セイロン大司教
アプルに続き中庭から細い廊下に入り込むと、途端に静かになる。
なんだか生活感のない空間だ。俗世間から隔離されている空間か。
俺はあたりを見回しながら進む。
アプルが奥の扉の前で立ち止まる。ちいさくノックして、俺を部屋に通してくれた。アプルはすぐに部屋から出て行った。
大きな窓から差し込む光に照らされた小部屋。壁際に小さなテーブル。上には分厚い何かの本と、小ぶりな木の鉢植え。
必要最小限度の物しか置いていない部屋といった感じだ。
中央には小さなテーブルに座る白髪の老人がいた。
黒マントの祭服の首元から白いえりが伸びる。老人は立ち上がると、にこりとこちらに笑いかけて名乗った。
「ようこそおいで下さいました。私はセイロンと申します」
俺は軽く頭を下げて、すぐにセイロンの前の席に座った。早速、話を進める。
「あなたが今回の依頼主で?」
「ええ。長旅でお疲れでしょう、今お茶をお淹れしま……」
「いや、結構ですよ。どうぞお座りになってください」
「そうですか、では」
セイロンはそういうと腰かけた。
俺は荷袋を足元に置くと中から仕事料金の書いた羊皮紙を引っ張り出してテーブルに広げた。
セイロンは細い目でそれを眺める。俺は伝えた。
「アプルからある程度の話は聞いていますんでね。今回の依頼はこの表ですと解呪の範囲ですかね」
「そうなのですか」
「実はここに来る途中、すでに例の黒騎士に遭遇しましてね」
「なんとまぁ、そうでしたか」
「呪いかどうかは調べてみないとわかりませんね、料金としては……金貨300枚というところです。支払いは一括でなくても結構です」
セイロンは小さくつぶやく。
「ご存じかと思いますが、我々の施設の運営資金は信徒の皆からの寄付によっていまして。我々の微々たる収入では、高額の支払いはむつかしいのです」
「まけろと?」
「そうはいっておりません、すこしご配慮願いたいのです」
セイロンは表情を変えず、妙に目尻にしわを寄せて俺を見つめてきた。
がめつい爺さんだ。しかし不気味なほど感情が読み取れねぇ。
俺はまどろっこしいやり取りは嫌いだ。
「はっきりいってくれませんかね。金が払えないならば、この話は無しです。帰らせてもらいますが」
「いえ、そのような事では。しかし金貨300枚はあまりにも……」
「あ、そういえば。フレイブル大聖堂、実に見事な建物ですね」
「え? ええ、この聖都市フレイブルの象徴ともいえる建物ですから」
セイロンは少し首をかしげながらも返事をした。俺は続ける。
「先ほど見せてもらいました。大聖堂前の広場に多くの職人がいましたよ。壁際には木の足場が組んであるのが見えました」
「ええ、あれだけの建物ですから年中修復作業が必要でしてね」
「石切り工、仕上げ工、彫刻家から鍛冶屋まで、様々な職人が必要ですね」
「はぁ……まぁ……」
動かなかったセイロンの表情に陰りが見える。不安げに眉がうごく。額にしわが寄った。
俺は続ける。
「一つの行程に何十もの職人が参加します。まさか、彼ら全員をただで働かせているわけではないでしょう?」
セイロンはついに黙り込んだ。もう一押し。
「セイロン大司教、あれだけの職人への支払いに比べれば金貨300枚なんて苦ではないはずだ。支払えないわけがない」
「いや、しかし……大聖堂の補修とこの話とは」
「同じですよ。聖職者が呪いの黒騎士に粛清されているなんて噂話は、ニンハラル教にとっての醜聞です。大聖堂を修復するように、ニンハラル教の聖職者の名誉を修復しなくてはいけないのですよ」
「ふうむ……それはそうですが」
「はっきりさせてください、払わないならば帰ります」
「わかりました……少し考えましょう」
俺は料金表を丸めると荷袋に突っ込んで立ち上がる。
セイロンはうつむいたままだ。俺は告げた。
「返事はできるだけ早めにお願いします」
俺はそういうとさっさと部屋を出た。なんとも食えない爺さんだ。
部屋の扉を閉めたとたん、キャンデイが胸ポケットから顔を出す。
「ちょっと、アンタ、なんだかいつになく強気なやりとりね」
「ムカつく爺さんだ。あわよくば料金を安く抑えようって魂胆みたいだが、そうはいくかよ。あいつは他人を侮りすぎだ」
「でも、困ってるみたいだったわよ」
「困ってるわけねーだろ」
俺たちが小声で話していると、廊下の向こうからアプルが顔を出した。
俺たちは口をつぐんで、ひとまずアプルのいる方に向かった。




