5.生まれたのは
その時、ルークはいつも通りに、孤児院で過ごしていた。子どもたちと一緒に昼寝をしたり、読書をしたり、フィオが消えてショックを受けたようなシアに質問して怒られたり。
絵が好きなミリアが、地面にルークの絵を描いている。描いても描いても納得できる出来にならないので、最終的にグシャグシャに塗り潰される悲劇が起きた。ルークには、絵として描かれるには色々と足りないものが多すぎたようだ。……絵のモデルになるよりも描くことに興味を示していたくらいである。
「監査が来た。隠れて」
突然、部屋に入ってきたシアが怒鳴りつけた。真っ赤な髪がその怒りに燃えて、炎になってしまったようだ。金色の瞳が熱を帯び、ギラギラと迫力を増す。
ルークは前にも言われたことだったため、それに従った。
何の予告も無しにやってくる教会からの使いは、孤児院にとってかなり迷惑な存在だった。相手が身分が低いとみなすと最悪だ。融通を利かすからとフィオに技術を要求したり、嫌がらせ行為をして帰ったりする。暴力で意思を通そうとする相手はシアが対処してきた。
特に要注意なのは、優しいフリをして自分の考えを押し付けてくる人間だ。自分が善いことをしていると考えているので、断ると怒る。
自分の意見を通しながら相手にも不快にさせない方法が、こういう時は一番なのだが、それが一番得意なのはフィオだった。しかし、ここにはもう居ない。
子どもたちは別の部屋に集まり、ルークはこそこそ隠れた。
「みんな、逃げて!! コイツら、監査じゃない」
監査じゃない? では、何者なのか。
顔をゆっくり、穴の中から覗かせたルーク。
「逃げろっつってんだろ! バカ」
入り込んでくる沢山の男たち。奇妙な気配をしていた。
感覚が一際鈍くなっているルークでさえ、怪しいと一目でわかった。視線がまとわりつき、べったりとしたーーそれは悪意と言ったーーものが撒き散らされた。
ルークは応戦しようとした。
しかし、シアはとめた。逃げるように指示する。振り向くな、自分が生きることを考えろと。
「目立つな、何とかする」
シアは責任を負う覚悟があった。守るべき使命もあった。でも、ルークという意味不明な生き物に頼ってしまった時、何か終わってしまうのではないかという予感があった。……負けたくない気持ちも、ルークをこの世界で生かしてやりたいという気持ちも彼の中にあった。
多勢に無勢。逃げる時間だけは稼ぐ。
ひたすら動いて誘導する。みんなバラバラに、それぞれ考えて逃げろと伝えた。
長い赤髪を頭の高めの位置に、くくり結ぶ。「シア」としての女性らしさよりも動きやすさを優先した。
まず、網の目のように光を張り巡らして、侵入者を捕まえる。1人ずつ手足を縛り上げていって、何の目的かを突き止めるつもりだった。目的さえ分かれば、取引ができると思っていたのだ。
やってくる侵入者たちは多かった。蹴り上げ、蹴り返し、弾いて、受け流す。聖力さえ使って、相手を押し込めていく。冷静に動いていけば、シアが負けることはないと確信した。
しかし、思ったよりもシアが強く、思うようにいかないと悟ったのだろう。
孤児院に、火を付けられた。油が庭にまで撒かれ、どんどん火力は増し、メラメラと燃えていく。
信じられなかった。こどもたちが中に居たらどうするつもりだったのだろうか。
ショックだった。
ーーそんな、簡単に、手を下すな。
ーーふざけんじゃねーよ。
フィオがシアに守れと言ったのだ。大事なこの子たちに傷を付けたら、許さない! この大切な場所に傷をつけるな!
伊達に「フローラ」を務めて来たわけではなかった。守り続けて来たのだ。
シアは最後まで、この孤児院を守るために動いていた。そして、巻き込まれてしまった。
焼けた柱が目の前に落ちてきて、そのまま……。
『ねえ、イグナシオ?』
『近づくな、気味が悪い』
『……うーん、気味悪いかな? はは、じゃあ、もっと気味悪くしちゃおうか』
『は?』
『ほーら! 気味がわるいだろ?』
『きもちわるい』
『えー⁈』
ーーむかしのきおく。
イグナシオ、シオ、シア。どんどん変化した呼び名。彼女との距離が近づいたことの証明だった。
初め会った時、イグナシオがフローラに抱いた感情はまず嫌悪だった。彼女は『イグナシオ』と呼んだ。名を呼ぶことさえ、まともに許さなかった。
そして、次に呆れ。周りの人間のために犠牲になることへの憐れみを感じた。つい、『シオ』と呼ぶことを許した。
さらに、彼女の存在の尊さに気づいたとき、崇拝に似た感情を覚えた。そして、イグナシオは『シア』になることを受け入れた。
時間は流れていくけれど、彼女はいつまでも変わらない。イグナシオの捉え方が変わっただけで、誰にでも優しくて強いままの人だった。彼にとっての女神。
いつの間にか、愛になった。
彼女が居なくちゃ、生きていけないくらい愛している。彼女のためなら、全て捨てても良いと思える。教会なんて、くそくらえ。一族なんて関係ない。ただただ俺のために、彼女に生きていて欲しかった。
でも、彼女はそれを望んでいなかった。世界の幸福と存続を願う人だったから。
そんな人に、残された未来を託すと言われた。愛する人の願いは叶えたい。その一心で、彼はイグナシオは大怪我を負ってしまった。
ーーそして。
フィオと悲しい形で再会した。
「シア、シア。……どうして、どうしてなんだ」
「……フィ、オ」
「シ、シア、目を覚ました? 喋らなくていいよ、喉が」
ーーフローラ、泣くな。みんな、守ったから。
「そういうことか。そういうことなんだね」
一体何を考えているのだろう。真っ直ぐイグナシオだけを見ている。
いつものように生成りの服ではなく、着せられたのだろう、服装。白く長い裾が慣れないのは昔からで、運動が苦手な彼女が引きずって歩いているのを笑ってた。
なぜ、時は流れるんだろう。なぜ、彼女を傷つけるものがあるんだろう。
強い彼女が泣いてる。自分のために泣いている。
苦しいのに、どこか嬉しくて。複雑な感情に心が狂わされてしまう。イグナシオは、このまま時が止まってくれれば良いと思っていた。
♢
ルークは逃げていた。どこに行けば良いのか分からずに、最終的に川に身を投げた。川は流れが速く、彼らもルークを探し切る事ができず、見事に彼は逃げ切った。
ーーしかし、流されていた。
冷たい川の流れは、ルークの体に合っていた。動かないことも、ルークにとっては意味のあること。
エネルギーの消費を減らさなければいけないと本能で理解していた。光を浴びれば、ルークの身体には影響がある。
外からの影響をなるべく減らすことで、自分の肉体を保たなければいけない。エネルギーの移動が行われれば、減っても増えても面倒なことになるという認識が、遠い昔の自分の中に微かにあった。均衡。バランス。
奇妙なほど、自分を縛り付けるものがそこにあった。
自分の存在を、歪を知る。
有からも外れ、本来であれば無である存在が、負の状態を保ったまま、別の形として存在を止めたと言えば良いのだろうか。
この世界の根本にある、根源的なルールに逸脱したもの。許されることのない、負の存在。
ルークの中の堰き止められたエネルギーは、巡りを失って偏り、全体のエネルギーに影響を与える。大きなエネルギー量を持ちながら、そのエネルギーは本質が無いため、どこにも向かえない。でも、0に還ろうとする。
この世界の、あの人の敷いたルールの中の矛盾でルークは生まれた。
0→1であり、1→0となる。単純で簡単な、世界の法則。有るものは無くなることが、絶対のルール。
それは例えば時間であったり、空間であったり、反発しあうものであったり。影響し合って、0に還る。そして、新たに1を生み出す。
本来であれば、反発し合い、0に還るための仕組みがある。有るものと有るもので反発し合い、無くなる。
そこに別の何かがあるか? 無いはずだ。
けれど、存在しないものが生まれる。存在してはいけないのに、生まれてしまった。
循環は戻っているのではなく、進んでいる事の証明。
『0→1→0→1……∞(ループ)』0→1に変わる時、何らかの変化が起きている。見かけ上同じものがぐるぐる回っているように感じるが、その時々で、全ての中身は変動している。
周りの影響を受けて、1が0になる(存在が別のものになったことを無くなると考える)。
水が火に熱されて、消えた。この時、水は火の影響を受けて、1(有)から0(無)になった。
別のものに形を変えたと言えば良いだろう。
その変化にも法則とのつながりがあり、水はその時に1→0になった(水という概念はそこから無くなった)と自然の方が見做している。
この時、全体を見る。この世界を俯瞰する。
世界を箱と置こう。
箱の中の容量が100%(1)あって、水のエネルギーは他の物に変化した。水は無くなった(0)が、そのエネルギーは移動しただけであり、箱の中の全体は100%(1)のままだ。
ここに全く別のエネルギーは発生するか? 水が、別のものに変わっただけである。別のものに変化した以上の、それに関与した以外のエネルギーは、存在しないはずなのだ。
認識として水は0に、変化後のもの(※補足:水蒸気、熱、運動など)が1になったのだから。エネルギーの変換がうまくいかなかったとしても、それは別のエネルギーに変わっただけである。
しかし、水は0になっている。無くなっている。
水の概念も存在していて、この箱の中に、蒸発した水だったものは別のエネルギーとして有る。
なら、水はどうやって0になったのか。
観測者がそこに何も無いと見做したからだろう。
何によって? ーー反発する作用によって。
そんなものあっただろうか? ーーない。存在(物質)は、互いに影響を与えているだけである。
しかし、ある。0と1を判定する観測者はそれを見ていた。つまり、観測者が1(有)と決定付けたのである。
見かけ上の無(0)に戻したエネルギーは存在する。
反発するエネルギーは無いのに有る。なんという矛盾だろうか。
全てが誕生する前。静止して動かない振り子を動かすために、力が作用した。そして、全てが始まった。
そのままその力が作用し続け、動き続けるための調整が行われた。0は1に、1は0に。
0に戻る時の力が、見かけ上存在した。空想であり、実体はない。が、あると認識されたのが問題なのである。
言うなれば、誕生以前と対比した存在が、そこに生まれた。
この世界が生まれる前の状態があの人なら、それに戻ろうとする状態がルーク。
あの人とルークの関係性を、本当に簡単に言い表すなら『全てを生み出すもの』と『全てを消すもの』。
0と1に似ていて、0でもなく1でもない存在。
彼の存在は本来あってはいけないもの。ルークは、それを何となく。ほんの少しずつ理解してきた。
ーーなんか、いやだな。
川の中でゆらゆら眠りにつきながら、ルークは自分を見つめていた。
「……ア? なんだこりゃ」
上の方で何やら声がかけられた気がしたけれど、そのままルークは眠っていた。起こった出来事が衝撃的すぎて、彼の処理能力の限界に達していたので、安静が必要だったのだ。
「えんやー、こら。よいしょっと、こら」
バキ、ボキン。パン、スパン。
リズムに乗って、小気味好い音がした。
何の音だろうかと、ルークは不思議に思い目を覚ました。
いつのまにか、藁の上に寝ていたようだ。窓枠から外を見ると、薪を割っている人間がいた。
ふっくらとしたお腹、しかし体格は鍛えられている。顔は白い髭を蓄え、柔和な表情だった。
「おい、起き上がったかー」
彼がルークを水の中から引き上げ、自分の小屋の寝ぐらに放り込んでいたのだ。
後から知ることになるが、その人は描く人だった。ライアン・ペルテス。ルークの人生に大きな影響を残した人物。
「世の中に絶望して、身でも投げたか。それだけ美しかったら生きようはたくさんあるだろうに。若い身空で、そんなことをしてはじいさんは悲しいぞ」
「……えっと」
ルークは混乱した。
この人は一体、誰なんだろう。
次回は一度フローラ視点に戻ります。
観測者が誰かはもうしばらくあとで。予想はついているかもしれませんが。




