11.いのち
「シア……」
沈黙と共に、フィオは横たわるシアを見つめていた。
あまりにも突然すぎる出来事に、今でもその事実を受け入れきれていない。
半身が火傷に覆われている彼の、痛々しい体。
赤く燃えたつ炎のような髪が、今では呪いのように見えてしまう。あの意志の強い瞳は今では閉ざされていて、彼の美しさに見惚れることはもう出来ないのだと悟る。
ーー彼は炎の中で苦しんだだろう。痛かっただろう。
熱を持った体を冷やすために、氷水にタオルを浸す。患部から膿が出れば、清潔な布で拭き取った。
痛みに暴れることがないように、慎重に慎重に対処した。
「…………」
周囲には誰もいない。たった2人の空間だ。
宙に視線を動かして、定まらない。……シアの鼓動が聞きたい。生きていると感じたい。こわい。
『何落ち込んでんだ』
声が聞こえた。でも幻だった。
隣にいるのに、いないみたいだ。
――思い出すのは、不意の会話。
『あぁもう、フィオはお人好しすぎて、世の中で生きていけるわけない!』
『そうかな?』
『そうだよ、なんで子どもなんて引き取ったんだ。段々、数も増えてきてるし』
『それはねー。あの子たちがかわいそうだって思ったのと、僕も本当はあの子たちが置かれてた状況で生活を送ってたんだろうなって思ったからかな。僕が助けられるなら、助けてあげたいと思うじゃないか』
シアの口癖は、フィオを心配する言葉。
記憶の中のシアがいつもそんな感じなのは、それだけフィオが心労をかけてしまっていたから。
シアが怒る時は、艶めく赤い髪が波打ち、琥珀色の瞳が輝いていて、一番綺麗だった。
本当の彼はすごく優しくて甘くて、フィオの重みを一緒に背負ってくれる人。でも、怒っている時が一番魅力的だった。
『なんだそれ。置かれてた状況って、道ばたに捨てられてたり、幽閉されてたり、虐待されてたりしたかも知れないって言ってんの? そんな目に遭わせるわけないだろ。
もし、たとえフィオが生贄の一族でなくたって、俺は絶対フィオを見つけて助けに行くよ。こんなお人好しが社会に出てたら危なっかしくって、動かずにはいられない』
『シアはやさしいなぁ』
その言葉は、ずっと覚えていた。フィオのために伝えてくれた言葉だったから。死んでもずっと覚えておくと決めていた。
彼は努力家で負けず嫌いで、肝が据わっていて、一緒にいて楽しい家族だった。欠けちゃいけない存在。
シアと出会ったのは、彼がまだ豆粒みたいに小さいとき。
フィオの代わりになる少年だと言われて紹介された。びっくりするくらいかわいい女の子だと思った。
真っ赤な髪はベリー、瞳は蜂蜜。収穫したつやつやの赤い実に、たらりと甘い蜜をかけたみたいな、甘くて美味しそうな見た目。
でも、シアは昔からしっかりした男の子だった。華奢なのに、とても機敏に動いて、エネルギッシュ。圧倒される。そして、罵倒は一人前。でも見た目も声もかわいらしいものだから、怖くなくて小動物の威嚇みたいだった。
『いやだ、なんでおれが。おれやりたくない』
暴れ回る姿も一人前だった。大の大人が、3人がかりで捕まえてたくらい。
『こんにちは、イグナシオ』
『なんだよおまえ、どれいのぶんざいで』
『わたしはフローラと言います。よろしくね』
『はぁ?』
『おとなしくした方が良いよ。大人に怒られたくないならね』
上から大人に押さえつけられていたシアに、フィオは座り込んで、自分の本名を名乗り、自己紹介した。あと、大人の言うことにはある程度従った方があとから困らなくて良いと言うことも耳打ちした。
不信感がたくさんの瞳で、シアはフィオを見ていた。反発心がらんらんと、その瞳に意思として宿っていた。
そして、イグナシオという少年はフィオと一緒にいることになった。
子どもだというには賢くて、一つ教えれば十を知ることができたので、フィオの持ついろんな知識を夢中で彼に教えた。
一つ思い出すと、あふれるようにいろんな記憶が思い出されていく。
『フローラのばか。やくそくがちがうだろ』
『うん、ごめんね』
『ばかー、まってたんだぞ』
パタパタと走り寄ってくる姿が、かわいかったなあ。お人形みたいだった。
たぶん、このときも怒ってた。何に怒ってたんだったか。……そうだ、一緒に街に出ようと約束したのに、一緒に行けなかったからだ。
あとからフィオが寝込んでいたと知って、めったに見ることが出来ない花を持ってきてくれたときは飛び上がるくらいうれしかった。
『フローラ、外に出よう』
『外?』
『こんなところで閉じ籠ってたら、体調は悪くなる一方だろ。許可は取った』
『僕が外に出てもいいの?』
『悪いわけないだろ』
隔離されるようにして暮らしていた自分を外の世界に連れ出してくれたのは、フィオだった。
「心構えはしてたんだ」
いつだって覚悟が自分の底にあって、いつ死んでも良いように、いつ消えても良いようにしていた。でも、こんな心構えなんてしてない。フィオの大事な人たちが自分より先に逝ってしまうなんて。
「……こうなるはずがないんだよ、どうして、僕より先にみんなが」
やけどを負ったシア。今生きているのが不思議なほどの惨状だった。
孤児院の火災。それを知ったのは、つい先日のことだ。
定期的に孤児院に連絡を取るようにしていたのに、返信が来なくなった時点で何かあったと思い、様子を確認させてみたところ、孤児院が全焼していたという事実を知った。
さらに、子どもたちは全員死亡しているだろうという報告を受けた。ほぼ全員が行方不明。
あまりにも衝撃的で、突然の出来事だった。最悪だった。
「神は僕たちに試練をお与えになる。受け入れようもない、耐えがたい試練を」
教会側からは何の連絡も来なかったので、フィオから居場所を尋ねて無理やり聞き出した。
教会は自分たちの身内は大事にするが、その枠から外れたものはどうなっても良いと思っている。異教徒しかり、混ざり物しかり。
シアは生贄の管理を任される家柄のため、見放されることはないと分かっていたが、現状の治療では長く生きることが難しいのも分かっていた。
そこで取引をした。もしシアが死んだら、自分も死ぬと。遺体は、生け贄として使えない。だから、交渉できた。
自分の命の価値を利用した。絶対に生かせと脅した。もしそれが出来なければ、そのときは彼らも同じ最後を迎えるだけだ。
フィオ以外の血筋は若く、生け贄に捧げられるほどに成長していないのが現状。
横たわるシアの手をつかむ。かろうじてやけどをしていない部分だ。
ピクリと動いた。反応している。感覚はあるようで、たびたびうめいて何かを言おうとしている。
「……待っててくれる? すぐに解決するから」
ルークも探さなければいけない。あの日確認した彼の性質が本物なら、彼には傷一つついていないはずだ。
きっとまた迷子になっているにちがいない。探しだして、シアを助けることが出来ないか、協力を仰ぐのだ。そうすれば、きっと……。
♢
ずるずると長いレースを引きずる。顔を隠すためのベールは白く、白すぎるほどに白い。
細緻な刺繍がされたドレスは、フィオの女性らしさを際立たせていた。普段は大きくて、体のラインを隠す服を着ているので、少々違和感がある。
コツコツとヒールの音が響くが、人の気配がそれを隠す。ゆっくりと慎重に向かっていく。
聖堂内は広く、天井は見上げても全体を把握できない大きさだった。装飾品によって美麗に飾り付けされており、神聖さを演出している。
六角形に分かれた中央の御座は、空間を区分けするように、高くなっている。
ーー3つある席の左端に巫女の座があった。右端は司教の席、中央は神の座のため、常に空席だ。そこに従者の手を借りて、そこに登る。
ただ沈黙して座っていればいいだけの役目だが、視線が集中して痛いほどだ。
自分の代わりに、シアがこの場所に出ていた。シアが出れなくなってしまったので、別の代役を立てると言われたが断り、フィオが出席することになった。
正直言って欠席したい気分だったが、この儀式には自分が必要だった。
視線を横に移すと、司教がいる。この教会のトップであり、聖なる血を誰よりも濃く受けついだとされる男ーーアオレオーレ。
老年と言うには若く、しかし老猾である。優しげに見えて思考が読めないこの男と、フィオは取引をした。
今日は新たな使徒に、神の力を分け与える日である。叙階式だ。
この儀式をもって、神官や使徒は位を上げる、あるいは階位を得る。さらに言えば、魔法を扱うことが出来るようになる。
「この良き日に、みなと会えたことをよろこぼう」
司教が手を上げると、喜びや尊敬といった感情の波がフィオにぶつかってきた。
大勢の人々が司教の声に震えている。……それをおかしいとは思わなかったが、少し感情が揺れた。
ーー神に敬虔に仕えよ。神を愛せよ。我が身を悔いよ。罪を告白せよ。
そうして降ってくる、神への告解の時間。
他者の罪は神と向き合うものだから、この時間は何があっても、沈黙を守らなければいけない。
目を閉じて、自分の中の罪と向き合う。手を組んで腕の震えをごまかす。
フィオの罪は弱さだ。誰も守れない弱さは罪だ。
愛する人たちを守れないなら、自分の価値はどこにあるんだ。
(どうぞ、神よ。僕はどうなっても良い。シアを、出来ることならあの子たちを、助けてほしい)
告解ののち、叙階式は進行していった。
神聖な儀式だが、かしこまってはいない。めでたい儀式であるとの意識が強く、みな笑顔を浮かべていた。
「ワインは行き渡りましたか?」
叙階式では、みなにワインが配られる。ワインは神の血だ。
聖餐に飲まれるワインは、同胞たちと奇跡を分かち合うという意味を持っている。
教会がわざわざブドウから作っている特別製のワインだ。ワイン用のブドウは食べられたものではなかったが、シアと一緒に隠れて探索したことを覚えている。
ーー叙階される青年が飲むワインは、配られたワインよりもさらに特別製だ。司教の血とフィオの血が入っている。一滴ずつ。
神の血を口にし儀式を受けることによって、神の血を持たないものでも魔法を使用することが出来るようになるという。
しかし、神の血を継いでいるとされるフィオは魔法は使えない。シェリル、シモーンなど混ざり物と呼ばれ、迫害される子どもたちも魔法は使用できない。血を受け継いでいるからと言って、必ずしもそうであるとは限らない事例がある。そう考えると、不思議でならない。
叙階を受けるにも選別があるが、その基準はどうなっているのだろう。
フィオは手元のワインを軽く揺らして、その赤紫色の表面が波打つのを見つめた。
飲み込めば、独特な渋みと甘みを味わえる。そして内部から徐々に熱を感じ、すぐに酔ってしまう。
『ひとつ、問いましょう』
フィオは口を開いた。普段は置物の少女が初めて、自分から言葉を発したことに周囲は驚きの声を上げた。
「花嫁が口を開いた?」
「はじめて、声を聞いたぞ」
司教の瞳がこちらに向くが、関係ない。前列に座る叙階前の人々に問いかけた。
『神に背いたものはどうなりますか?』
「……か、神に背いたものは、やがて神の裁きが下るでしょう。来る審判の日にその報いを受けるのです」
新たに叙階されることになった青年が、答えた。緊張しながらも、長年学んできた内容を口にしている。
『では、神に忠誠を誓うものは?』
「約束された繁栄と栄光を、その手にすることが出来ます」
フィオが聞きたかったのは、そんな定型文ではなかった。彼らの信仰が、愛がどこにあるのかを聞きたかった。
『あなたの望みは、繁栄ですか? 繁栄を望むから、神を崇拝しているのですか?
あなたの信仰の理由を教えてください』
「……?」
困惑した表情の青年。何を聞きたいのか分かっていない様子だ。
こういった儀式の場で、形式以上のものを問われた経験が無いのだ。会場の人々も困惑しているようだった。
「……この場で問うには、難しい質問でしょう。人生をかけて神に愛を捧げ、そして神から愛をいただいてやっと、我々は自らを知ることが出来る」
司教が沈黙している彼らに助け船を出した。そうして、自らフィオの質問に答えた。
「私が神を愛するのは、神が私を愛してくださるから。
神はお優しい。どんな困難が立ち塞がろうと、救いの手を差し伸べてくださる。奇跡を我々に与えてくださります。
恐ろしい魔物の脅威から身を守るための力を神が与えてくださったように、どんなときも神を信じていれば救われる。みなも、その恩恵を感じているでしょう。もちろん、あなたも」
『……神は、その慈愛でどんな立場のものも救いあげて下さります。聖下に幸いがありますように』
この司教の言葉を聞いていると、うわべだけでごまかされているように感じてしまう。
しかし、これ以上問うことも難しい。心の中で整理しきれない疑問を抱えながら、フィオもまた形式上の返答をするしかなかった。
本来なら、このような儀式の場ではなく教会に赴いて問いたいところだったが、いまのフィオに自由はなかった。準備が整えば、やがて……。
「では、新たなる信徒に神の祝福を」
そうして彼らは、神の血を飲み干した。
フィオもまたワインを飲みながら、いま自分が彼らのために命を差し出すことが必要なのかを考えていた。




