はじめてのバレンタイン・イベント争奪戦
ツェルトは悩んでいた。
バレンタインだ。
当然、ツェルトが毎日プレイしているネットゲーム『クリスタル・ライジング』でもイベントが開催される。
ファンタジー風の異世界なのにバレンタインかよ、というツッコミをする気はない。それをするなら、クリスマスにも正月にもツッコミを入れねばならないし、せっかく手に入れた限定アイテムをデータの海の藻屑にする覚悟が必要だ。
ツェルトにそんな覚悟はない。なまぬるい笑みを浮かべる程度がせいぜいだ。
それよりも、である。
つねづね、頭がどうかしているのではないかと疑っている運営だが、今回は
「ペアで挑みましょう!」
という浮ついたクエストをご提案に及んでくださいやがった。
――誰と組めっていうんだ。
誰でもいいといえば、誰でもいい。
なんなら野良で通りすがりの知らない人と済ませてもいいのだが、経験上、この手のイベントはホワイトデーとセットである。
ファンタジー風の異世界なのにホワイトデーかよ、以下同文。
万が一にも、バレンタインのときに組んだ相手と〜、みたいなことを運営がいいだしたら、野良で済ませた場合、詰みになってしまう。
まさかとは思うが……クリライの運営はどうもいろいろと頭がお花畑だし……告知動画のプロデューサー発言とか、たまにツッコミが追いつかないことがあるし……。
いやまぁ、どうでもいい。いやどうでもよくない。
誰と、クエストをこなすべきか。それが問題だ。
あとあと連絡がとりやすい相手となると、クランのメンバーなのだが……それはそれで、なんか誘いづらい。
――運営ぃいいいいい!!!!!
甘酸っぱいイベントを楽しんでくださいね、というプロデューサーの笑顔が思いだされ、ツェルトは脳内でその笑顔を念入りにぶっとばした。
なにが甘酸っぱいじゃ、そんなものはいらねぇんだ、いいからさっさとアイテム寄越せ!
……という気分だが、甘酸っぱいイベントをクリアしないと手に入らないアイテムがほしいので、ここでじたばたしていても解決しない。
しかたなく、ツェルトは団拠点に移動した。
ツェルトは「ヴォイス・チャット禁止」だけが団則の弱小クラン〈沈黙騎士団〉のメンバーである。アクティヴはたったの四人なので、残り三人がクエストの相手候補だ。
誰かが拠点にいたら、話ができると思ったのだ。
理想的には、向こうから持ちかけてほしい。
バレンタインなんだから女性から誘え、というツッコミは受け付けない。愛の告白がしたいとかならともかく、ツェルトは限定アイテムが欲しいだけなのだ。
団拠点には、レイマンが引きこもっていた。
わかりやすく、倒れていた。
このジェスチャーは最近追加されたもので、けっこう使い勝手がいい。仰向けタイプとうつ伏せタイプがあるのだが、レイマンはうつ伏せを選んでいた。
C:レ「あれ、ツェルトたん挨拶したっけか? こんばんは?」
C:ツ「こんばんは。今来たばっかりだよ」
C:ナ「こんばんは」
ナイトハルトもオンラインではあるようだが、クラン拠点には姿が見えない。
――レイマンさんかー……。
ツェルトは考える。レイマンは、やばい。
なにがやばいかというと、謎の愛ちゃんがやばい。
謎の愛ちゃんとは、レイマンをストーキングしているキャラクターである。レイマンはきついことをいえない性格なので、逃げたり隠れたり、逃げ遅れて一緒に遊んだり、放置している風を装って姿を消したりと、いろいろ苦労しているようだ。
いい加減、見ているだけでもイライラするわと思うツェルトであるが、それはそれとして、レイマンとバレンタイン・クエストをやったことが愛ちゃんに知られたら、絶対に面倒なことになる。
確信できる。
というか、怖い。
C:レ「なにぼーっとしてるの? 疲れてるの?」
うつ伏せで倒れているひとに、いわれたくない。
C:ツ「いや、レイマンさんがここに引きこもってるってことは、愛ちゃんもオンラインなのかなぁ、と思って」
C:レ「凄い! ツェルトたんが内藤力を発揮している!」
内藤力とは身内でしか通用しない表現で、おおむね「説明されてないことを察知する」みたいな能力のことだ。察しが良過ぎる、ともいう。
C:ツ「当たりなの?」
C:レ「ん〜、愛ちゃんはオンラインだよ。でも今日はねぇ、お断りしたから」
C:ツ「え、マジで?」
C:レ「マジで。それで疲れてくたばってるところですよ、励ましてくださいよ」
C:ツ「よくやった」
C:レ「上司か!」
C:ツ「むしろ上官で」
C:レ「軍隊か!」
愛ちゃんという凶悪なサテライトに惑星破壊ビームを撃たれる心配がないなら、レイマンで手を打ってもいいかなぁ、とツェルトは考える。
だが、あんな強烈なストーカーが、一回断られた程度で簡単に諦めるとは思えない。
やはり駄目だ。レイマンは、バレンタイン・クエストのパートナーとしては危険過ぎる。
――やっぱり内藤さんかぁ……?
ナイトハルトは、〈沈黙騎士団〉の団長である。腰の低い厨二キャラだ。中の人は中年であると、本人はいっている。
厨二プレイが趣味の中年……冷静に考えると、大丈夫なのこのひと、と思わなくもない。
というか、たぶん大丈夫じゃない。かなり変わっている。
C:ナ「もうちょっと気を入れて褒めてあげてください。レイマンは、ツェルトさんのために頑張ったんですから」
C:ツ「わたしのため?」
C:レ「内藤、それ誤解を招くいいかただからー」
C:ツ「はっきりいえよ、っていつもブツブツ文句いってたから、って意味ですか」
C:レ「それそれー。それよー」
C:ツ「よくやった」
C:レ「上官か!」
C:ツ「でも、愛ちゃんそんなに簡単に諦めるイメージないから、不思議です」
C:レ「……うん、まぁそうだよね」
C:ナ「たぶん、メッセージ着信が凄いことになっているのでは」
C:レ「うん、そうだね!」
なるほど納得である。
C:ツ「でも、なんで今日? バレンタイン・イベントにあわせてふるとか、ひどくない?」
C:レ「え……ひどくないよ! ひどくないよな?」
C:ナ「むしろ、ツェルトさんがひどいですね」
C:ツ「だってバレンタインだよ。一般的に、恋する乙女には一大イベントなんじゃないの? そこでふるって、やっぱりひどい気がする」
C:レ「バレンタインだからですよ。ガチの告白とかされたら、お断りするしかないじゃないですか……」
ツェルトは自分の眉間に皺が寄るのを感じた。
謎の愛ちゃんはたしかに迷惑だし、レイマンはさっさと態度をはっきりさせろ、と思っていたのも事実だ。しかし。
C:ツ「愛ちゃんがガチとか、告白されなくてもわかりきってるじゃん。イベント始まったところで断るの? もっと早くちゃんとしてあげないと」
C:レ「いや、だって……」
C:ツ「だってもなにも、バレンタイン・イベントであれやろう、これやろう、って愛ちゃんも計画してたと思うよ? 気もちも盛り上がってるでしょ。そこで、お断りってさぁ……」
C:ナ「ツェルトさんが謎の愛ちゃんに同情的なことをいうとは予測していませんでした。わたしもまだまだです」
C:ツ「内藤さんの感想がおかしい」
C:レ「いろいろ同意。……でもそうか。そういう考えかたもあるか……」
C:ナ「早くいわないといけない気がするので、いっておきますが、今さらですからね?」
C:ツ「なにが」
C:ナ「レイマンに話してます。『さっきはごめん』とか、謎の愛ちゃんに気を持たせるようなことをいうのはナシで、ということです」
C:レ「……読まれているッ」
ツェルトは慌てた。
C:ツ「まさかとは思うけど、『さっきはごめん』とか送ったんじゃないでしょうね?」
C:レ「まさかー。さすがにそこまで打鍵速くないよー」
間に合ってれば送ってたってことやんけ!
C:ツ「ふざけんなし!」
C:レ「えっ。なんで俺、叱られる流れ?」
C:ツ「はっきりしないのが駄目なの! 嫌なら嫌、つきあえないならつきあえないで、きっちり伝えてあげなって、わたしはずーーーっといってたの!」
C:ナ「どうでもいいですが、『嫌』も『つきあえない』も否定ばかりで、こういう場合、ふつうは肯定とセットで例に挙げるものではないのかと」
C:ツ「内藤さんは黙ってて」
C:ナ「はい」
C:レ「でも、ひどいって……」
C:ツ「だからー、さっさと伝えなかったことを、ひどいっつってんの。今さら、やっぱゴメンじゃネーヨ。信じらんない」
C:レ「じゃあさ、俺はどうすればいいのよ?」
C:ナ「挙手」
C:ツ「挙手、て……」
C:レ「はい、内藤くん」
C:ナ「(起立)先生、ツェルトさんは、現在の対応についての具体的な意見があるわけではないと思います」
C:レ「ありがとう、内藤くん。ツェルトさん、どうですか?」
C:ツ「学級会か!」
いわれてみれば、レイマンのしたことを批判はしていても、ではこうすればいいです、という対案はない。
ナイトハルトの指摘が真っ当なのが、苛だたしい。
C:レ「いえいえ、クラン会議です」
C:ツ「とりあえず、『さっきはごめん』はナシで」
C:ナ「そこは共通認識のようで、よかったです。(着席)」
C:レ「はぁぁ。でも、女の子をふるって、難しいね」
C:ツ「男の子なら難しくないの?」
C:レ「……いや、難しかったな」
ちょっと待て。なんで経験済みみたいな反応なんだ!
C:ナ「そこ、kwsk」
C:ツ「え、どゆこと。中身の性別とキャラの性別でどっちがどうなの?」
C:レ「秘密だよ。人に話すことじゃないしね」
レイマンは、いいやつなのだということは、ツェルトにもわかっている。
だから人に好かれるんだろうなと思う。
往々にして、めんどくさい人に好かれがちなのは、まぁ……レイマンがいいやつ過ぎるからなのだと思うことにしておく。
でも、ここは教えてほしい。
寝転がったままのレイマンのキャラの上で、ツェルトは地団駄を踏むジェスチャーを使った。無抵抗のレイマンを、ツェルトがゲシゲシと足蹴にする図が完成である。
C:ツ「そんなケチくさいこといわず。クラメンに秘密はナシだ!」
C:ナ「クラメンには秘密でも、クラマスには秘密はナシです」
C:ツ「ちょ、内藤さんズルいでしょ、それ!」
C:レ「まぁちょっと、愛ちゃんからのメッセージも重たいし、今日は俺、落ちるわー」
C:ナ「了解です。お疲れさまでした。おやすみなさい」
C:ツ「あ〜……なんかごめんね。お疲れさま!」
C:レ「気にしないで。ちゃんと思ったこといってくれる方が、助かるよ。じゃ、またねー」
レイマンのキャラは、寝転んだ姿勢のまま消えた。
C:ナ「ツェルトさん」
C:ツ「はい?」
C:ナ「レイマンはレイマンなりに、皆に迷惑がかかることを考えて、やっと愛ちゃんに強くいったんですよ。それを、ひどい、はないでしょう」
C:ツ「……はい」
ナイトハルトは、たまに厳しい。いや、たまにじゃないかもしれない。わりと厳しいぞ?
C:ナ「レイマンがいなくなってからお伝えしているのは、彼がいるあいだにいえば、余計に気にするからです。わかりますね?」
C:ツ「ごめんなさい」
C:ナ「現在、謎の愛ちゃんからの攻撃は熾烈を極め、わたしの右手や封印されし第三の目をもってしても迎撃は難しいです」
ナイトハルトにも愛ちゃんからのメッセージ攻撃が届いている、ということだろうか。
愛ちゃんにとっては、レイマンの背景にセットで写り込んでいる厨二的な背景、くらいの認識なのかもだけど、正直――ナイトハルトに喧嘩を売るなんて、ガチめのヤバみしか感じられない。
C:ツ「真面目に反省してるのに、さらっと厨二を混ぜてきます?」
C:ナ「わたしのアイデンティティですので。まぁ、要は、これで終わりではないという話です。何回でも、お断りする必要が生じる予感がします」
C:ツ「なるほど……」
C:ナ「そのときに、いちいちレイマンの意志を折るような真似をしないでいただきたいのです」
C:ツ「わかりました。今後は、よく考えます」
C:ナ「ありがとうございます。では、わたしも善後策を練るために、今日は落ちます」
C:ツ「すみませんでした」
C:ナ「おやすみなさい。また明日」
C:ツ「おやすみなさい」
ひとりオンラインに残されたツェルトは、我が身をふり返って、反省した。
たしかに、延々と気をもたせておいて、バレンタイン・イベント当日にふるレイマンは、たちが悪い。悪気はない上に、善良だから、始末に負えないタイプのアレだ。
だが、それはそれとして、無責任に批判すべきではなかったと思う。
今さらといえば、ツェルトの指摘だってすべてそうなのだ。今さらいってもしかたがない、というやつだ。
――あーあ、自己嫌悪ぉぉぉ。
さすがに、今夜は自分も落ちようかなと思ったところで、ひょこっとチャットウィンドウに新しいメッセージが表示された。
C:ナ「出戻りです、こんばんは」
C:ツ「お帰りなさい」
C:ナ「うっかり忘れるところでした。ツェルトさん、バレンタインのイベントやりました?」
「あーっ!」
ツェルトはリアルで叫んだ。やってねぇ。すっかり忘れてた!
バレンタインの話をしてたのに、クエストの話はなにもしていない!
C:ツ「やってないです!」
C:ナ「わたしもまだなんです。よかったら、一緒にやりませんか?」
C:ツ「はい!」
C:ナ「助かります」
思いだして戻ってきてくれるあたり、やっぱりナイトハルトは厳しいだけじゃない気がする。
ツェルトから誘わずに済んだのも、ポイント高い。さすが団長。
C:ツ「今年の限定アイテム、花冠ですよね?」
C:ナ「我が頭髪を飾るにたるものかどうか……」
C:ツ「封印されし第三の目で見極めてください」
C:ナ「それはちょっと。封印がとけると、世界が滅びてしまうので」
C:ツ「破壊神だから?」
C:ナ「終焉を齎らしちゃいますね」
厳しいか優しいかはともかく、団長がおかしな人であるのは間違いなかった。
その後、遅れてログインしたヴォルフが「たとえツェルトでも女子キャラがいい」と駄々をこねたため、ツェルトは2回目のバレンタイン・イベント・クエストに出撃することになったらしいです。