしは?」
「わたくしはこの寺院の僧、ルーグラと申します」
「ルーグラ、傷を治そう」
私が右手をかざそうとすると、ルーグラは私の手をぐっとつかんで顔を横に振った。
「死期は悟っております……応急処置を施したところで……無駄です」
「いったい何が起こったというのだ」
「よくはわかりませぬが……どうやら地上の連中に神魂召喚の儀式のことが……ばれていたようです……奴らは神をその身に宿した巫女様をさらい……その力を利用しようとしている」
私の心がぎゅうと痛む。私は周囲を見渡した。その時ふと、中央にある上に飛び出た祭壇が目に入った。むき出しの階段があり、その上に誰かが立っている。まるでこの地獄の庭を見下ろすように。私の視線に気が付いたのか、胸元のルーグラは振り絞るように声を押し出した。
「見えますか、ガリアス様……冥界の女神エレシュキガルの召喚は……すでに成されました。巫女様の体にはすでに神が宿っております……。あの神々しきダークエルフの巫女様のお姿。どうか、巫女様を……おお、巫女様……そのお姿を目に焼き付けて、死にたい……」
そう言い切ってから、ルーグラの体は一気に重くなった。ルーグラは目を開いたまま息絶えた。まんまるに見開かれたままのルーグラの瞳は、虚空を見つめたまま、生気を失った。
遅かった。何もかもが遅かった。
神魂召喚がすでに成就されたというのか。私はルーグラのまぶたをそっと閉じて、その体を横たえた。
「……許してくれ」
私は立ち上がり。祭壇に立つ人影を睨みつけた。薄い羽衣をまとった小さな背中。そこにかぶさる白銀の髪はゆれりと流れる。あれが、我が孫娘リラだというのか。この地獄のような光景をあの子はどんな思いで見つめるのか。私はその背中から目を離さないように進み、ついに祭壇にのびる階段の根元にたどり着いた。
一歩一歩慎重に階段を上る。上るたびに鼓動が大きく膨れ上がり、今にも内側から破裂しそうなほどだ。頂上付近まで来て私は息をのむ。そして声をかけた。
「巫女様……ご無事ですか」
純白の衣装をまとったその人影はゆっくりと、体全体をこちらに向けた。その体を軸にして、ふわりと衣が弧を描く。
振り返ったその顔は、まぎれもなくリラだった。
まるで変わらない。最後にわかれた時とおんなじ少女の顔でリラはそこに立っていた。何を言えばいいのかわからない。私はただ茫然と黒い肌に巫女装束をまとったリラと見つめあった。ふと、リラが口を開いた。あのかわいらしい声が響き渡る。
「あら、まだ生き残りがいたのね。やっぱり、こうしてこの世界に召喚されると本来の力の何分のいちも出せやしないわ。それにしてもアタシを呼び出した男はどこへ行ったのかしら。ねぇ、アンタ知らない?」
「巫女様……いや、リラではないのか?」
「残念。ちがうわ。その子の心はいま、眠りについている。アタシの中でね」
眠っている。その言葉を聞いて私はどこかほっとした。ということはリラはこの光景を見てはいないのだ。私はこの恐ろしい状況の中でどこか妙に安堵した。リラは眠っている。今私の目の前にいるのは女神エレシュキガルの神格ということか。
私は階段を一歩進んだ。
この試みがうまくいくという保証はどこにもない。
私はまたひとつ階段を上がる。
神魂召喚を行い神をこの世界の器に移した際。神の力はその器の力に比例する。強力なリラの体に乗り移った神の力は絶大なものとなる。それはつまり、器の力に依存しているということ。裏を返せば、その器が何の変哲もない、何の魔力も持たないものだとしたらどうか。
私はのぼる。
その時、リラの体に宿ったエレシュキガルの表情が曇ったのが分かった。近づく私を警戒しはじめている。
私は胸ポケットに右手を差し込むと、中にひそめていたものを取り出し見せた。エレシュキガルの表情がどこかゆるんだ。
「あら、かわいらしい人形ね」
「ええ。実はその子が大事にしていた黒いうさぎのぬいぐるみなのです」
私は考えを張り巡らせる。神の力は器に依存する。ならば神をリラのからだから引きはがし、この人形に移してしまえばいいのではないか。器と魂を分かつのだ。
その時、エレシュキガルの声色が鋭く私を引き留めた。
「それ以上、近づくのをやめなさい。アンタなんか一瞬で消し去ることができるのだから」
私の足が固まりそうになる。しかし私は力を振り絞り、重い足を持ち上げた。そして話しかけた。エレシュキガルではなく、どこかで眠るリラの心に。
「リラ、これはお前の大事にしていたぬいぐるみのキャンディだ。私が寂しくないようにと、別れの時に私にくれたものだ。でも、私は大丈夫だ。リラ、本当に寂しかったのはお前なのだから。こんなところに閉じ込められて……大いなる力を授かったばかりに……私の血を引いたばかりに。すまなかった……本当にすまなかった」
「うっ……」
エレシュキガルは小さくうめき、頭を押さえるとその場にしゃがみこんだ。私はさらに語りかける。そしてついに祭壇の上にのぼるとリラのそばに進んで、小さく震える肩を抱いた。
「リラ……この寺院に閉じ込められるべきは私だったのだ。私がここにいるべきだったのに。私が逃げたばかりに、お前をこんな目に合わせてしまった」
「やめ……て……あたまが……われる」
「リラ、リラ、そこにいるんだろう。ああ、私には懺悔しかできない……」
私はそっとリラの背中に左手を回してその背中に指をおし当て、素早く印をむすんだ。呪いの魔術を唱える。
”遷心の呪法”だ。
魂を対象から引きはがし、別の何かに封じ込める。
私はありったけの魔力を込めて、術を唱えた。
そして、つぶやく。
「リラ……このおいぼれを……ゆるしておくれ」