第17話 ヴァルトフリーゼ農場直営販売所ラジェーヴォ店
お待たせいたしました。
「……と、以上になりますね。伝票にサインよろしく」
「はい、はいっと……、しかし、めずらしいですねぇ、農場長自ら納品にいらっしゃるなんて」
サインを終えた兎人族の女性が、書類ばさみをヒルダに手渡しながら肩を竦めてみせる。
「あらぁ、そうでしたかぁ? ワタクシ事務仕事が落ち着く都度、来ていたつもりなんですけどぉ」
ことさら声を大きくして、ヒルダはヴァルトフリーゼ農場直営販売所ラジェーヴォ店の店長に答える。
狼狽えた表情を気取られないように視線は書類ばさみに落としたままだ。
だが、その台詞がすっかりスティックリーディングになってしまっていたことには、残念なことに彼女は気がついていなかった。
「ほんと、めずらしいだろぉ! 農場でも事務所からめったに畑にさえ出なかったのにさぁ、最近はほとんどの時間、狩人さんの待機小屋にいるんだよ。むしろ、待機小屋で事務仕事してる? みたいな? 夜寝る時以外ほとんど一緒さぁ。よっぽど新しい狩人さんが気に入ったみたいなんだよねぇ農場長様はさぁ」
虎人族の少女エカテリーナが、腹に一物を抱えたようにニヤついて、ヒルダに湿った視線を投げつける。
「あははぁ、そりゃぁ本当かい? カーチャ! あたしの記憶に間違いがなきゃ、この二百年の間、食爵様以外でヒルダの二メートル以内に近寄った男は黒焦げになってたんだけどねぇ。変われば変わるもんだねぇ。あのヒルダがねぇ……。へえ……、んで、その新しい狩人さんって……あの人族の東方人?」
「ああ、あそこでラオールと一緒にジャガイモの袋担いでるあの東方人みたいなオッサンだよ。あのオッサンが来てから、ここ何ヶ月かで、ラオールや農場の男どももヒルダの一メートル以内に近寄れるようになったのさぁ」
直営店の店長の肩に腕を絡め、エカテリーナが破顔する。
カーチャというのはエカテリーナの愛称だ。
ちなみに店長が言った食爵様というのは、ヴァルトブリーゼ農園の農場主で、食べ物に関するあらゆることに特権を王国から与えられ貴族に列せられたヒルダ父親だ。
「ははぁ……たしかにものすごい変わりようだぁ。そういやぁ、あの狩人さん食爵様に少しだけ似てる気がするよ」
「あははぁ、農場でもそう言ってるやつがいるねぇ。農場長様は、父恋だもんなぁ」
エカテリーナと直営店店長がケラケラと姦しい笑い声を立てた。
「農場長代理です! だ・い・りっ! このトンカチ猫ッ! 皮剥いでしゃみせんにすっぞごるぁ!」
「ってさぁ。ヒルダよく言うけど、しゃみせんって何よ?」
耳まで真っ赤にしたヒルダが虎人娘エカテリーナに食ってかかる。
(猫に三味線って、こっちでも定型句なんだなぁ)
ジャガイモをパンパンに詰めた麻袋を担いで、荷車から倉庫へと運ぶ作業を手伝っていた五郎は、ヒルダの怒声に、昔見たアニメの奇天烈なヒロイン少女に振り回される主人公が飼っていた猫の名前を思い出し、思わずその相好を崩していた。
「知らないわよ! 父様がよく言ってたのよ。猫人族の子が悪戯した時に!」
「って、あたい、猫人じゃないし! 虎人だし!」
「うるさい! あんたなんかトンカチ猫で十分よ!」
(って、知らないのかよ三味線)
五郎はヒルダたちの会話を聞きながら口角を綻ばせ小さくため息を付いた。
「……はあ。ヒルダさんどカーチャだばいっつもこんだすけ、わがねじゃ。まじぇんなキケンどしゃっちょがへってらったっきゃ、すたども、まじぇんなキケンどはなぬだべな」
(……はあ、ヒルダさんとカーチャはいつもこれだからしょうがないんだよね。社長が言ってたんだふたりは混ぜるな危険だって。でも、混ぜるな危険て何の事なんだろうね?)
狼人族の少年ラオールもまた、呆れてため息をつきながらジャガイモの入った麻袋を倉庫の床に置く。
そしてまた、同じようにジャガイモが入った麻袋を倉庫の床に置いた。
五郎はふむと頷いいて、ラオールに答える。
「家庭用の汚れ落としの薬品で、混ぜたら火が着いたり、毒の煙が出たりする薬品の瓶に書いてある注意書きに例えて、仲の悪い人同士を一緒にするなとか、逆に仲が良すぎて騒動を起こしたりするから、その人達を一緒にするなってことなんだよラオール。農場の社長さんは、私の元の世界のウィットに富んだ言い回しに造詣が深いようだね」
農場事務所スタッフの虎人族の少女エカテリーナとヴァルトブリーゼ農園の農場長代理のダークエルフの少女ヒルダは、顔を合わせれば、こうして、取るに足らない言い争いをしてじゃれ合っているのだった。
五郎はその様子にいつも癒やされていた。
(ああ、俺にも娘や孫が居たら、元の世界っでもこんな気持になれたんだろうなぁ)
そんな思いに微笑む横で狼人の少年ラオールがぽんと手を打つ。
「なるほんどな……そぃだば、ほんぬヒルダさんとカーチャだばまじぇんなキケンだべお。あぁ、すたら、ゴロさはわんどのしゃっちょがてん……」
(なるほどねぇ……なら、ほんとうにヒルダさんとカーチャは混ぜるな危険だね。あぁ、そしたら、ゴローさんは僕らの社長がてん……)
ラオールが納得したように口の端を上げ、五郎に農場主の何かを言おうとしたそのとき、当のヒルダがこちらにつかつかと早足しで歩いてくる。
「ラオール! ゴローさんッ! 荷降ろしは終わったんですかッ!」
その背中から立ち上がる般若の姿をのオーラに尻尾の毛を逆立てて、ラオールは五郎の背中にヒュッと隠れた。
「ああ、はい、ヒルダさん。こちらへ納品の物はこれで全部です」
ニッコリと微笑んで答え、五郎はヒルダの気勢を殺ぐ。
五郎が長い勤め人生活で身につけた対人感情コントロールの技術だった。
と、我に返ったヒルダの顔がみるみると羞恥の朱に染まってゆく。
「あ、は、はい、ありがとうございますゴローさん。ラオールもお疲れ様」
耳まで紅くしたヒルダがゴローに答えるのを見て、カーチャは両手を頭の後ろで組んで口笛を吹き、兎人の店長はため息を付いて口角を微かに上げた。
「カーチャさん、三味線っていうのはね、猫の皮を使った楽器のことだね。私の故郷の楽器だよ。実際には犬の皮を使うことのほうが多いって話も聞いたことあるけど……。まあ、でも、三味線っていったら、まず猫の皮って連想してしまうね」
「へえ、そうなんだ。犬や猫の皮で楽器作るなんてすげーな異世界」
「まあ、そうだったんですか! 楽器……」
「ええ、そうなんです。……しかし、夕方なのにまだ暑いですね」
朝晩は冷え込むようになったとはいえ、まだ強さを保ったままの日差しが、チリチリと袖をまくった腕を焼いていた。
「ええ、ほんとうに。まだ暑いですね。このぶんだと夜は窓を開けてないと寝苦しいかもしれませんね」
「ああ、では、練り除虫菊を用意しておきましょう」
「さて、と、納品完了。ところで、今日はこれからどうするんですかヒルダ?」
と、尋ねる直営販売所の店長に、ヒルダは赤い顔のまま振り返る。
「そ、そうですね。冒険者ギルドでの用足もありますし、買い出しやら何やらもありますから、街で一泊しようと思っています。たしかゴローさんも武器の整備で鍛冶屋さんに行くんでしたよね」
「ああ、はい。前回来たときに預けていたものの引取に行こうかと……」
誕生日のプレゼントにお強請りしていたものを買いに行く子供のように、ニッコリと破顔して五郎は答えたのだった。
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