第13話 朝靄の街道
「よっ! はっ! ぬおっ!」
「その調子ですゴローさん! 上手ですよ!」
白い息が朝日を乱反射する早朝の街道に、おっさんの頓狂な掛け声と、稚さが残る高音域の少女の声援が響く。
ヴァルトブリーゼ農場から南方辺境伯領の領都ラジェーヴォの街への納品の旅の途上、夜明けとともに五郎たちは野営地を後にした。
日が高くなって街道を往く人が増えないうちに、五郎がこちらの世界に持ち込んだ軍用車両の路上教習を行うためだった。
すでに、ヒルダとカーチャは教習を全くの減点無く終え、今は狼人少年ラオールの順番だった。
そして、五郎はというとラオールが運転する米軍制式採用の戦闘用全地形対応車と並走している超大型の重種馬上にあった。
「……っははは、ありがとうございますヒルダさん、なんとか形になってきましたでしょうか?」
「ええ、ひと月前に比べたら、雲泥の差? っていいましたっけ? ものすごく進歩してると思いますよゴローさん」
「ん、確かに振り落とされなくなっただけマシになったね。でも、まだまだこれじゃ乗ってるっていえないねぇ、載せられてる荷物だね。それも、そばでヒルダがスレイに言い聞かせてるからだし。ヒルダがいなかったら、とてもとても載せられていることもできないだろうね!」
2つの季節を過ごし、この世界での暮らしに馴染みつつある五郎だったが、今だに慣れないものもいくつかあった。
その一つが馬や馬車での移動だった。
有史以来、この世界には何人もの五郎が元いた世界の住人が、あるいは神に招かれ、あるいは神以外の何者かの召喚術によりこの世界を訪れていた。
が、しかし、自動車はおろか、自転車すらも未だに実用化されてはいない。
蒸気機関すら発明されておらず、機械文明は曙すら迎えていなかった。
そんな世界だから、人間が移動したり輸送したりするする手段として牛馬が牽く車両や乗馬は欠かせなかった。
が、機械文明に生まれたときからどっぷりと浸かっていた五郎にとって、馬車牛車は遠い歴史世界の乗り物だったし、乗馬はお金持ちの趣味スポーツ、もしくは観光牧場で子供がポニーで体験乗馬するものといった認識でしかなかった。
農畜産業においても、牛馬は農家や牧場で飼われ、乳やその加工品に、畜肉を得るものであり、乗用や田畑を耕すのはあくまでも機械であった。
だから、彼の生活に馬や馬車に搭乗する日が来るなんて思ってもいなかった。
「ははははッ、手厳しいなカーチャさんは……うおッ! とはぁッ! なんとッ!」
超大型の重種馬の背中で荷物のように載せられている五郎が何をしているのか……。
とてもそうは見えないが、それは乗馬の訓練だった。
「大丈夫、ゴローさんイケてますから!」
「ダメダメ、ゴローさんしっかり膝締めて! そんなんじゃまた振り落とされちゃうよ!」
ゴローの乗馬技術の向上を褒めるダークエルフ少女ヒルダの背後から、ゴローの乗馬は殆ど上達していないと打ち消しを入れる虎人少女カーチャ。
じつに息の合った飴と鞭だ。
「カーチャ! ゴローさんは確実にスレイに乗れるようになってるわ!」
「はいはい、あたしにゃ、ゴローさんはスレイに積んだ麦袋にしか見えないけど。ヒルダの目には近衛の重装騎士様に見えるみたいだねぇ」
「んなッ! このトンカチ猫! 言うに事欠いてゴローさんのことを麦袋だぁ!?」
「トンカチ猫だと? この洗濯板エルフ! やんのかぐるぁ!」
「いやぁ、ほんとに仲良しですねぇ、お二人は」
「「いや、全ッ然仲良し」」
「じゃないですから!」
「なんかじゃねえ!」
「あはははッ! ほらぁ、息ぴったりですよ」
「ぅむうううッ」
「ぬぐぐぐぐッ」
五郎の乗馬指導をしているはずがいつの間にか口喧嘩に宗旨が変化していた。
そして、それは結婚はおろか子供をもうけることもなかった五郎にとって、仲良し姉妹の口喧嘩を見守る父親の感覚を擬似的に体験させるものだった。
ヒルダとエカテリーナの疑似姉妹喧嘩に微笑みながら、五郎は人気のない早朝の街道を馬上の高い視点から見回し、澄んだ冷たい空気で肺を満たした。
「それにしてもほんっとに高いですねこの子の上は! 毎度のことながら、高所恐怖じゃなくてよかったと思いますよ」
五郎を応援するダークエルフ少女ヒルダと、虎人少女カーチャもまた、五郎が載せられている巨大馬と並走するラオール運転の米軍制式採用の戦闘用全地形対応車上にあった。
ふたりとも、座席の上に立ち上がり、屋根代わりに車体上部を覆っているロールケージという太く頑丈な鉄パイプのフレームに体を預けている。
当初、座席に土足で上がるのはお行儀が悪いとヒルダは抵抗を示したのだが、座席に立たなければ長時間並走しながら巨大馬スレイに指示を出すのは難しいことから、あえて五郎が頼み込んでそうしてもらっていたのだった。
「ぅふふふッ、スレイはウチの馬の中で一番大きくて、力持ちで速いですからね」
「ええ、本当に大きいですねスレイは」
並走と言っても速度は出ていない。せいぜい並足で時速6キロ……人間が軽く駆け足する程度の速さだ。
そんな超低速で車を馬と並走させるラオールの運転技術の向上度合いも称賛されるべきだろう。
一方、ヒルダとカーチャの運転技術もまた、ラオール同様にAT車に限っては元の世界でも免許が交付されるレベルであることは言うまでもない。
「この子のおかげで直営店への納品が迅速かつ大量にできてるんです」
「ああ、スレイの引く馬車……今ゴローさんのマジックバッグに入ってるやつだけど、普通の馬なら4頭で引くやつだからな」
スレイという名のその重種の馬は、体高2メートルを軽く超え、体重も1以上トンはあろうかという超巨大馬だ。
その本来の馬力は普通の馬4頭分は軽く超えているのだろうと五郎は思っていた。
(いやぁ、スレイって、世紀末覇者が乗ってたあの馬や、戦国末期の傾奇者が乗ってたあの馬みたいだしねぇ……ああ、あの本も、持ってきてたっけかな)
「のわッ! っとおおおおッ! ほぁあああッ!」
元の世界で愛読していた劇画を思い出し、意識をスレイからほんの少しだけ逸した五郎の隙を突くように、巨大馬スレイが微かに身を揺らした。
だが、巨大馬の背は、微かな身震いでも振り落とされそうなくらいの大揺れになっていたのだった。
「わあぁ、ゴローさんすごいですよ。普通なら今ので落っこちてます! どっかの骨折ってます! 下手したら死んでますよ!」
「キャハハハ思い出すねぇ、ゴローさんが初めてスレイに跨ったときのこと」
五郎も初めてスレイに跨ったときのこと思い出していた。
(あのときは鞍に跨った途端に世界が回ったもんなぁ。五接地転回法が身についててよかったよ)
スレイにしてみれば、後ろ足で軽く地面を叩いた程度だったが、その上に乗った五郎にとってはロケットブースターが付いた椅子に腰掛けたようなものだった。
「スレイに振り落とされて、無傷だった人、ワタシ知りませんよ」
「ん、それは確かにな! あたしもびっくりしたよ。ゴローさんが初めてスレイに跨ったとき……、スレイが跳ねてゴローさんってっば随分遠くに跳ね飛ばされてたのにさぁ、けろりとして戻ってくるんだもの!」
「いやあ、あれはですね、ちょっとした着地方法を覚えていれば、誰でもできることなんですよ」
自衛隊は無論のこと、各国の軍隊の落下傘部隊で真っ先に教育される着地法を、五郎はヒルダたちに解説する。
「五接地転回法とといいまして、そうですね一種の受け身と思っていただければいいと思います」
「受け身ってえと、騎士や戦士が、組打ちとかで投げられたときに、わざと転がるようにしてダメージを和らげるあの技のことかいゴローさん」
興味をそそられたように虎人少女が瞳を輝かせる。
「ええ、そう言っていいと思います」
それは、五点着地ともいわれ、陸上自衛隊の落下傘部隊を始めとする各国空挺部隊や、スカイダイビング、パルクールとかのスポーツなど、高所から飛び降りる行為を行う者が必修とされる着地法である。
幼女に異世界転生した首切り役人的エリートサラリーマンが、生前に読んでいた格闘漫画にも登場したもので、完璧に習得すれば、三階の窓からコンクリートの地面に落ちても無傷でいられるという眉唾にも思えるが、実際に確実に効果のある着地法だ。
普通に生活する人間には全く必要のない知識技術だが、五郎のような筋金入りのミリタリーオタクの中にはコレクションの戦闘服や制服の空挺章や潜水章をただの飾りにしたくなくて、スカイダイビングやスクーバダイビングに手を出すものが少なからずいる。
五郎もまた、高校生の頃にこの着地法をマニア雑誌の空挺部隊特集の記事で知り、夜中の公園のベンチから飛び降りて練習していたものだった。
(ときどき、近くの住人に通報されて職質されたっけな)
黒歴史を思い出し苦笑する五郎。
「どうしたんですかゴローさん? 変な顔してます」
「その顔は、恥ずかしいことを思い出したときの顔だな」
「ははは、ご明察です。カーチャさん」
米軍制式採用の戦闘用全地形対応車の助手席に立ち上がり、ロールバーに体を預けているダークエルフ少女ヒルダが地上高3メートルほどにある五郎の顔を見上げて微笑む。
そして、後部座席ではヒルダ同様に座席に立ち、上部ロールバーに寄りかかって馬上の五郎を見上げている虎人少女のエカテリーナが牙のように大きな犬歯を見せていた。
「でもさぁ、ゴローさんっていい度胸してるよなぁ。あたしならスレイに乗ろうなんて思わないよ、な、ラオールもそう思うだろ」
「わがね! カーチャ、はなすかげな! くがつるすけ!」
(だめ! カーチャ、話しかけんな! 気が散るから!)
運転席のラオールに話しかけたエカテリーナに、前傾姿勢でハンドルを握るラオールが応える。
五郎からその表情は見て取れないが、きっと┃かなり真剣なもの《テンパってる》であろうことは容易く予想できた。
自動車でこのような超低速で走らせるのは、実はかなり難しい。
馬の並足に合わせて、エンストさせずに走らせるなんてかなり高度なアクセルワークが必要とされる。
(マラソンの中継者よりもかなり遅いもんなぁ)
そんな事を考えていると再び巨大馬スレイが軽く後ろ足で地面を蹴る。
まるで、『俺様の背で他人の心配たぁ、いい度胸してんじゃねぇか貴様』と言われているようだった。
「ぬほぁッ! はぁッ! ぬあぁッ!」
巨大馬の上で必死でバランスを保とうとする五郎の掛け声が、朝靄の無人の街道に木霊する。
「ゴローさん、ワタシが言うのもなんですけれど、ゴローさんなら、スレイ以外の子なら、もっと上手に乗れると思うんですけど」
「はは、たしかにそう思ったこともあるんですけどね」
スレイの背で必死にバランスを取りながらヒルダに応える五郎。
「スレイに初めて跨った後、こりゃいかんと思って他の子に乗せてもらおうと思ったんですけど……」
「ああ、そうでした、なぜだか他の子たちものすごく嫌がったんでしたよね」
「そうだ、そうだ、他の馬たち、ゴローさんが乗ろうとすると飛び上がって逃げ出したっけ」
スレイから落馬した後、他の馬で練習しようと思った五郎だったが、五郎が近寄るとなぜだか馬たちは恐慌状態になって、鞍を乗せるどころの騒ぎではなくなったのだった。
それ以来、五郎の乗馬の練習はヒルダがつきっきりでスレイで行ってきたのだった。
「まあ、スレイはウチの馬の中でも一番気難しい子だから、それを差し引いたら、かなりいい線いってると思いますよゴローさん。他の子ならだいぶ乗れるようになっていると思います」
「でもなぁ他の馬がゴローさんのこと断固拒否してっからなぁ」
乗馬の練度が上がっていないことをフォローしようとしているのがみえみえのヒルダの言葉が、ザクザクと胸に刺さりカーチャの言葉が追い打ちをかける。
しかも、五郎が乗ろうとした馬は農場でも一番大きくて馬力があるが、一番気難しくヒルダ以外には誰も乗れないという馬だったことで、五郎の選択眼のなさを露呈することとなった。
しかも、なぜだか他の馬たちには鞍を乗せることやブラッシングさえも断固拒否されるようになってしまうというオマケまで付いて、五郎はすっかりと面目を失っていたのだった。
(せっかく馬がいるんだから、乗れるようになっておくにこしたことはないからな。できうることは何でもやっとかないとね……って、思うんだけどなぁ)
と、いう一種の貧乏性とも言うべき性癖を幼児期から備えていた五郎は、車両の操縦教習をヒルダたちに施すのと交換条件で騎乗の訓練を受けるということを申し出ていたのだった。
農場で、主業務や農作業の手伝いの合間、そして、今回のような近隣の街の農場直営売店への納品の旅の道行きで、ヒルダたちから騎馬及び馭者の訓練を受けていたのだった。
が、ヒルダたちが海綿のように車両操縦技術を吸収していったのに比べ、五郎の乗馬の練度は決して上達しているとはいえたものではなかった。
(馬に乗れるようになろうなんて思ってたのが間違いだったのかなぁ。農場でならバイクや車で移動できるからいいんだけど……)
内蔵をあらゆる方向にシェイクされながら、五郎は激しい後悔に苛まれていた。
「まあ、わかるんだよね、スレイはうちの農場で一番立派な子だからさ、見栄張って乗りたくなるの。でも、こいつを乗りこなしたのって食爵様(ヒルダの親父さん)と、お供のSSS級冒険者のふたりだけだけだったよな」
「ぅっわ、カーチャだば、ヒルダさがせっかぐゴロさば慰めだのわがねぐしてまたじゃぃやぁ」
(ぅっわ、カーチャったらヒルダさんがせっかくゴローさんのこと慰めたのに台無しにしちゃったよぅ)
それまで全地形対応車の操縦に全神経を傾け、黙っていた狼人少年ラオールがたまらずツッコミを入れてしまった。
「カーチャ!」
ヒルダも小声で短く叫びエカテリーナを嗜める。
「なんだよう、だって、ほんとのことだろ! いまだって、ヒルダがスレイに言い聞かせてっからゴローさん落っこちないで済んでるんじゃないかぁ。たしかにさ、スレイから落っこちで無傷だったのはすごいとおもうけどさぁ」
「は、はははは……たしかに、ヒルダさんがスレイに言い聞かせてくれてるからですもんね、私が乗っかっていられるのって……」
エカテリーナとラオールに止めの一撃をもらい、五郎は力なく笑いながら初めて農場でスレイに乗ったときのことを五郎は再び思い出していた。
馬場で鞍をつけたスレイに跨った数秒後、五郎は軽く10メートルは離れた地面に転がっていた。
あっという間にスレイの背から振り落とされていたのだった。
2メートル以上の高さから10メートル以上も飛行して地面に落っこちても無傷だったのは、高校生の頃に反射的に行えるくらいにまで身につけた五接地転回法のおかげだった。
さらに、そのときヒルダが風魔法で五郎の落下速度を緩和していたことも五郎が無傷でいられた原因の一つである。
このとき激怒したヒルダに餌抜きの罰を受けたスレイは、ヒルダがいるところでなら五郎を積んで歩くことはしてくれるようになった。
が、それを騎乗の訓練と言うには塩を砂糖というくらいの欺瞞が必要だった。
「うおッ! とはぁッ! なんとッ!」
それでも五郎は巨大馬スレイに乗ることを諦めてはいなかった。
他の馬なら乗れるようになっているだろうというのも理解できていた。
が、それ以前に他の馬たちは乗せてくれない。
(漢なら世紀末覇者や前田さんみたいにでっかくて獰猛な馬をカッコよく乗りこなしてみたいもんさ。それが、目の前にいるんだから挑戦するだろ……まぁ、それだけでもないけど)
青年時代に愛読していた世紀末救世主的な漫画や、戦国末期の武将を描いた漫画に登場する圧倒的強者に憧れていた(当時の青少年でそういった黒歴史を持っている男子は少なくない)五郎にとって巨大な馬に乗るのは夢の一つだった。
だから、スレイを乗りこなすようになることを諦められなかった。
(俺ってガキの頃から諦めだけは悪かったんだよな)
「よっ! はっ! とはぁッ!」
「ゴローさんがんばれぇッ!」
「あははは、いいぞゴローさん、その調子だ!」
巨大馬が地を踏みしめる重低音の蹄の音と戦闘車両の軽快なエンジン音の合いの手に、五郎の頓狂な掛け声と、少女たちの笑い声が朝靄にけぶる往く人のない街道で奇妙なハーモニーを奏でていた。
20/01/22
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