第14話 南方辺境領都ラジェーヴォ
「あぁ、ほんといい天気、風もとってもいいわ……」
「ん? ぉお! 例の御神託か?」
真剣な表情で狼人少年ラオールの運転で、人が走るくらいの速度で進む戦闘用全地形対応車のロールバーに体を預けているヒルダが、うっとりとしたように目を閉じて小鼻をヒクヒクとさせる。
それを目ざとく見咎めたエカテリーナは、こういうときのヒルダが時折予言めいたことを言うことを思い出してチャチャを入れた。
「んもう、からかわないでよこのトンカチ猫! しゃみせんにするわよッ!」
「うぉッ! よッ! はッ! なんとッ!」
「すんずがにすてけろじゃ! くがつる!」
(静かにしてよ! 気が散る!)
バックグラウンドには相変わらず巨大馬スレイの背で翻弄される五郎の頓狂な掛け声。
「なにか、わたしたちにとってものすごくいい出会いがあるような気がしたのよ」
「へえ、そりゃぁいい! うまいものを持ってくるやつなら大歓迎だ」
「ほんぬこのとんかづねごっこだば、ままのごどすかあだまにねな」
(本当にこのトンカチ猫はごはんのことしか頭にないな)
「んだと、この犬っコロ! もっかい言ってみろ!」
「わ、けんなでばカーチャ! ハンドルまづがえすけ! わだば狼だじゃ」
(わ、蹴るなよカーチャ! ハンドル間違えるから! 僕は狼だよ!)
「わきゃあぁ! しっかり前見て運転しなさいこのうなぎワンコ!」
「わだばわるぐねじゃ! カーチャがけたぐったすけ揺れだのだじゃ! わだば狼だじゃ、うなぎいぬでねじゃ!」
(僕悪くないよ! カーチャが蹴ったから揺れたんだよう! 僕は狼だから、ウナギイヌじゃないから!)
隙きあらば振り落とそうとしている巨大馬の背で揺られながら、五郎は仲良くじゃれ合うヒルダたちを眺めて、脇腹あたりに感じる掻痒感に口角をほころばせる。
父親というものにならなかった五郎だったが、もし父親というものになっていたら、子供がじゃれ合うのをこんな気持ちで見ていたのだろうかと思ったのだった。
「あ、ラジェーヴォの壁っこだじゃ、ヒルダさ、そろそろ、馬車さ乗り換えだほがいんでねが?」
ラオールの声に、五郎の目にも遥か地平線に浮かぶラジェーヴォの街を囲む白亜の城壁が映りこむ。
(相変わらず綺麗な街だなぁ)
五郎は、遠くから眺めるラジェーヴォの街の外観を気に入っていた。
(朝と昼と夕方の光の具合とか天気でガラリと雰囲気が変わるのがいいんだよなぁ。こんどカメラ持って来ようって思ってていつも忘れるんだよなぁ)
五郎が思っているように、ラジェーヴォの城壁は時間や天気で見るものが受ける印象をコロコロ変えるカメレオンのような特性を持っていた。
五郎はそんなラジェーヴォの街の城壁が好きで、こちらの世界に持ってきてこちらの世界のパワーソースに変わったスマホやデジタルカメラで撮影しようと思っているのだが、それらを段ボール箱から出すことはすっかりと忘れていたのだった。
「あらぁ、もう? なんかあっという間に着いちゃった感いっぱいですねぇ。では、ゴローさん、おねがいします」
「了ッ!」
ヒルダが手をかざし巨大馬スレイを止める。
「よっと!」
止まったスレイから五郎が飛び降りる。
「じゃあ、ここにでいいですか?」
「はい、お願いします」
マジックバッグから荷馬車を取り出す。
(うん、本当に便利だなこのマジックバッグってのは……、馬車も積荷ごと入るし車も収納できるし……これだけでもかなりなチートだよなぁ)
「ゴロさこっちもいいじゃ、ぉありがとでがんすた」
(ゴローさんこっちもいいよ、ありがとうございました)
戦闘用全地形対応車の運転から開放されて緊張が解けたのか、ラオールは肩から力が抜けフニャフニャとした笑顔を五郎に向ける。
「ええ……と、座席に忘れもんはないな。ヒルダもいいな?」
「大丈夫よ私物は馬車に置きっぱなしだから」
ヒルダとエカテリーナも戦闘用全地形対応車から降りて私物を座席に忘れていないかを確認する。
「了解! じゃあ、マジックバッグに収納しますね」
全地形対応車をマジックバッグに収納しながら、ふと、マジックバッグに収まっている他の軍用車両やエアソフトガンを五郎は思い浮かべる。
(俺がこっちに来てからこっち、何度も納品出張に出てるけど道中で魔物や、盗賊に襲われたことはなかったよなぁ。けど、備えておくにこしたことはないからな。ああ、そうだ、こんど、車だけじゃなくて鉄砲の使い方もヒルダさんたちに教えなきゃ)
長年集め続けた五郎のコレクションの玩具銃(こちらの世界に召喚された際に実銃と同程度の性能に変わってしまった)は、軽く一個中隊を編成するくらいの数になっていた。
元の世界では、手元においておきたい分(それでも数十丁にのぼったが)以外を収納するために、赴任先で貸倉庫などを借りていたのだったが、今はその殆どをマジックバッグに収めていたのだった。
「んだば、スレイを馬車につなぐすけ」
「わかったわ、ラオール。スレイ、おいで……って、あらぁいい子ね」
ヒルダが声をかける前に、巨大馬スレイは自ら五郎がマジックバッグから取り出した荷馬車の轅の間へと収まっていた。
この荷馬車は巨大馬スレイが牽くために作られたもので、並の馬車の三倍以上の積載量がある特注品だ。
「スレイだば、ほんぬ、ヒルダさのいうごどだっきゃ、よぐきぐのだものなぁ。ほがのだれがなぬへでも、きがねのぬな。まあ、ヒルダさがスレイさよっぐ言ってきがせででくれるすけ、わんどでもスレイが牽ぐ馬車の馭者でぐるのだものなぁ」
(スレイッて、ほんとにヒルダさんの言うことだけはよく聞くよね。他の誰が何言っても聞かないのに。まあ、ヒルダさんがスレイによぉっく言い聞かせてくれてるから僕らでもスレイが牽く馬車の馭者ができるんだけれどね)
「うん、こればっかりはラオールに激しく同意するわ! ヒルダが馬車を牽けって言わなきゃスレイは誰が何言ったって牽かないし、ゴローさんだって荷物扱いだけど載せてるのってヒルダが乗せろって言ったからよね」
「あらぁ、違うわカーチャ。わたしだけじゃないわ。お父様とルーとリューダとヴィオレにサラ、それから、ヴィルマにテュスの言うことはよく聞くわよ」
「ヒルダぁ、ヴラールに行ったっきり、月一の手紙以外、いつになっても戻ってこない人たちのことを言ってるんじゃなくて、今こっちにいる人のことを言ってるの!」
「でも、スレイはいい子なのよ、ちょっと気難しいだけなの!」
「だ~か~ら、その気難しいのが問題なんだって」
「でも、スレイはいい子なの! 力持ちだし速いし、ごはんだっていっぱい食べるし! お父様だってヴィオレッタたちだって、超一流の軍馬だって言ってわ! 軍馬なら気難しさは長所よ! だって、主人以外に仕えないんだから!」
「ヒルダ! スレイが居るのって農場よ。騎士団の厩舎じゃないの!」
どんどんヒルダが巨大馬を擁護する方向性がズレてゆく。
それはまるで幼女が番犬にもならない役立たずの図体ばかりでかいペットの犬を庇っているような様相を呈し始めていた。
「あんたの言うことしか聞かないんじゃ、駄馬だっていうのよ!」
「んだとこら! このトンカチ猫、しゃみせんにすっぞ!」
「できるもんならしてみろ! この引きこもりの洗濯板エルフ! 略してヒキ板エルフだ!」
「ワタシは、洗濯板でも引きこもりでもありません! 事務仕事が忙しくて事務所から出られないんです! それにちゃんと出るべきところは出っ張ってますから!」
「へー! その割りに、最近よく畑で見かけるけど? 納品出張に出ることだってほとんどなかったのに、ここんところ参加率が急上昇なんですけど!」
「そ、それはッ! べ、べつにッ! うるさい、うるさい、うるさいこのトンカチ猫! あんたをそんな屁理屈捏ねに育てた覚えはないわよ!」
「あたしだってヒルダに育てられた覚えないよ!」
「あ"? やんのかごるあ! しゃみせんにすっぞ!」
「誰が誰に喧嘩売ってんだこのヒキ板エルフ!」
互いのおでこがくっつくくらいに顔を近づけてメンチを切り合い、ヒルダとエカテリーナの言い合いが激化してゆく。
「ふむ、ヴラールか……」
(ヴラールってたしか、大陸の東の果てにある大山脈だったよな。その向こう側のことは神々でさえ知らないなっていう……)
ヒルダとエカテリーナの口喧嘩をバックグラウンドに、巨大馬スレイを馬車に繋ぐラオールを手伝いながら、五郎はこちらの世界に来た当日に大地母神ルーティエに聞いたことを思い出していた。
(確か、ヒルダさんのお父さんたちが麓と五合目辺りに村を作って登頂をうかがってるとか言ってたっけ)
大陸の東の果てで世界を分断しているというヴラール大盾山脈を思い、東の空をぼんやりと眺める五郎。
そんな五郎をよそに、ダークエルフ少女ヒルダと虎人族の少女エカテリーナがきゃあきゃあと言い争いを続けている。
「ゃんやぁ……ヒルダさどカーチャだばまんだ、やってらでゃ…いいかげにすてくねがねぇ……ひがくれでまるじゃあ」
(あーあ、ヒルダさんとカーチャってばまだやってるよぅ…いい加減にしてくれないかなぁ……日が暮れちゃうよ)
轅に接続した軛をスレイにつなぎ終え、馭者席に上がろうと梯子を登りかけていた狼人族の少年ラオールは、今や単なる罵り合いになっていたヒルダとエカテリーナの言い争いに呆れてため息をつく。
「ヒルダさ! カーチャ! いい加減にすろじゃ! へぐ門くぐてまねば日ぐれでまるど! 倉庫さはごぶのあんだたづだげでやってもらるすけな」
(ヒルダさん! カーチャ! いい加減にしてよ! 早く門くぐらないと日が暮れちゃうよ! 倉庫に運ぶのあんたたちだけでやってもらうからね!
「んなッ!」
「そりゃねーだろ! そもそも……ッ!」
ラオールに反駁しようとしたカーチャとヒルダだったが、ラオールの横でにっこりと微笑んでいる五郎に視線を合わせるや、言葉と息を呑み込んで押し黙った。
「カーチャさん、ヒルダさん、続きは街に入ってからにしましょうか」
「は、はい、そうですねゴローさん」
「あ、ああ、ああ、そうだなヒルダ、また後でな」
表情を引きつらせてヒルダとエカテリーナが馬車に乗り込むと、ラオールは御者台に、そして、五郎もまた車上の人となる。
「はいッ、スレイ」
「ぶるるるッ、ヒヒヒィン!」
ラオールの掛け声とともに、スレイがいなないて、皆を乗せた馬車が走り出した。
「な、なあ、ヒルダぁ、時々ゴローさんってものすごくおっかないときあるよなぁ、今みたいにさぁ」
「う、うん、ニコニコしてるんだけど、逆らえない雰囲気を纏う時がある。滅多に無いけど……」
「こういうときのゴローさんって、将軍みてーだよな」
「うんうん、ワタシ、お父様のお友達で似たような方知ってる」
「ああ、あいつかぁ……」
「うん、不敗将軍ロンメル……」
馬車に揺られながらヒルダとエカテリーナは、吟遊詩人に不敗神話とともに語られる王国の伝説的な将軍を思い出す。
そうして、巨大馬スレイが牽く荷馬車は満載した農場の産品とともに、南方辺境領都ラジェーヴォの白亜の城壁へと近づいてゆくのだった。
毎度ご愛読誠にありがとうございます