第7話 ようこそ、ヴァルトブリーゼへ
「ようこそ、ヴァルトブリーゼへ、サイトーゴローさん!」
「うわぁ……本当に異世界だ……」
ダークエルフの少女ヒルダに先導され、装備を整えた五郎は、目覚めた部屋から異世界に第一歩を踏み出した。
そして、部屋から出たとたんに目の前に広がる光景に、五郎は自分が異世界にやってきたことを改めて実感し圧倒されていた。
地平線の向こうに蒼くそびえる山脈や、どこまでも続いている畑などは、転勤先の北海道で勤務していた時代に見慣れたものではあったが、そのスケール感が圧倒的に違っていたし、何よりも、漂っている空気の粒一つ一つに、自分が元居た世界とは全く違う極めて澄み切った成分が含まれていることが感じ取れていた。
(こ、これはすごい……。すごいだけに……俺ってば、なんか恐ろしく場違いだ……な)
そして、圧倒的スケールと清浄さの中にいる自分の格好が、恐ろしく通俗的で下種なもののような気がして思わず身が竦んでしまっていた。
俗にキラーキャップと呼ばれる野球帽のような形の帽子に首を直射日光から守るために、帽垂れという昔の日本軍の南方勤務の兵隊が戦闘帽に着けていたヒラヒラした布を自分で縫い付けたものを被り、コンバットシャツと呼ばれる胸の部分が柔らかい生地で袖が丈夫な生地のシャツを着用。
タクティカルパンツと呼ばれる普通のポケットの他に隠しポケットがいくつもついているズボンをシャツインで履いて、靴もタクティカルブーツと呼ばれる走破性や踏み抜き対策が講じられた頑丈なブーツ。
そして、コンバットシャツの上にチェストリグと呼ばれる、銃の予備弾倉を入れるポーチをたくさんつけた前掛状の装具を装着。
さらに、そのチェストリグの上からたすき掛けに吊り帯を掛け、M4カービンを吊り下げ、左腰に大型のナイフ。右腰にはコルトガバメントを改良したMEUピストルを合成樹脂製のホルスターに入れて装備していた。
無論ゴーグルも帽子の庇の上にかけ、いつでも即座に顔に装着できるようにしている。ゴーグルの装着はサバイバルゲーマーの金科玉条だ。
五郎の扮装は、元の世界の日本のサバイバルゲームフィールドではPMCスタイルと呼ばれるありふれたものだったが、こちらの世界に溶け込んでいるかと言えば、五郎の主観ではハロウィンでもないのに渋谷の大交差点で仮装しているような気分だった。
それと、当然のことだが、サバイバルゲームフィールドで、五郎はナイフを装備したことはない。
左腰の大型ナイフは、異世界の農場で害鳥獣の駆除という仕事をするということで、鉈感覚で装備したものだった。
ちなみにPMCというのは民間軍事会社(private military company)の略であり、平たくいえば傭兵の派遣会社のことである。
そこに雇われた戦闘要員のことをプライベートオペレーターとかコントラクターと呼称し、五郎が現在している扮装は、そのPMCオペレーターのコスプレだった。
サバイバルゲームを愛好する人や、リエナクター(歴史再演者)と呼ばれる軍装愛好者の中にはコスプレという言葉を毛嫌いする人も少なからずいるが、五郎は所詮偽物なのだからコスプレだというスタンスだ。
だが、しかし、五郎のような重症ミリタリーオタク患者の場合、銃や刀剣以外のモノは全てホンモノを揃えるというのがその業の深いところであり、今、五郎が身に着けているモノは、全てが実際のPMCオペレーターが使用していたり、SASやSEALS、グリーンベレーといった特殊部隊の隊員が個人的に購入して使用しているという実績があるもので固められており、秋葉原を一周すれば全部手に入るとはいえ、結構なお値段のモノたちだった。
「ふ……んんんっ! すううううっ! ……っ!」
背筋を伸ばし、五郎は大きく息を吸い込んだ。
「……っ! フゲッ! ゲヘガハゴホッ!」
と、ほぼ同時に肺に入ってきた濃密で清浄な大気に気管支が困惑し、咽返ってしまった。
(な、なんて濃くてきれいな空気だ。元の世界じゃこんな空気、江戸時代より前じゃなきゃ吸えないぞ)
「こちらが、今日からのゴローさんの職場になります。この、ゴローさんの家は、我が農場のほぼ中央になります。普段はここで待機していただいて、有害鳥獣が出現したときにここから出動していただくということになります」
ヒルダが手で指し示す、果てが見えない360度一面の畑。遠くに微かに牧草地らしきものが見て取れるが、そこで何が育てられているのかは遠すぎてわからない。
そして、ここが異世界であることを五郎に決定的に知らしめていたのは、そこで働く人々や家畜が、もとの地球世界では見たことも聞いたことさえない者たちだったことだった。
(エルフや、普通の人間はもちろんのこと、獣耳人……兎耳、猫耳……あれは犬耳か狼耳か? いや、狐耳か? それに八本脚の馬……って、スレイプニルかよ。こっちの世界では農耕馬にスレイプニル使うのか……?)
と、そのとき、自分の常識外にある異世界農場の風景に圧倒されている五郎の頭上からライオンの雄たけびのようなものが轟いた。
「うわぁっ!」
その大音声に驚きながら、五郎は胸の前に吊り下げたM4カービンを構えようとして失笑する。
(たははは……、玩具の鉄砲で何に対抗しようってんだ? サルやカラスならともかく……それならまだこっちのほうが有効だろ)
五郎は右の腰に佩いたネパール製の大型ナイフに左手を添えた。
「あらぁ……珍しい。グリフォンなんて……何年ぶりかしら? ゴローさんがおいでになったので、様子見にいらしたのかしら」
頭上はるか上空を横切ってゆく鷲頭獅子脚のモンスターを眺めながら、そよ風の森のエルフの族長にして農場長代理のダークエルフの少女ヒルダがのんびりとつぶやいた。
「ええ……と、ヒルダさん……グリフォンっていうのは……?」
「あら、御存じありません? 鷲頭獅子脚の聖獣様です。グリフォンは有害鳥獣ではありません。あと、飛竜や新世代の竜種以外の古代竜種も有害鳥獣には当たりません。むしろ尊崇の対象となります。とりあえず、今のところは、カラス、スズメ、ネズミ、ウサギ、サル、イノシシ、シカなどが駆除対象だと覚えておいてください」
昭和の役場職員を思わせる黒縁メガネに陽光を反射させ、ヒルダが人差し指を顔の横で振る。
「は、はあ……わかりました」
(うわぁ、やっぱ異世界だ。獣耳だけじゃなくてグリフォンだってよ。すっげー! ファンタジーがリアルに存在してる!)
そんな新任の女教師のようなヒルダの仕草を、年齢相応の落ち着いた体で五郎は受け流していたが、その内心は異世界をこれでもかと実感して興奮しきりなのだった。
そんな五郎の内心をよそに、ヒルダが農場の案内を続ける。
「えー、当農場は約二百五十年前に、私の父がお米を栽培するために田んぼを開墾したのがその始まりです。それまで、この国ではお米という食べ物は何年かに一度宮廷で供されるくらいの大変珍しい物でした……その田んぼはここからは見えませんが……」
昭和の村役場職員を思わせる装いのダークエルフの少女ヒルダが、五郎に農場の概要を説明しながら先導する。
「当地がお米の栽培に適していたことは、作付け二年で大豊作となったことから明らかになりました……。そして……で、現在では約三百人の従業員とその家族が、この土地に暮らしています」
「農場……というより、既に一つの村ですねぇ」
ヒルダの説明に感嘆しながら、五郎はヒルダの後について農場を歩き回った。
「ヒルダさ、そつらのすとだが?」
(ヒルダさん、そちらの人ですか?)
トウモロコシ畑に隣接したスイカ畑の畝から、少年の声が投げかけられる。麦わら帽子に空いた穴からピンと立った犬か狼か狐の耳の獣耳が覗いている。
「はい、そうです。こちらが、新しく守衛さんの任に就かれましたサイトーゴローさんです。家名持ちですから失礼のないようにですよ。ちなみにサイトーというのがご家名だそうです」
「うひゃあ! なすてすったらえらいおかだがくったどごさおんでなさったが?」
(うひゃあ! どうしてそんな偉い人がこんな所に来て下さったの?)
今度は反対側の畑の畝から兎の耳を麦わら帽子から飛び出させた少年が問いかけてきた。
「あ、あの、私の国では、誰でもが家名を持っていますから……私は偉くもありませんし、特別でもないですから!」
そう申し開きしながら五郎は胸の前て手を振る。
「うふふ、やぁっぱり、使徒さ……ウチの社の採用担当の目は確かみたいですね。その謙虚さ、加点五倍です!」
ヒルダが顔の脇で黒縁メガネのフレームを指先で上げて微笑む。
「え? 私、採点されていたんですか?」
驚く五郎に首を傾げるヒルダ。
「あらぁ、ゴローさん。初めてお会いした方を頭っから信じて差し上げるほどワタシたちはお人よしではありませんし、この世の中はそんなに甘くないですよ」
「はあ……そうですねぇ……」
溜息をつきながら五郎は周囲を注意しながら見回す。
すると、畑の作業をしている人々から五郎に投げかけられている視線には、好奇心はもとより、あからさまな警戒心や、懐疑心といった成分がかなり含まれていることに気が付いた。
五郎はこの農場にとって、いや、この世界にとって新参者であることは当然として、明らかに異分子的な存在だ。異世界からやって来たのだから、それは当然のことだ。
元の世界でも、余所の土地から転勤してきた人間が警戒されるのは当然だった。
(新参者が警戒されるのは身に染みてたはずだよなぁ。異世界の風景に圧倒されて忘れてた)
定年するまで勤めていた職場の五郎の立場は一人身だから『何時でも何処へでも飛ばせる要員』だった。
だから、余所者がいきなり初めての土地に馴染むまでにかなりな手間暇がかかることは心得ていたはずだった。
また、新参者がその職場に溶け込めるかは本人の努力もさることながら、その土地の人間との相性も重要だった。
色々な土地からの流入者が多い土地では新参者に対する警戒心は比較的緩い傾向にあるが、代々同じ土地に同じ一族が住み続けている本当の田舎では、新参者に対する警戒心はより厳しいものになる。
最悪、十年住み続けても余所者と誹られる。
それが田舎というものだ。
地方で人口減少に苦しむ市町村がIターンとか、Uターンとかで都会からの移住者を誘致するために様々な施策をしているが、それは正直言って功を奏しているとは言い難い。
なぜなら、そういう甘言に乗って移住した者を村八分にして追い出すような集落が多々あるからだ。
その集落の実力者の家の改築に金を出させたり、地区の自治費を出させるだけ出させてその恩恵には与らせないは序の口。
空いている土地に家を建てさせるだけ建てさせたり、傷んだ空き家を改築させるだけさせて、嫌がらせをして追い出す。
移住してきた新婚の夫婦の奥さんを地区の男全員の共有物として供出させようとした事例もあるそうだ。
(ここは、まだ、ましだな。俺への……新参者に対する警戒心しかないようだ)
そういった他人の視線から自分への意図意識を感じる能力も長年の転勤生活で培われた自己防衛力の一端だった。
(なるほど……一朝一夕では、仲間に入れてもらえない……か。まあ、そこいらへんは日本のどこの職場でも似たようなものだからな。じゃあひとまずはご挨拶からだろう……)
五郎は、大きく息を吸って、ヘソ下三寸に力を籠める。
「皆さん! 私は、この度こちらの農場に、害鳥獣駆除と農作業の補助で採用されたゴローといいます! こちらに来たばかりで、正直、戸惑うことばかりです。ですが、一分でも早くこちらに慣れ、皆さんと一緒に仲良くこの農場で働きたいと思っています。どうかよろしく!」
決して太くも低くもないが、かといって甲高くもないよく通る声が辺りを震わせる。
と、五郎のすぐ脇からパチパチと手を叩く音が聞こえてきた。
「すごーい! ゴローさんのお声って、王国の軍隊の将軍さんみたいに通るんですね」
ゴローの短い挨拶に拍手していたのは、ヒルダだった。
「まんず、でがいこえだごど、おらのむむちぎれでまるがどおもったっちゃ」
(いやぁ、大きい声だね、僕の耳ちぎれるかと思ったよ)
すぐ傍で雑草取りをしていた兎耳の少年が耳をさすって破顔する。
「あはははは! じゃいや! まごとでげこえだじゃ、わだばたまげでまたじゃ」
(あはははは! すっげー! ものすごい大きい声だね、ボク、びっくりしたよ)
狼耳(生えている尻尾で五郎はそう判断した)の少年が犬歯が目立つ歯をむき出しにして笑顔を見せ手を叩き始める。
そうして、あちらこちらから、五郎に向かっての拍手がさざ波のように広がり始めたその時のことだった。
「ヒルダ! 来てぇッ! コーイ(キャベツ)畑よ! シカが出たの! カラスとサルもよ!」
落ち着いた雰囲気だが、少女特有の稚さが残る叫び声が辺りの空気を劈いた。
「ヒルダ、早く、早く! 狩人さんを連れて来てぇッ!」
その声の主は畑の間の道を駆けて来た猫のような耳を持った女の子だった。
ご愛読誠にありがとうございます。
次回は五郎の初仕事イン異世界農場です。