11.日常に迫る危機、踊る怪物
僕が部屋に戻ると、フローラは当たり前のようにそこにいた。隣の部屋なので、来るのは簡単なんだけどあまりにも自然にベッドの上に座っていたのでビックリした。
「ルーク!! おかえりなさい」
嬉しそうにフローラは僕に抱きついてくる。ほおを僕に押し付けて、聞いて聞いてと連呼した。良いことがあったみたいだ。
「あのね、今日禊ぎをすることになってたでしょ。それで禊ぎの間に行ったんだけど、凄かったの。すっごく大きな木があって、大聖樹って言うらしいんだけど、大きすぎて先が見えないくらいでね。その根本から聖なる泉が湧いてて、その泉に浸かって禊ぎしたらね、力がね、フワッてなってスッと身体に落ちたの。それでね」
興奮して話が止まらない。こんなフローラ久しぶりだな、と僕はフローラの頭を撫でる。彼女の体からは石鹸の匂いと花の香りがした。桃色の艶のある美しい髪は濡れていて、お風呂を済ませてここにやってきたのだろう。
「フローラ、そんなに凄かったんだね」
「うん、凄かった。身体の中の力が浄化されてくみたいで。ルークにも来て欲しかった……」
「……うーん、男子禁制だから。話を聞けるだけでも嬉しいよ」
「……そうだよね」
若干悲しそうなフローラ。しかし話を聞くに、魂の穢れをとるってわけではなく、魔力の澱みを泉で溶かして純粋にして戻すって感じだから、今の僕が行ったら酷いことになったはずだ。堰き止められた僕の魔力は変換なしに外には出せない。そもそも闇属性とは危険なものである。僕が行くわけにはいかない。
「フローラ、おいで。髪を乾かそう」
フローラを椅子に座らせて、熱と風の魔術で乾かそうとした。たが、あの首飾りのせいで魔力が使えなかった。魔力がなければ、魔法も魔術も使えない。これは不便だなと思いながら、とりあえずタオルでゆっくり撫で付けて水分を吸収する。
こういったフローラの身の回りの世話は、最近ではほとんどすることはなくなっていたのでーー当たり前だが、王城にはメイドや侍女がいるーー昔を思い出して懐かしくなる。
フローラは気持ち良さそうに目を細めて、ふと気がついたように顔を上げ、僕を見た。
「……そういえば! 今日は部屋でゴロゴロしてるのかなって思ってたけど、ルーク、部屋にいなかったよね。何してたの? 」
「本堂内の見学にね。……絵が、あったんだ。来てよかった」
……絵? と不思議そうにフローラが聞いたが、答える気がないと察したのだろう、フローラはそのまま微笑んだ。
「良かったね、ルーク」
「……あのね。ルークがつまらないかなって思って、最初ちょっとだけ来たの後悔してたの。お母さんから貰った首飾りで調子も悪そうだったし、周りに人が多いから制限も多くて辛いでしょ」
僕を心配してくれているフローラは、とても可愛らしかった。僕をタオルを動かす手を止めて、抱きしめる。
「うん、ありがとうフローラ」
「でも、少しは動かなきゃダメだよ?」
「……はは! 大丈夫、明日も見学に行くから」
久しぶりの2人だけの語らいで夜は更けていった。
♢
一方その頃、ルルとメルは地下に潜っていた。慣れ切った仲とはいえ人使いの荒い教皇に、盛花国から聖国に来て早々、地方に行かされ、被害が出たという街から街へ飛んで回り、愛子のフローラを出迎えることも出来ず、未だに地下にて原因の調査中であった。
「ここもですか」
目の前には真っ黒な闇と地割れが見えている。そこから近づくだけで意識が失われる靄が溢れ出ていた。耳を澄ますと何かが地面を這いずり回っている音が聞こえる。しかし、それは結界のなかであるようだった。
「……どこもかしこも瘴気が出てますね。かろうじて、結界の効き目は残っているようですけど、ここまで悪化してるとは。地方から都市にかけて、流れるように結界が潰れていってるのは……」
「ルルー、これも誰かが壊して回ってる」
ブンブンと結界の陣が込められた基石を振るメル。それはマリー女王が長年をかけて作成したものであり、普通の人間であれば触れることも叶わない代物だった。これを破壊したということは相手はまともな相手ではない。
特に先の争いで、近隣諸国の多くは主力を失い、王も挿げ替えらざるを得なかった。先導者が消えた国の復興には時間がかかり、互いが協力していく必要があったため、人間がわざわざ復興の主体と言える聖国を狙うことはないと考えられた。
ゆえに、ルルはこれを人外の仕業ではないかと推察していた。南はこのような搦手では来ない。手を出してくるとしたら、北の……。
「魔族……」
「やっぱりー……。このまま行くと、目的地は聖国教会本部の地下だよねー」
「大元を狙ってるね」
聖国教会の地下には封印の要となる大聖樹があり、さらにはこれまで封印の切れ目から発生した魔物たちとは比べ物にならない、強力な魔物たちがいるのだ。目にしたことはないけれど、初代以前の女神の福音の血筋はそれらを封印するために命を賭していたとされるほど。
もしーーありえないことではあるがーーその封印が壊され、古代の魔物たちが目醒めることがあったなら、地上は生き地獄と化すだろう。盛花国の人間は今はルークに対する問題で手一杯だというのに。
「それにしても図ったような時期……。洗礼式を狙って仕掛けたとしか思えない。陛下の予想通り。時期は早めて正解だっただろうけど、敵はどうやってこうも簡単に」
ルルとメルのように、特別に聖国内を飛び回ることが出来るならまだしもーーここまで正確に封印の場所を狙って、次から次へと回れるものだろうか。はじめから場所を知っていたとしか思えず、異様な違和感がそこにはあった。
教会内部でもこの封印について知っているのはごく一部の人間で、場所まで知る権利を持つのは聖国の皇帝の血筋を引くものだけだ。それらも粛清によって数が減り、メルとルルまで駆り出されるような始末なのだから、一体どうなっているのだか。
「とりあえずは、ローレンに任せるしかないけど」
完全に破壊されていなかった封印を一時的な意味で補修するために、ローレンはまだ地方に残っていた。サリィではなく、ローレンを連れてきたのは正解だったと言えよう。ローレンにはその力がある。……まあ、そもそも出来レース感は万歳だったが(攻撃の専門家である討ち手に勝てるほどの実力はローレンにはない)。姪には申し訳ないが、できる限り協力してもらわなければとルルは思った。
「私たちはとりあえず戻って、報告するかー。封印は外部からの問題だから、盛花国には責任無いし。聖国でその責任の多くは負ってもらう。あとは、その外部をどうやって突き止めて排除するかなー」
「フローラ様もこちらに来られてる、チャチャっと解決したいところだけど」
「……ルミエールも多分来てるかも知れないしねー」
「……忙しいね」
洗礼式に、封印に、敵国に、魔物達に……やることが多すぎてどうもこうもお手上げと両手を上げたいところだが、そうもいかない。どうしようも出来ないようなことだって、これまで自分たちでどうにかしてきたのだ。ありとあらゆる不可能と言われたことでさえ成し遂げてきたのが私達だ。
ーーでも、出来るなら次代にはその苦労はなるべくかけたくないもの。
彼らはどの世代よりも大きな負担を負わねばならないから。
ルルもメルもマリー女王も、ルーファもそして当代守り手も、全員がそう思っている。
メルとルルは先を急ぐため、転移ポートを使用した。
♢
聖国首都、セイントのハズレ街。遊郭や芸者屋などが集まる、いわゆる花街であるーー聖国内では公に認められてはいない闇の街。
そんな場所の屋根の上で、リズムに乗って踊る男がいる。ステップを踏み、陽気に歌いながら、漆黒の長髪をくるりと広げて、楽しそうに街を進む。異様なのは、街の人間がその男に少しも目を向けていないことだった。夜であるほど光源が多く、人通りの激しいこの街だ。屋根の上であろうとも、だれもそれに気づかないのはおかしい。
月の光に照らされて、微かにその特徴が見えた。
その顔の上部には蝶のような化粧が施され、真っ赤なコートにはレースがふんだんに使用されている。瞳は血のような紅。
見るからにド派手で、怪しげだった。
「空から降るのはお星様? この世を統べるは全能神? 」
「いえいえ、全ては我が主人」
男が両手を広げると真っ赤な蝶が空に舞う。
「軽薄蒙昧、軽佻浮薄、しかし転じて、金剛不壊」
簡単に言うと無知で愚かだが、そのおかげでその意志は固く壊れないなどと言っている。
主人と呼んでいる割には扱いが変だが、この男はそれに矛盾を感じていないようだ。
「ああ、我が主人。何年振りの再会でしょうか。御約束も放り出して、養分だけ私から吸い取るだけ吸い取って……あぁ!! 連れない人!! いけないお方!! いま、参ります。この世の全ては無常ですが、あなただけはいつも不変。私はあなたのために」
ーールークの身にまた新たな困難が訪れようとしていた。
最初期からかるーく匂わせてたヤツを、やっとのことで出せました……。




