01.終わりは突然に。始まりの地で迎える別れ。
ーー御伽噺のお姫様のような少女。
ふわふわの薄桃の髪を腰まで伸ばして、喜びを顔いっぱいに表現するフローラのことを僕はいつもそう思っていた。
彼女は幼い頃から周りに幸せを振りまいて、愛して愛されて育った。
周囲が彼女を愛したのは、彼女が何より優しく愛情深く、そして強くあろうとしていたから。
僕が教育したわけではなく、彼女の性質ははじめからそうで。
優しく、美しく、正しくあろうとするのは彼女の生まれからきたものだったのだろう。
僕は一通の手紙が来たことで、そう思い納得した。
ーーそれが終わりをもたらす手紙でも、そう考えることができた。
***
あれから6年経ち、フローラは11歳になった。
彼女はサリィ達のスパルタな教育にも負けず、素晴らしい淑女に成長した。
どこの貴族の子女に仕立て上げるつもり? と僕が疑問に思うほど、彼女達は熱心に教育していた。万能だと仲介人が言っていただけあり、見事な教育の仕方だった。
フローラもその期待に負けず劣らずの凄い勢いで成長し、そんじょそこらの令嬢じゃ敵わない品のある女の子になった。
吸血鬼である僕の元でも、一人の少女が立派に成長することができるなんて感動だ(育ててたのはサリィたちで、ほとんど育ててないとか言わないでね、これでも頑張ってたんだから)。
フローラは本当に立派になった。
……僕の手から離れたって問題はないと思えるくらい。
「ルーク、どこ見てるの?」
僕が視線を宙に彷徨わせながら考え事をしていると、フローラが声をかけてきた。
「……フローラだよ」
「……テキトーなことばっかり。もう少しでお花畑に着くから急ご?」
「いやー、ゆっくり行ってもいいんじゃない? 1日は長いんだから」
「このペースだと日が暮れちゃう」
「……じゃあ、飛んじゃうか」
「面倒くさがらないの。あとちょっとだから、はーやーく」
フローラが僕の腕をひっぱり、先を促した。
僕はゆっくり進みたかったのだけれど、フローラは意外と力があって、引き摺られる形になる。
ーー本当に立派になった。……まあ、まだフローラは僕の胸くらいの身長しかないんだけどね。
こんなテキトーさを極めた僕としっかりと成長したフローラは、今日、ある国の観光名所を一緒に巡っていた。
眼前に見えるのは大きな一面の花畑だ。
しかし、誰もこの花畑が国の都市、それも中心地にあるとは予想もつかないだろう。
この国の名は盛花国。現在は、マリー・フルーフ・プレーシア、つまりマリー女王の治める国。
そもそもは聖国の属国ではあったが、10年前の大戦で大手柄を上げたことにより、3年前完全に独立した。
初代は、この国を花の絶えぬような素晴らしい国にしたいと願ったとされ、そこから「盛花」国となったと言われている。この国はその名が表す通り、花々が溢れていた。
僕はフローラを拾う五年前、この国に居た。絵の題材には全く困らない国で、あの頃はずっと絵を描くことに明け暮れていたのだ。
この国でしか見れない特殊な花や実、植物も沢山あってとても幸せだった。
あの大戦が来るまでは……。
11年ぶりにきたこの国は、あの大戦による苦しみの跡は残っておらず、昔のように花々が咲いている。
あつらえたかのように、そっくりの街並み。
街路を彩る薔薇のアーチ。
街路樹も街の様々な場所に列植されていた。
店舗や住宅の前にも花壇があり、幾百もの種類の花々が見られる。全ての花々が色、形、大きさを考慮して、バランスよく植えられており、素晴らしい風景だ。
レンガ調の建物は花たちの邪魔をしないように、茶色や白の淡色で。
花壇に植えられている花は、全部の種類はわからないけど、見る限りはパンジー、デイジー、サルビア、チューリップ、マリーゴールド。アネモネにカサブランカ、セージ……エトセトラエトセトラ。
季節も風土も関係ない。多分、この国全体に施されている魔法が影響してるんだろう。
風が吹けば、花びらが舞い、甘い香りを漂わす。
ーー楽園の国。
その都市の中心にある広大な花畑、エデンと呼ばれる観光名所。そこに僕たちは今、向かっている。
今日はこの国に来た初日で、荷物が借家に来る前に時間があるので街を巡ろうということになったのだ。
それに、今日はフローラの誕生日でもあり(正確な誕生日は分からないので、フローラを拾った日が現状フローラの誕生日になっている)、プレゼントを探す目的もあった。
色々言い合いながらも、結局歩いて目的地に着いた。
ーー本当に見事な花園だ。
この国には花が溢れているが、特にここの花畑の花々は生気に満ち満ちている。
見たこともない聖属性を纏った花が咲いていて、ここは一種の聖域とも言えるだろう。魔物は決してこの都市に入ることもできないに違いない。
「……フローラ、この国はどう思う?」
僕は何とは無しに、花畑をながめながら聞いた。
一瞬強く吹いた風に長い髪を靡かせ、帽子を抑えながら少女は僕を見る。その様は一枚絵のように美しい。
「……お花がいっぱいで、綺麗な国。ルークが好きそう」
フローラは手を大きく広げ、舞い散る花弁を取ろうとした。
満面の笑みを浮かべ、顔を輝かせる様は見ていてとても幸せになれる。
「……そうだね。僕はこの国が好きだった。大戦前はここで暮らしてて、君を拾ったのもこの国だったよ」
「そうなの?」
「うん、そうだよ。……好きになれそう?」
「ルークと一緒なら、どんな国でも大丈夫だけど、ここはとても良いところだと思う。……ルークどうしたの? 変な顔して」
不思議そうに首を傾げ、答えるフローラ。
「……変な顔してたかな」
僕は自分の首をスルッと撫でた。
「なんか、今にも泣くんじゃないかなって思った」
「……泣きそう?」
フローラはコクッと頷き、近づいてきて僕の顔をじっと見つめる。
黄金の瞳が僕の内心を覗き込んでいるかのようで、少し、怖かった。
「ルークが泣いたところ見たことないから、見てみたいなぁ」
「大の男が泣きはしないよ」
「……そもそもルークは、泣いたことあるの?」
ーー泣く? 泣くってなんだろう。
フローラみたいに感情いっぱいに涙を流したことなんて一度もないはずだ。元より、涙を作る器官が僕にあるのかも分からない。
でも、何故かそこで、遠い昔の後悔を思い出した。
ーー長い白髪の男が、無表情で上から僕を見てる……。
僕は何も言えず。ただ、そこから消えることしかできなかった。
本当は彼に何か言ってやるべきだったのに。
本当に遠い昔の記憶。
「ない……ね」
「ふーん」
そう言うと、フローラは花畑の中に進んでいった。膝下の長い丈のワンピースで器用に動いている。
「あんまり奥まで行くと危ないよー」
「大丈夫ー」
フローラが花畑の小さな野の花を摘んでいると思うと、来るように手で呼ばれた。
その場に座りこむフローラの目線に合わせるために僕が腰を屈めると、フローラは花冠にした花を僕の頭に乗せ、そして、撫でてくれた。
「ルークも別に泣いていいんだからね」
真剣に僕を見つめる彼女に、僕は少し……少しだけ泣きたくなった。
口の中で、いくつもの言葉にならぬ思いが渦をなしていて。
でも、一つも形にすることはできず。
フローラとの一瞬を噛み締めて、ただありがとうと言った。
♢
僕たちは花畑から抜けて、探索を始めた。
10年前とあまり変わっていないと言っても、僕は出不精だったのでフローラに街案内もできず、気の向くまま歩いて行くだけ。
それでも、僕らは楽しかった。
僕は日傘を差し、あまり目立たない地味な黒のコートを着て進む。
しかし、何故か周りがザワザワとして、僕たちの方を見ている。
何かの大名行列でもあるのかなと周囲を見回しても、何もない。つまり、僕たちを見ているということだ。
……いや、正確に言うとフローラを見てる? かな。
敵意じゃなくて、仄かな好意が視線に含まれてる。
僕は「魅了」もしてないし。
周りの反応を見て、フローラが言う。
「……ルークは顔を出さない方がいいと思うの。いっぱい人が集まってくるから」
「……そう? フローラが可愛いからじゃない?」
僕がそう返したら、フローラは顔を軽くしかめて
「無自覚は罪……って、メルが言ってた」
「……」
メル、いつものことだけど、何を教えてるんだ。
……最後までフローラに悪影響を及ぼし続けたね。
あれで教育は上手いんだから、矛盾してる。
「そういえば、メル達はどうしてるの? ここ一週間くらい見てないけど」
フローラのその発言に、少し言葉が詰まった。
彼女の勘は鋭いから、軽はずみなことは言えない。隠し事が多すぎてボロが簡単に出る。
「……ちょっと移動のついでに休暇をあげたんだ。ずっと、休むこともなく働いてくれてたからね」
「あと普段お昼に外に出たがらないのに、今日はどうして一緒に来てくれたの? 体調が悪くなるでしょ?」
「……フローラの誕生日だからだよ。サリィ達もいないし、折角この国に来たんだから一緒に行こうと思ったんだ。体調に関しては、日傘もあるし、この国だと比較的良いからさ」
「……ふーん、そうなの。でも………なら、………だから」
納得していないようなフローラの声が、喧騒に紛れて消えた。何故かその声だけは僕の耳に入ってこなかった。
……何とフローラは言っていたのだろう。
聞きたいような聞きたくないような気持ちで、僕はフローラの後ろを追っていった。
♢
「ルーク、本当に良かったの? 高かったでしょ」
「いや、全然大丈夫。今日はフローラの誕生日なんだから、そんなこと気にしなくていいんだよ」
街を巡り、僕はプレゼントとしてフローラに花の鉢を買ってあげた。
それは、紫の薔薇。
王家の所有する薔薇から特別に分けてもらった一株を挿し木して増やした、青に一番近い色とされる種だ。
まあ、フローラが心配するくらいには高値だった。
その花を僕が少しいじって青に変えた。
花が咲いたら、鮮やかな青色を纏う花になるはずだ。
青の薔薇は、流石にこの国でもまだ作ることに成功していなかった。
本当は存在しない花を君に。
不可能なんてないのだとフローラに伝えたかった。
「サリィ達にも育てて見せてあげないとね。折角ルークがくれたんだから」
「…………きっと綺麗な花が咲くよ」
「そういえば、ルークって植物をテーマにして絵を描くことが多いよね。それってどうしてなの?」
「あぁ、それは僕の生まれ……」
話している最中に、青い旗が垂れ下がる街角が見えた。
薔薇の話をしているうちに、目的地に着いてしまったようだ。
「フローラ、止まって。ここだよ」
「ルーク? ここ、なに?」
フローラはキョロキョロと周囲を見回す。
成長したと思ったけど、こんな時の行動は昔と全然変わらず可愛らしいまま。
「……うーんとね。……フローラを拾った場所だよ」
人がほとんど通らないそこは、僕たちが初めて出会った場所だった。
思い出すのは、雨の降った暗い裏路地。そこは昔、寂れて、薄汚れ、通るのは戦塵を運ぶ風だけ。
しかし、今ではフローラを拾った時とはうってかわって美しく清掃され、ゴミどころか汚れも見当たらない。
そう僕が言うと、フローラは少し黙り、考えるようにしながらそこを見ている。
「こんなところに……」
声音が少し動揺していた。フローラは何を想像しているんだろう。
「捨てられてたの?」
彼女が僕を見た。その瞳に浮かぶのは、不安、だった。
ーーフローラ様は攫われたのです。我々はあの方をこの10年以上探してきました。あの方はこの国で最も尊い存在のお一人なのです。誰よりも優遇され、大切に育てられるべきお方でした。
僕は衝動的に彼女を抱きしめた。
「……ルーク?」
そうじゃない、そうじゃないんだ。捨てられたと言う表現には、齟齬があるんだ。
……本当に君が捨てられていたなら、どれほど良かったことだろうか。
「……フローラは捨てられたんじゃないよ。誰かに攫われた末にここに残されたんだ。そして、僕が自分の娘として育てることにしたんだ」
「……そうなの」
「君はちゃんと愛されていたんだよ。そのことを信じて」
ーーそして、僕も君を誰よりも大事に思ってる。
そこで突然、多数の気配がその場に増えた。魔法の気配もする。
……もう少し待ってくれる予定のはずだったんだが、待ちきれずにきてしまったのだろうか。
僕はフローラから一歩離れた。
青の魔法陣が展開され、転移術式が完成する。
そして、その場に現れる正装した騎士達。
代表者と思われる女性がフローラを見て腰を折ると、他の騎士達も一斉に跪いた。
「王女陛下、お迎えにあがりました」
裏路地で、騎士がフローラにかしづく異様な光景。
混乱したフローラが僕を見る。
この人達はだれ? と目が語っている。
でも、僕はいつものようには、応えてあげることはできなかった。
そして、フローラと僕の道はここで別れることとなる。