テレシア・ハイドルトン②
驚く俺たちなど露知らずに魔物は隊長の機体を噛み砕き始める。まるで煎餅を咀嚼するようなバリッボリッという音が周囲に響き渡った。
余りに急展開すぎて、俺のすぐ目の前で繰り広げられている光景への理解が追いつかない。
「う、うわあああぁああ!!」
「こ、殺されるぅううううぅ!!!」
唖然とする俺よりも状況をいち早く飲み込んだ新米の騎士二人が、蜘蛛の子を散らすように逃げ始めた。
……おかしい。ありえない。今回の任務は命の危険なんてないチョロいゴブリン討伐だったはずなのに。こんな未確認の魔物が潜んでいたなんてあり得るはずがないのだ。
なのに、なんだあれは。あの植物型の魔物は巣に住んでいたゴブリン共を捕食した上で、俺たちが来るのを待ち伏せていたとでもいうのか?
……いや、落ち着け。冷静になれ、俺。
今更そんな事を考えたって意味はない。今すべきことは相手の実力が完全に未知数であるこの状況で取るべき最善の行動を一刻も早く考えることだ。
まず初めに救援信号を送るのは確定だ。まぁ、わざわざ俺が送らなくても逃げた2人が応援部隊を呼んでくれるとは思うが。
次にあの魔物から逃げるのはどうだろうか?
隊長を襲った時の魔物の姿を鑑みると、奴の移動速度は俺の機体の全速力より速いことが推測できる。
そして、俺を捕食したい奴にとって誂あつらえ向きに備え付けられたツタによって捕縛される可能性が高いので逃げるのは現実的ではない。
最後に奴と戦うのはどうだろうか?
残念ながら、対ゴブリン用の俺の装備ではどんなに優秀なパイロットであってもあのサイズの植物型の魔物を単独で討伐するのは不可能だろう。
奴のツタによる攻撃で接近することすらままならないし、攻めるための手札や手数が足りないし、何より武器の火力が全然足りない。
俺にできることは救援部隊が来るまで必死に耐え凌ぐことだけだろう。
しかし、俺が搭乗している魔導騎兵の燃料には限りがあるし、地の利は植物型の魔物の方にある。
いつまでもこの膠着状態が保てるとは到底思えない。
そんな事を俺が考えている間にも、奴は何度もツタを鞭のように振るって攻撃を仕掛けてきている。
俺は奴のツタをブレードで切り落としたり、回避したりしてギリギリのところで持ち堪えていた。
俺が生還できる可能性は極めて少ない。いや、殆どないと断言していいだろう。普通の人ならばこの状況で何を考え何を思うのだろうか。
……俺は不思議とワクワクしていた。
本当に気が狂っていると自分でも思う。
俺は自分という矮小な存在を特別なものへと昇華してくれる最高の瞬間をずっと前から待ち望んでいた。
そして、遂に訪れたのだ。奴をぶっ殺すことで周りの人間から英雄と呼ばれ讃えられる素晴らしき瞬間が。
勝てる見込みは低い。だが、そんなの関係ない。英雄は可能性で戦いを語らない。どんなに勝ち目のない勝負も絶対に勝利するから英雄は英雄となったのだ。
俺を産み育ててくれた両親には申し訳ないが、ここで死んだとしても俺は悔いなんてないだろう。
そう思えるほどには、気分が高揚して胸が高鳴っている。
両手でブレードを構えて、俺は植物型の魔物に特攻を試みる……ことはなかった。
その前に奴の背後を取った者による攻撃で、全身を一刀両断された植物型の魔物がそのまま力なく地面に倒れ伏したからだ。
「あ……え?」
突然の出来事に言葉を失う。真っ二つに分かれた魔物の死体から謎の体液が血飛沫のように吹き出す。
その様子を見ていると、俺の機体の画面にすっかり見慣れた少女の姿が映し出された。
「本当に情けない面構えをしてますね。散々息巻いていた数時間前の貴方に見せてあげたいくらいです」
……普通では考えられない速度で俺の救援にやって来たのはなんと毒舌女のテレシアだった。
救援信号を出してからまだ数十分しか経過してないのに、彼女がこんなにも早く俺を助けに来れたのは何故なのだろうか?
いや、それよりもテレシアはあのサイズの魔物をたった一人で討伐したばかりだと言うのに、至って涼しい顔で俺にいつも通りの憎まれ口を叩いていた。
「……んだよ。これからいいところだったのに水を刺しやがって」
「貴方は命を助けられた礼すら素直に言えないほど恩知らずな人間なのですか?」
俺がテレシアに口にした気持ちは本当だし、彼女の言い草にも少しだけ腹が立つが、彼女に命を救われたのは紛れのない事実だ。
散々イキリ散らしてはいたが、よくよく考えると俺の実力であの魔物を単独で倒すことなんて絶対に無理だっただろう。
ここは素直に彼女に対して感謝の言葉を伝えることにした。
「……お前が来てくれなかったら多分、死んでた。その、なんていうか、……ありがとう」
……自分でこの台詞を言っておいて、途中で恥ずかしくて死にそうになった。
精神年齢は30歳を超えているのに、こんなツンデレキャラが発するようなセリフを吐くのは一体どこのどいつだ。
実力は無いのにプライドが無駄に高いせいでテレシアに素直に感謝を伝えられない自分が情けなくなる。
「……ふふっ。どういたしまして」
不器用で不恰好な俺の礼の言葉を、想定よりも素直に受け取った彼女はとても優しく微笑んだ。
そんな笑顔に心癒されながらも、テレシアの才能を間近で再確認した事で俺は彼女に対して羨望に似てるようで違う、形容し難い感情を胸に抱いていた。
「俺も強くなりてぇな……」
……今のままでは絶対に英雄になれやしない。
いつしか彼女を超える力を手に入れる事で、俺の強さに惹かれた美少女ハーレム軍団を作り上げるためにも、訓練にもっと力を入れて臨もうと俺は心に誓ったのだった。
◇
◇
「ふぅ……」
最愛の彼と共に初めての任務から帰還した私は、自室のベットに寝転んでいた。
そんな私の右手には携帯音楽プレイヤーが握られている。
「……お前が来てくれなかったら多分、死んでた。その、なんていうか、……ありがとう……お前が来てくれなかったら多分、死んでた。その、なんていうか、……ありがとう……お前が来てくれなかったら多分、死んでた。その、なんていうか、ありがとう…………」
彼から貰った感謝の言葉をしっかりと録音していた私は、何回も何回も繰り返し再生する。
彼の声は何度聴いても聴き飽きることはない。どんなに疲弊していても、録音してある彼の声を聴くとすぐに元気が出る。
「万が一の事を考えて、彼の機体に盗聴器を仕込んでおいて本当に良かったな……」
彼の姿形を完璧に再現した等身大の抱き枕を抱きしめながら、私は今日の出来事を思い返した。
私と彼は不幸にも別の部隊に配属されてしまった。ゴブリン討伐任務といえど、何かあったらすぐ救助に向かえるように盗聴器を仕込んだのは我ながら好判断だったと思う。
……まあ、決して他人には言えないそれ以外の目的もあるにはあるのだが。
それはひとまず置いておいて、設置した盗聴器のお陰で未確認の魔物が彼の前に現れた際に、危険をいち早く察知して必要な装備を整えた上で、彼の救助に向かうことができた。
それにしても、私が到着するまであんなに貧弱な装備で数十分もあの魔物の猛攻を耐え忍んだ彼の操縦技術は流石としか言えない。
「はぁ……。今日も彼にたくさん酷いこと言っちゃった。素直になれない自分が本当に嫌になる……」
私は初対面の時から彼が好きだった訳ではない。そのため、愚かにも彼の魅力に気づく時まで、今よりもずっと辛辣な態度で私は彼に接していたのだ。
私だって本当だったらあんなに酷い事を彼に言いたくはない。
しかし、私は生来から持つ下らないプライドの所為で彼に対する言動を今になっても正す事ができていないのだ。
……でも、そんな愚かで馬鹿な私を、彼は海よりも広い心で受け入れてくれている。
決して私と距離を置いたり邪険にしたりせずに、いつもいつも優しい笑顔で魔導騎兵の模擬戦や面白いお話をしてくれるのだ。
そんな彼に私は心から感謝している。
私のような高慢ちきな女に彼のような聖人が関わりを持ってくれているだけで私は最大に幸福な人生を歩んでいると言っていいだろう。
「ザント君は私が守るよ。貴方を殺そうとする悪い魔物や、穢そうとする汚い雌豚から……」
……そう呟いた私は、彼に対する並々ならぬ執着を胸に自分の心持ちをより一層引き締めるのだった。