3.星渡りの悪魔
フォベトールを家に招いて、彼について分かったことがいくつかありました。
一つは、彼が無類のカボチャ好きだったということです。強がっていましたが、お腹はぺこぺこだったようで、鍋はすっかり空っぽになってしまいました。
もう一つは、彼は人見知りをするだけで、一度気を許せばとてもフレンドリーに接してくれるということです。傷薬も疑うことなく塗られてくれましたし、ヘカッテの魔法の練習を見てむじゃきに喜ぶという姿も見せてくれました。
そしてもう一つは、彼に関する噂は本当だったということです。
フォベトールが家に来てから、ヘカッテはよく転ぶようになりました。お皿を割ってしまったり、水をこぼしてしまったりと、運が悪いとしか言いようがないほど失敗も多くなってしまいました。
それらをすべてフォベトールのせいだと言うには少し乱暴かもしれません。けれど、うわさされていたこともあり、やっぱりフォベトールの力なのではないかとヘカッテは思ってしまいました。
それに、フォベトールの自身も、ヘカッテに降りかかる不幸を、自分が招いているのだと思っていました。それを悪いと思っているのではなく、むしろ誇らしいと思っているようです。
やっぱり、悪魔は悪魔。
悪魔でないものたちとは一緒に暮らせないのでしょう。
それでも、ヘカッテは両親からのお手紙の言葉を信じ続けました。
薬は効いているようですが、フォベトールの怪我がしっかり治るには時間がかかりそうでした。そうである以上、見放すわけにはいきません。だから、ヘカッテはふりかかる不幸を払いのけながら、フォベトールに向き合い続けました。
ところが、フォベトールはフレンドリーながら悪魔らしくちっともいい子ではありませんでした。ヘカッテがどんなにお世話をしてもお礼なんて言いませんし、怪我が良くなり始めてもお家の仕事を手伝いもしません。
たまにモルモとラミィが文句を言っても、ヘカッテが穏やかにお願いしても、フォベトールはこう言うのです。
「悪魔は簡単に力を貸さないものなんだぞ」
わがままなその言葉に、モルモもラミィも怒ってしまいました。
悪魔はやっぱり悪魔。親切にしたって何にもならないのかもしれません。その上、小さな不幸を招いてしまうのですから尚更です。
しかし、ヘカッテはめげずにフォベトールを家に居させ続けました。それどころか、お世話をやめなかったのです。
そんなヘカッテをモルモとラミィは呆れながら見守っていましたし、カロンやメンテも心配しながら見守っていました。
どんなにフォベトールが原因と思われる不幸がのしかかってきても、ヘカッテが彼を追い出そうとすることはありませんでした。
なぜなら、ヘカッテは信じていたからです。
良心を信じなさいというお手紙の言葉を。
そんなヘカッテを試すかのように、細々とした不幸がヘカッテを襲いました。何もないところで転ぶし、しっかりと壁にひっかけてあったはずの鍋が頭に落ちてくるし、大事な本の一部が子ネズミのイタズラでかじられてしまうし──。
見かねたモルモとラミィはフォベトールのいないところでヘカッテに何度も言いました。
「もう頑張ったんじゃない?」
「あいつの怪我だってとっくに治っているわ」
「だから、そろそろ追い出しちゃいなよ」
同じような事を言うのは、二人の妖精だけではありません。いつもは冷静なカロンもまた、ヘカッテに何度もしっぽを踏まれるという不幸に見舞われていましたので、とうとうヘカッテに告げたのでした。
「そもそも悪魔というものは丈夫に出来ているものだと図書館の本には書いてあった。あれだけ世話してやったんだから、もう大丈夫なんじゃないかな」
ヘカッテは悩みました。それでも、決断できずにいました。
確かにフォベトールは幼く見えても悪魔です。魔女よりも体は丈夫かもしれません。けれど、ヘカッテは知っていました。フォベトールがまだ万全ではないことを。
彼はいつも拾い集めた流れ星の欠片を前になにやら魔法を使おうとするのですが、いつも失敗していたのです。フォベトールは深く語りたがりませんでしたが、どうやらそれがないと旅立つことも出来ないようなのです。
ならば、力が戻るまで置いておくべきなのではないか。
ヘカッテはそう思っていたのです。
けれど、そんなヘカッテの優しさをあざ笑うように大きな不幸が訪れました。なんと、ヘカッテが命と同じくらい大切にしてきた歌う花メンテが病気にかかってしまったのです。
「それも多分、オレのせいだね」
メンテの入った鳥かごを抱えて泣きそうになっているヘカッテに、フォベトールはあっけらかんとした態度で言いました。
「大事なお花ちゃんなんだろ? さすがに怒っただろ。追い出したいなら出てってやるよ」
ヘカッテは黙ったまま鳥かごを抱えていました。
怒っているかと言われれば、どうなのでしょう。ヘカッテは自分でもよく分かりませんでした。ただ両親の言葉を信じて我慢してきたのに、どうしてこんな事になってしまうのか分からず、ただただ悲しい気持ちになってしまっていました。
けれど、泣きそうになるヘカッテに、メンテは竪琴の音で弱々しく歌いかけました。
その音のささやきに、ヘカッテはふと我に返り、フォベトールに答えました。
「追い出したりしない。怒ってもいないよ。でも、メンテの病気は治さなきゃ。今日はカボチャのスープは作れないから、ご飯は自分で用意して」
「えー、別に頼んでねえからいいけど。お前はどうすんだ? どっかで食べてくるのか?」
「ううん、迷宮に行ってくるの。メンテの病気を治すには、月のしずくがもっと必要なの。魔力をたくさん使うから」
「へえ」
フォベトールは興味なさそうに呟きましたが、ふと、不思議そうにヘカッテを見上げて訊ねました。
「お前さ、ここまで面倒な事になったのに、どうしてオレに怒ったりしないんだ? オレがいなかったら、そいつも病気になんなかったのに」
ヘカッテは答えました。
「良心を信じているから」
「りょうしん?」
いかにも悪魔の嫌いそうな言葉です。案の定、フォベトールはしかめっ面になりました。けれど、ヘカッテは小さく笑ってうなずきました。
「『決まりごとよりも良心を信じなさい』って、お父さんとお母さんのお手紙に書いてあったの。ふたりとも立派な魔法使いなんだよ。だから、わたしはこの言葉を信じているの。良心に従うなら、やっぱりあなたのことは見捨てられないから」
フォベトールはしばらくぽかんとした表情でヘカッテを見上げていました。
けれど、ふと視線を落とすと、長いしっぽをいじりながら退屈そうな声で呟きました。
「よく分かんね」
その言葉にカロンは腕を組みながらため息をつきましたが、ヘカッテは苦笑いに留めて、彼に言いました。
「そういうことだから、しばらく待っていてね」
つんとそっぽを向く彼にあきれつつ、ヘカッテはさっそく迷宮へと向かいました。
美しさと静けさで満ちあふれたその天然の迷宮に、ヘカッテはほぼ毎日向かいます。実を言うと、この日もすでに向かいました。
いつもの目的もやはり月のしずく集めでした。魔法の小瓶に新鮮なしずくを集め、それを自分の魔法の糧とするのです。ヘカッテが月のしずくを口にしなければ、カロンの魔法は解けてしまいます。メンテにとっては大事なご飯でもあります。
それだけ、このしずくは大事なものなのです。けれど、天然のしずくですので、時間が経つと駄目になってしまいます。一度にたくさん採取できないからこそ、ヘカッテはいつもカロンとメンテを引き連れて、静かで美しくて楽しいけれどどこか心細さもある迷宮探索を度々しなくてはならないのです。
ただでさえ薄暗さもあるこの冒険には、厄介なハードルも存在しました。
一つは歩くだけで体力がどんどん削られていく地形。そして、もう一つは、迷宮のあちらこちらを我が物顔でさまよい歩く怪物の存在です。
この中で一番恐ろしいのは怪物の存在でした。迷宮で迷ったひとびとのなれの果てとも言われるこの怪物たちは、いつどこからヘカッテたちを襲ってくるか分かりません。
出会う端から魔法で倒すなんてことも今のヘカッテにはたいへん難しいため、見かけたらなるべく戦わずに逃げ隠れしなくてはなりませんでした。
迷宮探索は慣れたものですが、怪物対策だけはいつも気が抜けません。とくに怖いのがモノ探しの怪物で、月のしずくを捜しているヘカッテたちを探し当て、食べてしまおうと襲いかかってくるのです。
怪物が何を考えているのか、もとはどんなひとだったのか、それはヘカッテの魔法でもなかなか分かりません。けれど、話があまり通じそうにないことと、こちらを食べようとして襲ってくることは分かっていたので、迷宮探索は命がけでもありました。
出来れば長居はしたくない。
月のしずくを採れる月のつららという鍾乳石のような結晶の真下にたどり着くまでは、歩むごとに焦りも生まれました。
だからこそでしょう。ようやく月のつららが見えてくると、ヘカッテはつい油断してしまいました。早くメンテを治してあげたいという気持ちもありましたし、家に残してきたフォベトールが心配だったということもあります。カロンもそろそろ寝たいだろうという思いもありましたし、何より自分もそれだけ疲れていたのです。
けれど、この油断を大目に見てくれるほど、迷宮は甘くありませんでした。
ヘカッテが月のつららに向かってかけだしたその直後、おぞましい咆哮が迷宮の中に響き渡ったのです。
そして、怪物は現れてしまいました。
よりによってモノ探しの怪物が。