第15話 懐かしくも悍ましい匂い
お待たせいたしました
南方辺境領都ラジェーヴォの城門前は入城審査を待つ旅人の列でごった返していた。
「はあ、相変わらずこの街は入るのに時間がかかりますねぇ」
「まったくだね、この分だと昼飯はここで食うことになりそうだなぁ」
荷馬車の幌の中から馭者席に顔をのぞかせてラジェーヴォの街正門の入城審査の混雑にぼやいたヒルダにエカテリーナが応える。
「すがだねじゃ、こごのやぐぬんどもぁ、あめでらすけな、なんのかぬどあらさがすこすてわんつかでもよげにぜにこぁとるべどすてらのすけ、審査がおせのだじゃ」
(しかたないよ、ここの役人たちは腐ってるからね、なんのかんのとアラ探しして、僅かでも余計にお金取ろうとしてるから審査が遅いんだよ)
馭者席で手綱を取るラオールも処置なしと諦め顔で頭を振る。
ラオールの隣に座していた五郎もまた、意気消沈しきったヴァルトブリーゼ農園納品出張一行の沈んだ表情を見回し、溜息をついた。
(アフリカや東南アジアでもここまで露骨じゃなかったよなぁ)
元の世界で五郎が勤めていた職場では、発展途上国を中心とした諸外国に短期間の臨時出張所を設けることがままあり、体力がある若い者ほどよく途上国出張所に出張させられていた。
五郎もまた、その出張所に何度か行かされた経験があり、こうした末端の兵士、役人の『小遣い稼ぎ』には慣れていたつもりだった。
が、この街ラジェーヴォの連中の度を越した腐敗っぷりには呆れ返っていた。
(これじゃぁまるで、この街を治めてるのは国王が任命した代官じゃなくて、反社だって言っても通るなぁ)
五郎の感想通り、入城しようとする民を見る衛兵の目はカモを探すチンピラのそれであり、公務員たる軍人のそれではなかった。
そしてまた、衛兵たちの容儀も軍人のそれではなく反社会的結社の構成員と言ったほうがしっくりとくる様相に乱れていた。
「本当にそうですね。ここの役人、衛兵たちは本当に腐れきってますよねぇ……昔、この南方辺境伯領の領主様が愚王ヘルマンの御代にいわれなき反逆の罪を着せられ誅されて以来、空位となった南方辺境伯職に代官が充てられて、中央から法衣貴族が派遣されて、王国直轄領として治められてきたのですけど……」
「今の代官もまたロクデナシでなぁ……やつが来てから、この十年くらいでさらに腐れきっちまったのさ」
「んだなすぁ、賄賂だの横領だの無許可の賭博場の設置だの非合法の人身売買だの、まーまー、悪りぃごどの市場みでなもんだなっさぁ。やぐざもんどけったぐすてやりてぇーほーでぇーだぁ。よぐもまぁ、くったぬ、あぐどぐ重ねだど、ぎゃぐぬかんすんすてまるじゃ」
(そうだねぇ、賄賂や横領や無許可の賭博場の設置に非合法の人身売買とか、まーまー悪事の市場みたいなもんだよねぇ。ヤクザもんと結託してやりたい放題なんだ。よくもまぁこんなに悪徳重ねるよなって逆に感心しちゃうくらいさ)
「……はぁ、ここの代官様は財務卿の縁戚で中央政財界に太いパイプをお持ちなのですよ、ですから……」
「なるほど」
(よくもまあ王国中央から何も沙汰がないもんだと思ったら、どんな汚職も鼻薬と縁戚の権力で揉み消し放題だってわけか。元の世界もこっちの世界も権力を持った小悪党のやることは変わらないないなぁ)
胸の内で呟き盛大に溜息をついた五郎だった。
「まあ、考えたってどうしようもな。そんなことよりよぅ、なぁなぁヒルダぁ、納品終わったら、あたし、イッパイやってきていいよな、な? 酒のんで鬱憤はらさねえとよぅ……」
「ぅへえ、カーチャだば元気だなす、わだば、宿屋のベッドでねまってまりてじゃ」
(ぅへぇ、カーチャってば元気だなぁ、僕は宿屋のベッドでゴロゴロしたいよ)
「あーはいはい、ちゃんと納品が終わったらね。お小遣いの範囲内よ。前みたいに借金作ってまで飲んじゃだめなんだからね」
「もうしねえよぅ」
「だったらいいわ。ワタシも本屋さんに行きたいなぁ。……ぁ、ゴローさんは……なにか御用でも? もしご予定がなかったら……」
「ははは、私も納品が終わったら、鍛冶屋さんに行きたいですねぇ。預けていたものが仕上がっていると思うので」
「……ッそ、そうでしたか……ああ、そういえば、前回来たときにも鍛冶屋さんに行ってましたねぇ……」
少しだけ顔に陰を落として俯いたヒルダだったが、すぐに腰のベルトに結びつけてある大福帳を広げて、行きつけの本屋で購入を予定している本のリストアップを始める。
(ああ、流石、農場の経営者だな)
ヒルダが呟くように読み上げている大福帳に書いたメモを聞いた五郎はそのタイトルが農業の専門書のようなものであることに感心する。
「あそこの酒場ってよぅ、隣のオーフェン侯爵領のオルビエート村の『命の水』を独自ルートで仕入れてんだぜぇ」
「すったごどすて、よぐもまぁやぐぬんぬめぇつげられねもんだなっす」
(そんなことして、よくもまあ役人に目をつけられないもんだね)
「そりゃあ、おめえ、代官様にただみてーな値段で卸してっからってのがもっぱらな噂さぁ」
「あーあ、世の中、末ですねぇ……えーと、ヴェスト・ウルソ先生の『粘菌と生命の起源』に、農務白書……」
悪代官の噂を挿みながら ヒルダたちは、街に入ったあとのことを語り合い始める。
それは、手っ取り早くかつ実効的な現実逃避の方策だった。
「まあ、それでもよう、税金は普通より少しだけ高いくらいだからなぁ、領民が他領に逃亡したり、一揆や反乱が起きたりってのがねぇんだよなぁ」
「ほーんと、これで税率があとちょっと高かったら、一揆や反乱が多発してるでしょうねぇ。しゃくだけど上手いやり口だわ。まあ、ウチの場合は農場長たるお父様がヴァルトブリーゼ(そよ風の森)を含むあの辺一帯の領主みたいなものだから、税金は王国に払ってるので関係ないんですけど……」
(ほんとに悪代官を絵に書いたようなヤツだな。だが、平民や農民にとってはちょっと迷惑なやつ程度の認識なんだろうな。民は生かさず殺さずってのを地で行ってる……か。税収がきちんとあって、反乱がなければ統治者としては及第点だからな。中央としてもワザワザ波風を立てたくないってのが本音なんだろう。寄り親が財務卿なんて大物だからな)
「ああそうだわ、グラソ・バンブオパラソ先生の『嵐と森の合唱』の新刊が出てるはずなんだけど……入荷してるかしら?」
そのタイトルが、元いた世界では『腐』と呼ばれるジャンルの香りがすることに思わずツッコミを入れたくなった五郎だったが、なんとかそれを堪えることに成功する。
まあ、かく言う五郎も南方辺境領一という評判のドワーフの鍛冶屋に預けていたものの仕上がりをあれこれ妄想して口角を吊り上げているのだから五十歩百歩だ。
(ふふふ……、ガバとH○45のリアル口径化が完成してるはずなんだよな。楽しみだなぁ)
こちらの世界に来て馴染みになったドワーフの鍛冶工房に出していた、ガスブローバックエアソフトハンドガンのリアル口径化改造の仕上がりをあれこれ想像して、口元をだらしなく緩めている五郎だった。
「それにしてもおっせえなぁ……」
「ええ、まったくです! ちょっと早いけれどお昼にしちゃいましょうかねぇ……」
「それがいいじゃ! ほがのすとだづもめすずたぐはじめでら」
(それがいいよ、他の人達もご飯支度はじめてるし)
「仕方ないですね、お昼にしちゃいましょう……五郎さんお願いします」
「……あ、りょうーかいッ!」
少し早い昼食の支度を始めるために五郎は馬車の幌の中に入る。
ストレージに収納していた料理を出すためだ。
(あんまりこれは見せられるもんじゃないからなぁ。異世界物のラノベのテンプレ通りのレアスキルだもんな)
「メインは昨夜の残りのカレーが売るくらいありますからそれにするとして……。あと、トッピングも何か出しましょうかヒルダさん」
「そうですねぇ……まだ、ゆで卵とぉ、茸のマリネはありましたっけ?」
「おおッ、いいねぇいいねぇ。更にあたしはラガーを所望する! いいだろうヒルダぁ」
「んだなっす、わもほっすいじゃ。ヒルダさ、いがべ?」
(そうだね、僕も欲しい。ヒルダさんいいでしょ?)
「ははは、そうだった、ラオールはもう成人してたんだったね」
「んだじゃ、このたいりぐだば、てげのくにゃヒトど獣人だば15歳で成人だすけな」
(そうだよぅ、この大陸では大概の国の人と獣人は15歳で成人だからね)
「エルフ、ダークエルフは150歳、ハイエルフは200歳ですけどね。ダークエルフたるワタクシは300歳ですから、とっくの昔に成人してます。でもぉ、カーチャはあんまり飲み過ぎちゃだめだからね。衛兵に難癖つけられちゃうんだから」
「だいじょうぶさぁ、あいつらも昼飯時にはエールやワインガバガバ飲むからな。よっぽど怪しくなきゃ右から左さぁ」
「すかも、わんどだば、すっかるど鼻薬っこば用意すてらすけな。なんど、衛兵様すとるあだま大銀貨いづめぇだものな。てげぇとぉるべさ」
(しかも僕たちは、しっかりと鼻薬用意してるからね。なんと、衛兵様一人頭大銀貨一枚だもんね。たいがい通っちゃうよね)
そうして一行は少し早い昼食を始めたのだった。
昼食を終え、くちくなった腹を擦っていた五郎の鼻先を微風がそよいだ。
「……ッ!」
その風が運んできたものに、五郎は反射的に眉を顰め、食道を猛烈な勢いで上がってきた胃酸に咽返る。
「ぐふっ……っチッ!」
自分の顰めっ面に気がついて五郎は思わず舌打ちをする。
「ゴローさん?」
気配を豹変させた五郎に真っ先に気がついたのはヒルダだった。
すぐ隣でゲップをしていたラオールでさえ気が付かなかった五郎の気配の変化にヒルダが気づいて荷馬車の幌の中から五郎に呼びかけたのだった。
「ゴローさん、どうかしましたか?」
再度呼びかけるヒルダに気がついて、五郎は両手で顔を覆い表情筋のコリを解すようにグシグシと揉んで撫で下げる。
そうして笑顔を作りながらヒルダに振り向いた。
「な、何でもありません。ご心配をおかけしましたか?」
「いいえ、何でもなければいいんです」
ヒルダもまた五郎に笑顔を作る。
彼女もまた長い時を生きてきただけに、年を経たヒトには、各々に様々な事情があることを知っていたから、あえて、五郎に問をかけようとはしなかった。
(まさか、異世界に来てこの臭いを嗅ぐことになるとはな…。まあ、元の世界よりは格段に命の値段が安そうだから当たり前っちゃ当たり前か……)
五郎が顔を顰めたのは、彼の鼻先をかすめたそよ風が運んできた臭いを嗅いだからだった。
その臭いは、五郎が今よりもずっと若かく覇気に溢れていた頃、海外(中南米やアフリカ、中東諸国)へ出張したときに、ごくたまに嗅ぐことがあった嫌な臭いだった。
そのときに見たものの記憶が次々によみがえる。
懐かしくもあり、また、すぐさまその場から逃れたくなるような悍ましさを催す匂い……。
その臭いが漂う場所には常に血と涙と絶望と死が溢れていた。
汚泥の中に散らばる千切れた手足、裂けた腹から飛び出した臓物。
水たまりのようにそこら中にできた血溜まりの中で泳ぐ脳漿。
飛び出した眼球が虚ろに映す鉛色の空……。
それは、死んだ人間から漂う死臭であり、ヒトの肉が腐ってゆく腐臭だった。
毎度ご愛読誠にありがとうございます