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やがて渾沌になる

作者: 渡邊朱倫

本作は特定の実在の人物を擁護するものではありません。

私めは人の死を侮辱しました

私めは人の苦痛を侮辱しました

私めの為すべきことは全財産の義捐と報復の摂受です

全人類に請願します

私めの関わった作品を残り残さず焼却してください

私めの関わった作品を未来永劫鑑賞しないでください

私めを未来永劫侮辱してください

私めを弔わないでください

私めの遺灰は自然に還してください

私めの全財産で民族主義者の罪を僅かでも償って下さい

私めは鳥取砂丘にて己の穢れた身にエタノールを浴び、火でくたばります

橡場烏子 印


 以上が(とち)()(からす)()の遺書の全文である。

 初春の早朝、鳥取砂丘の中央に奇妙な焼死跡が発見された。骨の欠片すら含まない粉々の灰。エタノールの容器すら、橡場と同様、殆ど燃え尽きていた。ライターの金属片が最も形の整った残骸。

 遺書は橡場のアパートで警察が見つけた。ボールペンの楷書。筆跡も橡場本人の直筆。

 橡場は一月、中学の同級生と都内で会食した。両者とも口にしたのは三百円のかけうどんだった。その同級生が自らのブログに綴った。「旧友の橡場烏子さんにうどんをご馳走しました」云々。橡場の写真を添えて。彼女の名は(かわ)(かみ)(あん)()、代議士にして、良心的な人々の間では悪名高き、筋金入りの歴史修正主義者。一方橡場は河上とは異質の生業(なりわい)を有していた。日本語を話す仕事。

 ウェブの言論空間では当然、河上と共に橡場が喧々囂々と批判され、非難された。

 「橡場の収賄は赦されるものではない」

 「橡場はショーヴィニズム支持者」

 「橡場さんのファン辞めます」

 「橡場は万死に値する」

 勿論、日本語に限らない。

 橡場の焼死は新聞各社が紙媒体やウェブで小さく報じた。しかし大多数は、橡場が藝能人だということすら気に止めない。

 橡場に親戚はいない。警察は橡場の遺灰を「自然に還した」か否かすら明言しなかった。

 「全財産で民族主義者の罪を償う」なる事項も法律家を困惑させた。橡場は素朴にも、被害者団体に寄付することでも想定したのだろうか。しかし民族主義者の所業に限らず、何であれ過去の罪過そのものは財産で償えない。その意味でも橡場は最期まで愚鈍だった。

 最も解釈に悩むのが「私めを未来永劫侮辱してください」なる事項。この一文、或いは他の事項を実行すること自体が橡場烏子を侮辱しないこと、即ち擁護することではないか。即ち、自家撞着の一種。

 一方、橡場の遺言が公開された後、橡場の演ずる番組は勿論打ち切りになった。予定されていた時間帯には、カラーバーが延々と放送された。

 又、橡場に好意的だった者、或いは橡場の言行に怒った者の両方が、橡場の声が収録された媒体を大々的に燃やした。ポリカーボネイトのDVDを可燃物としてごみ捨て場に出す者もいれば、場所を選んで私的に点火し、燃え上がるDVDをウェブに公開する者もいた。

 橡場の写真に至っては文字通り徹底的に侮辱された。即ち、コラージュの恰好の素材となった。Twitter は「橡場コラ」のアイコンで満ち満ちた。単なる「厨房」に限らず、普段はお堅い政治運動家すら橡場を侮辱、嘲笑した。侮辱、嘲笑こそが、橡場の収賄と河上の思想に対する制裁だと、頑なに信じていた。無論「橡場への侮辱」も隆盛を極めた後、やがて細々とした習慣に衰微した。

 橡場の演ずる番組の制作者、原作者等も次第に業界から離れた。橡場の愚行と死によって、かの界隈、いやそれどころか日本の大衆文化自体が衰頽へ進んだともいう。

 贈賄した河上は、己の知性の限り誠実を尽くした。彼女は服役後、町工場の一工員になった。ウェブでは公に国家主義と民族主義からの訣別を宣言し、過去の自分と嘗ての同輩とその主張を徹底的に批判した。政治家から政治運動家に転じた訳だ。食に関しては蕎麦派に転じたらしい。

 某日には鳥取砂丘に「橡場のバカヤロー!私のバカヤロー!」という河上の罵声が聞こえたともいう。それに限らず、鳥取砂丘では河上以上に毒を帯びた橡場への罵声が時々響いたという。

 橡場の遺志に反して、橡場の声は簡単には抹消されなかった。橡場の声は露悪趣味者の手によって暫くインターネットで流通した。橡場の死の数年後、民族派の街宣車が進歩派の集会に押しかけ、橡場の声を大音量で流したが、集会の参加者を始め路往く人も、軍歌などならともかく、若い女の文脈すら分からない会話を街宣車が何故流すのか理解に苦しんだ。橡場の声は民族派に限らず暴走族の玩具ともなったが、勿論バイクの騒音同様迷惑とはいえ、大抵の一般人は「いつものこと」と認識した。

 やがて最後の人間が息絶え、地球は膨張した太陽によって融解し、橡場の生きた痕跡はこの世界から消滅した。

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