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第2話 始まりはキュウリの糠漬け

けがをしてしまい、昨日中に更新する予定が、一日ズレてしまいました。


「モツもしっかり洗って煮込みにすっから、傷つけんなよ! 中身で汚染されたら食えなくなっからな」

「わがてらでゃ! んがこそ、よげにあんぶらこ皮さのごすな」

(わかってるよぅ! お前こそ皮に脂を余分に残すんじゃないぞ)

「あんたたち、口より手を動かしなさいよね! 夕方までに終わんなかったら、晩御飯ヌキだからね!」

「「「「「ひゃああああッ!」」」」」


 農作業スタッフたちの朗らかな声が、森と農場の狭間にあるジャガイモとトウモロコシ畑に響いていた。

 畑にはイノシシとカラスのモンスターによる食害の後が生々しく残っている。


「はだげは、明日でいいべな」

(畑は明日でいいよね)

「ああ、そうだね。今日はまずこっちだね。畑の修繕は明日みんなでやろう」

「いンやぁ、あいかわらンず、ゴロさのてっぽぶぢ(銃)の腕はあンざやがだな」

「そうだねえ。きれいに頭だけぶっ飛ばしてくれるから、肉がきれいなんだよねぇ」

「しかし、久しぶりだねぇ、こんな大きいのは」

「ああ、ゴロさがこごさ(ここに)来たどぎ以来だな」

「あんどぎだば、サルどスカどカラスだったぬ」

(あのときは、サルとシカとカラスだったね)

「なあなあ、シカの刺身、まだ、冷凍庫にあるってウワサがあるんだが……」

「ウワサなんかでねじゃ。ヒルダさにへれば、おめでたいどぎぬ出ふてけるどごほんぬんさまがへってらったじゃ」

(ウワサなんかじゃないよ。ヒルダさんに言えば、おめでたいことがあったときに出してくれるって、ヒルダさんが言ってたもん)

「え? じゃあ、今、申請したら、今晩のごはんに出てくるかも?」

「ンだじゃ! そぅへってらったどへってらべ」

(そうだよぅ! そう言ってたって言ってるじゃんかよぅ)


 解体に携わっている農作業スタッフが、口々にゴローの射撃の腕を褒めそやし、今晩のごちそうに思いを馳せていた。

 この時手が空いていた30人余りの農作業スタッフが参加しての解体作業は、皆が皆プロのハンターを思わせる解体ナイフ捌きで、その顔は皆が皆、豊作の年の農民の笑顔だった。

 そして、皆が集まり解体を始めてからほんの30分ほどで、皮剥から討伐部位及び売買可能な素材部位の剥ぎ取り。そして、部位ごとの肉の切り分けなどの精肉作業へと進み、銃の射撃後整備メンテナンスを終えたゴローがお手伝いを申し出る前には殆どの作業が終了して、肉と骨は冷蔵冷凍設備や燻製設備などがある農場加工食品部のスタッフへと引き渡されていた。


「今日の夕食は期待しててね!」

「もちろん前の残りも出すからね!」

「お酒も出すからッ!」


 そう言って加工食品部の農場従業員らは用意してきた運搬用の馬車に、畑荒らしたちのなれの果てを積み込んで意気揚々と引き揚げていく。

 それを見送る解体作業に従事した農作業スタッフの顔は緩み切っており、中には口角から涎を垂らしているものまでがいた。

 その笑顔にゴローは、今日も人的被害がなかったことに、胸をなでおろしていた。


「はい、ゴローさん、お疲れさまでした」


 昭和の村役場職員を思わせる丸メガネと黒の腕カバーがトーレドマークの農場事務職員、ダークエルフのヒルダが労いの言葉をかけながらゴローにお盆を差し出す。


「あ、ああ、ありがとうございます。ヒルダさん」


 和風な丸いお盆に載せられた水差しと湯呑に一杯の水、一口サイズの塩むすび。そして、おにぎりの横にはキュウリの一夜漬けが丸ごと一本のまま串刺しで添えられていた。

 切っていないのはゴローがこの形で食べるのが好きだったからだ。

(そういえば、このキュウリの漬物が始まりだったんだよなぁ……)


 ゴローは数ヶ月前の出来事を思い出していた。


(あれから、何ヶ月も経ってないのに、もう何年もここにいるような気がするなぁ)


 お盆から水を受け取り一息に飲み干す。


「ああ、美味い。ここの水は本当に美味いなぁ……」

「ええ、ここの飲用水の井戸は、農場の社長でもあるワタシのお父様が掘り当てたもので、テラ(土)系専門の高位魔法使い様によると、遥か遠くヴラル大盾山脈の山体に積もった雪が融け出したものが地下深くの水脈となり、ここまで流れてきたものらしいです」

「ヴラル山脈って、世界をこちら側と向こう側に分けてるという?」

「ええ、そうですね。そう言われています。あの山脈の向こう側は誰も見たことがないので……。私たちの世界が始まってからこちら、あの山脈の向こう側へは神々すら到達なさってはいないと言われています」

「ヒルダさんのお父さん……この農場の社長さん……登ろうとしてるって言ってましたよね?」

「ええ、あの風来坊ってば、50年前の手紙で308回目のアタックをするとか書いてきましたけど……はあ、どうなってることやら……」

「ゲヘガハッ……ごじゅ……ずいぶん…と、まあ……」


 目の前の、昭和の村役場職員を思わせる装いの小麦色の肌をしたエルフが語るゴローのような人間からしたら気の長い……長すぎる話に、ゴローは何度か聞いた話ながらもむせてしまった。


「ワタシがホンの子供の頃から、何年かに一回は衝動的に出かけて行って登っていたんですけれど、ここ100年ばかりは麓と、5合目辺りに村まで作ってやってるみたいですね」


「ひゃく……村……ねえ。ヒルダさんのお父さんって凝り性なんだねえ」

「ええ、本当に。食べ物のこととなると本当に見境なくしちゃうんですあの人。そんなことよりゴローさん、今夜の晩御飯が楽しみですね。これから加工食品部のみんなが総出で作るみたいですから今夜はパーティーですよ! さ、これ食べちゃってくださいな。きっと晩御飯までいつもより少し時間がかかるはずですから」


 そう言った農場の社長の娘にして、農場事務職員のヒルダがお盆を差し出し、湯飲みに水を注ぎ足す。


「ああ、ありがとうヒルダさん。いただきます。丁度小腹が空いたところだったんです」

「よかった。用意してきて。さあ、どうぞ。ゴローさんがお好きなキュウリの一夜漬けもありますから」


 丸い和風のお盆に載せられている一口サイズの塩むすびと串刺しにしたキュウリの一夜漬けが丸々一本……。

 串を手に取り、ヘタをかみちぎってぷッと吐き出してかぶりつく。

 シャクッ! という小気味良い音とともに噛みちぎられた欠片が口の中で塩気を含んだ汁を撒き散らしながら咀嚼されてゆく。

 喉を鳴らして飲み込めば、鼻に豊かな糠の香りが抜けてくる。


「ああ……本当に美味いなあ、このキュウリの漬物は……」

「はい、ゴローさんみたいな大物を釣り上げた我が農場の自慢の一品ですから!」


 悪戯が成功した女児のような笑顔をして、ヒルダがフンスと胸を反らす。


「あーいたいた! やっぱりここだった。お嬢、事務所に戻って!」


 ヒルダの背後から猫耳の事務職従業員が駆けながら呼びかけてきた。


「加工部からゴローさんがやっつけた魔物の書類が回って来てるの。チェックは済んでるから、決済印押してちょうだい! ゴローさんとイチャコラするのもいいけど早くしないと晩御飯ヌキでやってもらうからね」

「バッ…馬鹿言ってんじゃないよッ! このトンカチ猫! 皮剥いで三味線にするわよッ! あ……ひゃあぁんッ! ご、ゴローさん……?」


 お盆で顔を隠し上目遣いにゴローを見るヒルダの顔は、その笹の葉型の耳までが真っ赤に染まっていた。

 それが何を意味するのかは、女性との交際経験が圧倒的に不足しているゴローではあったが、亀の甲よりなんとやらで何となくは理解していた。

 ちなみにだが、お盆を顔の前にかざした際に宙に放り出された諸々はゴローがキャッチに成功していた。


「さあ、もう、戻ったほうがいいですねヒルダさん。今日はビールとかの酒類も出すんでしょう。その決済もしないとじゃないんですか?」


 やんわりとゴローはヒルダに諫言する。


「え? じゃあ、ゴローさんも一緒に戻りましょうよ」

「いえ、私は、少し見回ってから帰ります。魔物じゃないほうのイノシシ除けの柵も気になりますから」

「分かりました。では、ワタクシ一足先に戻りますね。今日も一日お疲れさまでした。もう少しだけ宜しくお願いします。今夜はごちそうですからね!」


 そう言ってダークエルフの事務員は丸メガネに夕日を反射させ踵を返す。


「はい、了解です。お疲れ様です」


 ヒルダの後ろ姿を見送りながら、少し突き出た腹を引き締め、姿勢を正し掌を右の眉にかざすゴローだった。


「はあ、いくらなんでもなあ……」


 ヒルダの姿が夕焼けに染まったジャガイモ畑から見えなくなってからようやく緊張を解いたゴローは一人ごちた。

 彼女が自分に対して、少しばかり特別な好意を寄せてくれていることは何となく察してはいた。

 が、定年を迎えてからこの農場に再就職したという自分の立場や、この先の老いさらばえ衰えてゆく短命種の人間である自分であることもゴローはよく分っている。

 これから何百年も、ひょっとしたら何千年も生きて行く長命種が、好意を寄せてくれても、あと数十年内に事故や病が彼女を襲わない限り、確実に先に死ぬ自分とそういった関係になるべきではないと思っていた。


「全部俺の勘違いなら、俺の自意識過剰ってだけだから…まあ、それは、それでヨシだ。俺が自分で恥ずかしさに悶えるだけだからな。まあ、この年になると、そういう初々しい気持ちは逆に若返りの妙薬だしな……ふふふ」


 呟きながらドワーフの工房で魔改造した国産電動エアソフトガンM14(ゴローがこの世界に持ち込んでからはエアソフトガンとは言えない性能に化けてしまっていたが)を背負い、農場の外縁部を歩き始める。

 デカいイノシシを倒したバレッタM82は数人がかりで待機小屋に持ち帰ってもらっていた。

 歩きながらシャクリとキュウリの浅漬けを齧る。

 小気味良い咀嚼音が頭蓋に響く。


「ホント、全部これから始まったんだよなあ」


 自分の歯型に抉れた瑞々しいキュウリの断面を眺めながらゴローは呟いた。

 その呟きを聞いていたのは黄昏時のそよ風に揺れるジャガイモとトウモロコシだけだった。


早速のアクセス御礼申し上げます。

今後とも何卒宜しくご愛読くださいますようお願いいたします。

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