06
あれだけいい笑顔を浮かべてくれていた舘本が今日はどこか不機嫌な様子。
仲間であるHとKに聞いてみても分からないと言う、それどころか俺のせいにまでしてくる無慈悲さ。
「あー、今日はどうしたんだ?」
「……千代さんには関係ない」
そりゃそうだが……友達としてできることもあるかもしれないだろ?
それに吐いてみたら落ち着くなんてこともあるかもしれない、抱え込んでもいいことはないぞ。
「……弟が犬アレルギーだったことを忘れててすっごく怒られたの」
「あー……それは悪かったな」
「ううん、千代さんは悪くないよ」
アレルギーは舐めると怖いからあれだが、なんでそこまで怒られなければならないのかという舘本の気持ちもよく分かる。理不尽にずっと怒られたりすると反発もしたくなるからな。
「あーあ、またワンちゃん触りたいなあ」
「そんな君にタギコレクションを見せてあげよう」
「え、わあっ」
姉の家に住むまでに沢山撮ってきたものだった。
ちなみに昨日の分も撮影してある、紛れもなく俺のためにいい結果を残してくれたからな。
俺は舘本の機嫌を回復させている間に日高のところに向かった。
「そ、そんなに至近距離で見てきてなに?」
「昨日のこと、聞きたいか?」
「は、はい? 別に興味ない――」
「金久保が笑ったんだ!」
効果音はドカーンッだ。
なんだかんだ言っても嬉しいものだ、目的を達成できることほど嬉しいことはない。
流石の日高も「うそ!?」と両目を見開いて驚いていた。
「ま、またまたー、これまでずっといても引き出せなかった表情だよ?」
「笑ったんだ、俺が嘘をつくと思うか?」
「うん、嘘つきくんだよね」
ぐっ、もうこうなったら金久保本人を連れてくることにしようじゃないか。
「はいはい、笑いましたよ」
「ほらなっ」
「いや、裕子滅茶苦茶面倒くさそうに言ってるけど!?」
そりゃそうだ、あんまり言いふらされると恥ずかしいだろうしな。
「せ、千代さん……これ」
「あ゛……」
別にエロ画像というわけでもない。
ただ遊びで姉の寝顔を撮って、そのままにしておいただけ。
「へえ、シスコンなんだー」
「まあ、嫌いじゃねえよ」
「だからって……ねえ? 普通姉の寝顔を撮る?」
しょうがねえだろ、気持ち良さそうな顔をしていたんだから。
一応両親に送るためでもあったわけだから問題もないはずだ。
「ありがとう、癒やされたよ」
「そうか、なら良かった」
スマホを閉まって席に戻る。
いいよな、クラスメイトの視線が突き刺さらない時間って。
あの3人は女神だな、ひとりだけ凄くやる気ないが。
「ねえ」
「んー? えっ、う、嘘だろ!?」
「は? 幽霊でもいたの?」
先程だって席から笑ったことを同意しただけだったのに。
移動することを心底嫌がる人間が側に立っていただと?
「いや、それでどうした?」
「ちょっと付き合ってほしいんだけど」
「そうか、なら付き合うか俺達」
「は? そういう意味じゃないから、馬鹿じゃないの」
わ、分かってるわい、俺なりに冗談を言って場を和まそうとしたんだ。
で、どうやら放課後にペットショップに行きたいらしかった。
中途半端にタギを愛した結果、犬欲が上がっているらしい。
でも俺、ペットショップでゴールデンレトリバーを見たことがないぞ。
「つかなんで俺?」
「あんたが出かけたがってたでしょ?」
彼女は無表情のまま「1番利用しやすいからだよ」と答えてくれた。
嬉しいね、やる気のない娘が少しずつ変わっていってくれているということが。
つか俺、こいつらのために動きすぎて優しすぎるな、うん。
放課後になったらすぐに行動を開始した。
「歩くの速い」
「遅すぎだろ、抱えて歩くぞこら」
「嫌だよ、なんかベタベタ触れてきそうだし」
すぐに分かった、こいつが壊滅的に体力がないことも。
ただペットショップに行くというだけで1時間もかけているのは俺達だけだろう。
なんて非効率、が、犬を見られて雰囲気だけはハイテンションの金久保が見られたからいいけどよ。
「触れないのがもどかしいな」
「店員に言えば触れるって書いてあるぞ」
「買うつもりもないのにそんなことできるわけないでしょ、馬鹿」
いちいち馬鹿って言う必要ないだろ……。
なんで放課後に付き合って罵倒されなければならないねん。
「はぁ……疲れた」
「お前が言ったんだからな?」
しかも合わせてるこっちは爆疲れだわ。
こいつこんなんでいままでどうやって乗り越えてきたんだろうか。
そりゃ舘本も日高もふたりでいたくなるわな、そのくせ、無表情だしな。
あの笑顔は嘘だったのかね、日高も信じられなくておかしくないかもしれない。
「お前、あのふたりの足引っ張んてんだろ」
「そうかもね、どうせ同情とかだろうし」
「だったらせめてさ、愛想を良くするとかさ」
「じゃあいきなり私がそうして違和感ない?」
「……無理しているように見えるな」
少しぐらいは合わせてやろうとしないとひとりになってしまう。
まあこの鋼のメンタルだったらひとりでも上手くやれてしまうんだろうが。
「分かった、もう頼まないから安心してよ」
なるほどね、常にこうして自分の方から切り続けてきたのか。
無敵だ、そして実際にひとりになっても平気そうにいるんだろうな。
そうしたら周りはなにも言えない、悪口を言ったところで届かない。
「帰る」
「俺も帰るけど」
「自分のペースで帰りたいからどっか行って、もう用ないし」
こいつぅ……可愛げのねえやつだ!
むかついたから笑顔が見られたわけだし用はねえよって憎たらしい態度で最後に接してしまった。
けどおかしいだろ、ただこれだけでほぼ日高の部活終了時間までかかっているなんてさ。
暇だから待っていたら遠慮を覚えた奥村と、この前よりかは許している日高が出てきてやめた。
邪魔するべきじゃない、本当に出しゃばるべきことじゃなかったのだ。
大体、俺はやつらと真反対だからな、帰る方向が。
男がいてくれるなら日高だって気楽だろうし、さっさと帰って飯でも作ろう。
「「あ……」」
どんな偶然なのかのろのろ歩きの金久保に遭遇した。
挨拶はしなかった、向こうも別に望んでいないだろうしな。
「はぁ……」
こういうタイプにああいう接し方は良くなかった。
そりゃ説教みたいのされたらむかつくわ、全然分かっていない俺が馬鹿で終わった1日だった。
なにもできないまま1週間が経過した。
帰る気が起きなくて放課後の教室で時間をつぶしていたら奥村がやって来た。
「よ、変態」
じゃあその変態に話しかけるお前はなんだよと言いたくなる。
いま面倒くさいのは勘弁してほしい、が、こういう時に周りは調子に乗るものだよなと。
「残念だったな」
「は?」
「お前が女の子と仲悪くなっている時に俺は日高さんと仲良くなっているんだからな」
なんだそんなことかよ。
良かったじゃねえか、仲良くできて。
「やっぱり人間は顔じゃねえ、中身だろ」
それな、顔が良くても中身屑だったら糞だもんな。
「その点ではお前に勝っている!」
「いや、全部お前のが凄えよ、俺は負けだ」
「え……」
「つか部活は?」
「テスト週間だろうが……お前どうしたんだよ」
そうだったか、ぼけっとしている場合じゃないな。
残っていたのをいいことにここでやっていくことにする。
奥村の奴は「調子が狂う」とかぶつぶつ呟きながら出ていった。
「数学でもやるか」
こういう場所でやっておかないとやる気が出ないし。
幸い時間は沢山あるからやっていたらクラスメイトがどうやら忘れ物を取りに来たみたいだった。
興味もないからあまり得意でもない数学の復習にだけ集中する。
「すごいね」
「は?」
「プリント逆さまでやるやつ、初めて見た」
ちっ、なんで話しかけてくるんだよこいつ。
「あと、簡単に負けを認めて恥ずかしくないの?」
「なにひとりでぶつぶつ話してんだよ」
「あんたが返事してる時点で独り言じゃなくなったわけだけど」
可愛くねえ、舘本を見習えよ。
礼を言うどころか不貞腐れた態度で関係を終わらせようとするやつに期待する方が間違っているか。
「お前本当に自由に生きてるよな」
「そりゃそうでしょ、私の人生なんだから」
「これからもそうするのかよ? 社会に出てもそういう態度か?」
「それ相応の態度を装うよ、もちろん中身は変わらないままだけど」
じゃあ言うことはない。
変えるつもりがない人間に言っても届かないし。
やる気が失せたから片付けて突っ伏したらやつは帰っていった。
なんだかなあ……急激につまらなくなってしまった。
なんのために学校に来ているのかが分からなくなってしまったのだ。
トンという音が聞こえてきて顔を上げたらまたあいつがいて。
「お前も意地が悪いな」
「そう? そう思ったことないけど」
わざわざ付き合ってやる俺が偉い。
「なあ、お前は学校楽しいか?」
「楽しいと思ったことはないよ」
「俺も最近はそうだ」
明日から休み時間とかは姉のところに行くか。
そうすればまだ平和な時間を過ごせる、姉はなんだかんだで癒やし能力があるからな。
なによりこちらを悪く言わないからいい、まあ学校でのそれは自業自得だが。
「で、これはなんだ?」
「見て分からない? ジュースだけど」
「だからどうしてそれを俺の机に置く?」
「この前のお礼だよ、あんたって本当に馬鹿だよね」
金久保は「いいのは見た目と身長だけだね」と冷たい顔で呟いた。
「いらね、返す」
「は?」
「貰えるかよ、もう関係ねえんだから」
ただの時間つぶしだったしな、いちいちこういうのは面倒くさいことになる。
「あんたねえ」
「礼をくれなんて言ってないだろ、さっさと帰れよ」
これが悪かったのかもしれない。
「あんた本当に最悪っ、もう死ね!」
いやだからってさ、そのボトルを全力で投げられるとは思わないだろ?
顔に当たったら痛えからって反射的に右手で止めようとしたが、残念ながら指に直撃だった。
しかも仰け反ったせいでそのまま後ろに倒れて後頭部も地面とぶつかる羽目に。
「いっ!?」
後頭部なんかよりも指の方が痛かった。
こういう時にこそ姉の力を借りるべきだと判断して保健室へ。
「佳那恵っ、ちょっと見てくれないか?」
姉に見てもらうだけでなく病院にも行ったが結果は中指と薬指の骨が折れていた。
何故そうなったか聞かれたから転んだ際にということにしておいたが、やっぱり女子って怖えというのが正直なところ。ま、あいつだってまさかざまあみろなんてことは思わないだろうし、いちいち出さなくてもいいよなって考えてのことだ。
「痛え……」
「そりゃ痛いよ、折れてるんだから」
「悪いな、馬鹿なことをして」
「いいよ、それより無茶しちゃダメだよ? 家事とかも全部私がやるから!」
くそ、俺は使えねえ……まあ、顔面に当たった場合よりはマシだと片付けておく。
すぐに分かったことだが、箸を掴むことすら大変だった。
「あー! くそっ」
「食べさせてあげるよっ」
「いや、自分で食べられなきゃ昼飯困るしな」
もどかしさを感じつつもなんとか食べ終え、入浴も済ませた。
明日はフォークでも持っていこう。
あとは板書とかはなんとか頑張るしかない。
ただなあ、死ねは言いすぎだろ。
確かに殺意が込められていた、あのまま顔面に当たっていたら多分終わりだった。
「痛えなあ」
こんなのは初めての体験だ。
折れたことも、死ねなんて言われたことも。
想像だが、ああいう形で礼をするのが初めてだったんだと思う。
それを俺が素直に受け取らなかったものだから、かっときてボカンッ――ボガッ! だ。
まあ、収穫はあった、あいつから怒を引き出すことができたのだ。
あとは安定した楽しさと嬉しさを引き出せればそれでいい。
「寝よう」
睡眠だけはしっかりとって学校へ。
「あ、千代くんおはよう」
「おう、おはよう」
最初に会ったのは舘本。
本当に嬉しいと思っていなくてもこう笑ってくれると気分が楽になる。
「ん? その指どうしたの?」
「捻挫したんだ、昨日学校で転んでな」
「え、大丈夫?」
優しいな、舘本は。
あまり重症なのが分からないようにそちらで彼女の頭を撫でる。
「舘本はそのままでいてくれ」
「え、う、うん」
にしても、現在進行系で痛いのなんとかなんねえのか。
なにも動かさなくても鈍く痛む、他人の大声に反応しそうで怖い。
「おっはよー! 和心っ、千代くんっ」
「おはよー」
「おはよう」
ばれたら面倒くさいから隠しておく。
後で保健室に行こう、大声でも精神的に響くと分かったから。
「あ、裕子ちゃん」
「おはよ」
「おはよー」
よし、学校に来ないとかってことはなかったな。
挨拶こそしないが、来てくれただけで十分だった。
「うん? なに手隠してるの?」
「は、は? ちげえよ、温めようと――って、おい」
「ぎゃー!」
くそこいつぅ、なんてことしてくれてんだ。
「それより日高、お前、奥村とはどうなんだ?」
「ん? うーん、そんなでもないよ」
「仲良くしてやれよ」
ちょっと仲良くできただけであそこまで喜んでいたんだから。
雑にしているというわけでもないだろうし相性もなかなか悪くないと思う。
「ま、仲良くするぐらいはね――じゃなくて、なにこれ?」
「捻挫したんだよ」
「隆生くん!」
げっ、なんで姉がこの教室にやって来るんだ。
「どうしようもなく痛かったら鎮痛薬を飲んでね」
「痛くねえよ、ほらな!」
「ダメっ」
ギリギリのところで姉に止められ直撃はせず。
良かった、いま滅茶苦茶後悔していたからな、やはり姉がいると便利だな。
「そこまで酷いんですか?」
「うん、だって折れてるからね」
「お……れてる?」
日高が大袈裟な顔で見てくれた。
側にいた舘本も心配そうな顔で見てくる。
「え、なんでですか?」
「転んだ拍子にグキッといったんだって」
「あー、咄嗟に手をつきますもんね」
事実、そのまま倒れたからな。
流石にビシンッと痛みが走った方は使わなかったが、左手が逝く可能性もあった。
もしそうなっていたら絶望だったな、まだこの程度で済んで良かったとしか言えない。
「ま、そんな顔すんな」
「でも、テスト勉強とか大変じゃない?」
「大丈夫だ、心配してくれてありがとな」
日高の頭も撫でて――撫でたらなんかめっちゃいい匂いがした。
「お前、いい匂いだな」
「は、はい?」
「いや、匂いフェチってわけじゃないが、好きな匂いだ」
「へ、へぇ」
ちょっと落ち着けたからありがたい。
テスト勉強はともかくとして、テスト本番が……間に合うだろうか。
俺だけ1教科150分ぐらいに拡大してほしい。
「なあ、奥村とテスト勉強するのか?」
「え、しないけど」
「なら一緒にしないか? 分からないところあったら教えるからさ」
「いいよ、和心も一緒にやろ?」
「うん、ふたりがいいなら」
これで少しだけ苦手な数学をなんとかすることができる。
なにもこちらだけ教えてもらおうだなんてしていない、こちらもしっかりしてやらないとな。
あとは、金久保がどう思っているのかというところ。
変に責任を感じたりしていなければいいが……姉が大声で言ってくれたからどうだろうか。
廊下に出たら金久保もやって来た。
「私は悪くないから、つかこれみよがしにアピールしてうざ、死ね」
と吐いてそのまま向こうへ歩いていく。
俺にとっては好都合、このまま貫いてほしかった。