ガリアスのこころ ②★
孫娘であるリラが私の屋敷を去り久しい。
リラは巫女の儀式を立派にやり遂げ、今では正式な巫女として寺院で働いているらしい。風の便りでそう聞いた。もうリラと深くかかわることもないだろう。
儀式を経て寺院に入ってしまった者は、世俗とは切り離された生活を送ることになるのだ。リラはいつでも会えると言ってくれたが、それが私を気遣ってくれた言葉だとはわかっていた。その優しさが私にはうれしかった。
ダークエルフが住むこの地下都市ディールは、すべての建物が光を放つ月光石で作られている。巨大な寺院を中央におき、その周囲を民家が囲む境内都市となっている。
私はこの都市の隅っこにある自分の屋敷でひとりきり。妻を亡くしてからは、ダークエルフの知恵を後世に伝えるため、魔導書の編纂を毎日の日課にしていた。
そんな私の耳に不吉な噂話が飛び込んできた。
今、寺院内で神を呼び出すという神魂召喚の魔術を執り行おうという話が持ち上がっているというのだ。しかも、巫女となったリラの体を器にして儀式を行おうとしている、と。
私は事の真偽を確かめるため、寺院に出向いた。
寺院内は立ち入ることが禁止されている。儀式を経た僧級(僧侶の階級)を持つもの以外は中にはそう簡単には入れない。私は寺院横にある離宮に通された。
小さな祭壇のある椅子も机も何もない部屋で私は立ったまま待たされた。どれくらい待ったか、ふいに入口の扉が音もなくひらいた。白い袈裟を肩から斜めにかけた男が現れこちらに軽く会釈をした。
頭を丸く刈っているせいで、顔の両から延びるとがった耳が異様に長くみえた。白い袈裟。僧侶の階級としては中僧正か。それなりに高い階級だが、私の望んでいた人物ではない。
男は涼しげなまなざしでこちらを見ると、控えめそうな小さい口を開いた。
「ようこそおいでくださいました。賢人ガリアス様、なにかお急ぎの要件とお聞きしましたが」
「私が会いたいといったのは、寺院の代表である大僧正様だが……」
「大僧正様は現在お忙しく、お目通りはかないません。かわりにわたくしが遣わされました。中僧正のゴウリと申します」
「ではゴウリ、単刀直入に問う。今、寺院内で神魂召喚を執り行う話が出ているというのは本当なのか。それに、神魂を呼び出す器として巫女を使うとも聞いたが」
ゴウリの左の眉がピクリと盛り上がった。ゴウリは取り繕うように表情を崩し乾いた声を出す。
「いったい誰がそのようなことを」
「はぐらかすな。ここで噓を言ったところで無駄だぞ。私はこの後、大僧正様のもとへ確かめに行くつもりだ」
「寺院への立ち入りは禁じられています。いくら賢人ガリアス様といえども許可がない限りは大僧正様のもとへはご案内できません」
「誰の許可がいるというのだ?」
「わたくしの、です」
私は斜に構えていた自分の体をゴウリに真正面に向けた。右手をすっとゴウリに向け、伝える。
「私と一戦交えてみるか?」
「……ふっ、やめておきます。まさかあなたがそれほどまでに好戦的とは。では、お望み通り、お伝えしましょう。神魂召喚の話は真実です。これで満足ですか」
私は右手を下ろしてゴウリに強く迫った。
「いったいなぜそんな危険なことを! 神を呼び出すなど。何が起こるかわからぬぞ!」
ゴウリはすっと指を上にさした。そして私にゆっくりと話す。
「ガリアス様。今、地上で何が起きているのかご存じですか?」
「地上がどうしたというのだ」
「本当に何もご存じないのですね。今、地上では様々な種族が国を挙げて入り乱れ、覇権争いをしています。エルフ族、ドワーフ族、人間族、獣人族、巨人族。ガリアス様、あなたがこの街のすみで魔術書と睨めっこをしている間にも、世界は大いに乱れているのです」
「だからどうした。放っておけばいいではないか。愚か者どものみじめなケンカに加わる必要がどこにある」
ゴウリの声に鋭さが増す。
「地下にいれば、安全だとでも思っておいでか。我々はすでに巻き込まれつつあるのです。実際にこの地下都市は他の種族たちに見つかり、幾度か侵入されています。そのたびに我々の作り上げた魔術や武具が盗まれている。賢さというものは、時として愚か者にはひ弱さに見えるのです。つけ入るスキを与えるだけなのです。賢く、そしてずるくなければ争いごとには勝てない。愚か者たちの食い物にされるだけです」
「で、それが神魂召喚とどう関係があるのだ」
「神魂召喚により神の力を手に入れ、やつらに思い知らせるのです。我々ダークエルフに手を出せばどうなるのかを。そして、地上にあがり愚か者たちがひしめく世界を手中におさめるのです。でなければ我々が奴らに食い尽くされる」
「話し合えばいいではないか、いったい何のためにその頭があるのだ。その言葉があるのだ。いやそんなことはどうでもいい。とにかくリラを神魂召喚の生贄にするなど、私が許さぬ!」
ゴウリは目を細めて、怪訝な顔をして見せた。声を潜める。
「不敬ですぞ。巫女様を呼び捨てにするとは……」
私はゴウリの矢のようなまなざしに少したじろいだ。ゴウリはずいっと一歩こちらによる。そして冷たい声で話す。
「ガリアス様。寺院で巫女の儀式を経たものは、すでに神にその命をゆだねたも同然。血族とも縁を断ち切り、天涯孤独となった神聖なる存在。リラ様はもうあなたの孫でも何でもないのです。そんなことはあなたもわかっているはず。それに……こうなったのはあなたにも責任があるのです」
「私に?」
ゴウリは小さくため息をついた。まるで自分を落ち着かせるように胸に手を置いて話す。
「……ガリアス様。かつてダークエルフいちの賢人と呼ばれたあなたは、一度、ダークエルフの長である大僧正の地位に就く機会があったと聞いています。しかし、あなたはそれを蹴った。ダークエルフの指導者になることを嫌がり、街のかたすみで魔術の研鑽に没頭することを選んだ。強力な力を持ちながら、その力を内に秘めたまま、書物と孤独にたわむれることを選んだのです」
「……私を愚弄する気か」
「いいえ。わたくしは残念でならない。力を持ちながら力を使うことを恐れたあなたに、失望しているのです。もしも、あなたが大僧正の地位を継いでいれば、こんな事態は防げたはずなのです。あなたはまるで自分が何も悪くないようにふるまっている。愛する孫娘を取り上げられた哀れな老人のようにふるまっている、わたくしはその姿に失望したのです」
私は悲しげに呟くゴウリの言葉に息が詰まった。看破された。私のおびえた小さな心が丸裸にされた気分になった。その通りだった。私は指導者になる重責から逃げて、世捨て人のように書物に囲まれて過ごすことを選んだ。
後世の人々の為だといいながら、今生きている人々のことを考えることから逃げていたのだ。
言葉を失った私にゴウリは背を向けた。そして背中のまま告げた。
「神魂召喚の儀式は行われます。すでに大僧正様がお決めになりました。リラ様も同意しています。わたくしには止めることなどできないし、あなたにも止めることはできないでしょう。リラ様は冥界の女神エレシュキガルを呼び出すための生贄となるでしょう。あなたが逃げたことにより、あなたの孫娘が責任を取ることになった。ただそれだけの話です。ガリアス様、あなたは被害者でも傍観者でもなく、この事態を引き起こした当事者なのです」
ゴウリはそういうと部屋から出て行った。