氷の紋章師、メビウス★
呪具オークションが終わり、お師匠テマラとの短い再会を終えて俺とキャンディは帰路につく。
またもや激しく揺れる箱馬車にゆられる。キャンディは俺のポケットですやすやと眠っているようだ。
しかし、来るときと一つ、違うものがある。
俺の隣に小さな木箱。木箱も俺と同じように椅子の上で前後に激しく揺れている。ガタガタうるせーなおい。
テマラが「お土産だ」といって俺に手渡したこの木箱。
中身を確認するまでもない。おそらく、この中にはテマラが落札したあの呪具が入っている。
あの『斬呪剣』が入っている。ボクちゃん、中を開くのが怖くてまだ見てないの、ううう。
あの剣は通り名がいくつかあるようだったが、俺はコイツの事を”ざんじゅけん”と呼ぶことに決めた。文字通り呪いを斬る剣だ。
実は怖くてまだ握っていない。
オークションでのあの光景が目に焼き付いて離れないのだ。この剣を握ったとたんに全身がはじけ飛んだ男。
俺は一瞬目を閉じたからよかったものの、もし瞬きのタイミングがずれていたらと思うとぞっとする。
「はぁ……こんなもんもらってもな」
意図せず声が出た。
そのせいかキャンディがむずむずと動き、ポケットから顔を出す。
「……ん、ついた?」
「お、悪い。起こしちまったか」
「ううん。いいよ。どうしたのため息なんかついちゃって……ふぁぁ~ねみゅい」
「この折れた剣が金貨500枚だぜ」
「あぁ……その剣ね。でも、どうするのそれ」
「一応、洞窟で保管はするけどよ」
「この剣の売り主の人に会うとかなんとかいってなかった?」
「ああ。一応ムンには売主に俺が会いたがっていると伝えてほしいとは言っといたから、あとは向こうが接触してくるかどうかだな」
「会いに来るかしら」
「どうだか。この剣を手放したかったからあのオークションに出品したんだろうし、むつかしいかもな」
俺はムンから聞いた話をふと思い返す。
”この剣は呪いを実体化し切り殺す剣”
”見えないものがみえて、見えるものが見えなくなる”
どういう意味だろう。
オークション会場で、この剣を握った途端に破裂したあの男。
あの気の毒な男は、破裂する直前に何かを見たのだろうか。この剣に宿る何かを。
その時、急に馬車が動きを止めた。尻が前にずれかけて、両足で床を押し体を支える。
「なんだ?」
俺は右手にある小窓のカーテンを指でついっと開き外に目をやる。景色が止まっている。おもわず耳を澄ませる。
前方で誰かが何かを話している。
突然馬車の扉が開いて、馭者の男が顔を見せる。
「すんませんがお客さん。アンタと話したいって人が」
「俺と?」
「へぇ。荷物の事で、とか何とかいってますが」
俺はちらりと隣の木箱に目をやる。まさかね。はやすぎやしないか。
俺は馭者の男に頷くと扉から身を出して、外に降り立った。
視線を上げると、馭者の隣にローブを身にまとった女が立っている。
黒い髪をなびかせて女はこちらに軽く頭を下げ、すぐにあげた。
こちらを見据えるダークアイズ。よく見ると、全身黒ずくめだ。
女は薄い唇を開く。
「あなたがウル様ですか?」
はっきりとした音。意志の強さを感じる声に俺はすこし気圧される。
「あ、あぁ、そうだが」
「主催者様から、お話を聞かせて頂きました。突然でお許しください」
「もしかして、アンタが売り主?」
「はい。その剣を購入されたという事はその剣を扱える、という事でございましょうか」
「いや、まだ握ってもいないよ」
女はあからさまに落胆した表情を見せた。急に態度がそっけなくなる。
「そうですか……あなた様が、もしその剣をお使いにならないようでしたら、倍額で買い戻しますので。いつでもお言いつけください」
「は? 何を言ってやがんだよ」
「ワタクシとの接触は、今回のオークション会場で。10日後でどうでしょうか。その時にお返事を」
なんだ、この女は。なんとも一方的な物言いだな。
「ちょっと待ってくれ、一体何を言ってんだお前さんは」
「他にその剣を渡されては困りますので」
「この剣を落札する奴を探してたって事か、なんとも気分の悪いやり方だな。俺がこの剣を返さないと言ったらどうなるんだ?」
「売ってくださるまで交渉させて頂きます」
「へっ。気に入らねーな」
「申し訳ございません」
何か事情がありそうだな。
「ただな。実は俺も迷ってるんだ。この剣を試してみるかどうかを」
女の表情がすこし揺れる。俺は続ける。
「ただ、握ったとたんに破裂するなんて目にあうのはごめんだ。もう少しこの剣の事を調べたいとは思っている。そのためにまずはお前さんの素性を知りたい」
「ワタクシの素性をお教えするには条件があります。あなた様がその剣を握ることができるかどうか」
「握れば教えると?」
「さようでございます」
「じゃ、握ってもし俺が死んじまったら?」
「剣は持ち帰らせていただきます」
「はっ、笑わせてくれるね。そっちに都合のいい事ばかりじゃねぇか」
「そもそも、金貨500枚は破格の値段ですから」
「こんな骨とう品に金貨500枚も払ってやったんだぜ」
ま、俺の金じゃなくてお師匠の金だが。いまは伏せとこうっと。
「わかりました。それでは名乗りましょう。ワタクシはエインズ王国、北西のドネシア家に仕える氷の紋章師、メビウスと申します」
「ドネシア家、ね」
「では、10日後。あの屋敷でお待ちしております。あなた様は……約束を守ってくださるお方です」
「はぁ?」
メビウスは真っ黒のフードを頭からかぶると、振り向いて横にとめていた大馬にひらりと飛び乗り、走り去った。
「なんだよ、一体……」
その場に残された俺と馭者はお互いの顔を見あった。