第10話 ヒルダさん私は健在です!
「いわゆる、ギフトもしくはチートと呼ばれるものですか……」
愛用の湯呑を両手で抱え持ち五郎は茶柱を眺めていた。
それは、五郎が元の世界でよく見ていた異世界もののアニメや、漫画、ラノベにつきものの主人公補正のことだった。
まさかそんなものの恩恵に自分がよくすることになろうとは、夢見ていたことはあれど実現などするものではないと思っていた。
「ああ、そうだね。今回、こちらの世界に来てもらうにあたって、我が与えたものだよ。もともとはね、いきなりこんな世界に連れてこられたらすぐに死んじゃうかもってことで我らの加護をちょっと多めに与えたのが始まりだったんだ」
心地よいアルトの声が五郎の鼓膜を優しく揺らす。
五郎の呟きに答えたのは、五郎の対面で元の世界から持ち込んだ質素なリビングセットのソファーに体を預け、この家の主であるかのようにリラックスしている赤毛の美女だった。
コレクション類とは違って、家具調度の類は、元の世界のマンションに据え付けていたように配置されていたのだった。
(そういえば、広くなっただけで、間取りとか元のマンションにそっくりなんだよなぁ。しかし……、このかたが……なあ……びっくりだ)
目の前でくつろいでいる採用担当だった美女をちらりと見て五郎は湯飲みに口をつける。
彼女は五郎を異世界農園に採用し、こちらの世界に連れてきた、エーティル・レアシオ・オグ・メ女史だった。
五郎を面接した時のスーツ姿とは打って変わって、小ざっぱりとした中世ヨーロッパの村娘といった装いだ。
ちなみに五郎の住居は土足禁止なので靴は履いていない。
「はあ、本当においしいねぇ、このお茶は」
エーティル・レアシオ・オグ・メ女史は緑茶の香気にうっとりと目を細めてほほ笑んだ。
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「狩人さん、シカの解体とかはみんなでやるから、家に戻るといいよ。きっとヒルダが心配してっから!」
自分が巨大なシカとカラスのモンスターを玩具の銃で倒したことを納得しきれずに、銃と巨大シカを呆然とした表情で交互に見比べている五郎の背中をペチンと叩いたのは猫耳っぽい耳の少女だった。
シカの周りに集まってきた農場の人々は、巨大シカを倒した五郎を口々に褒め讃えている。
五郎にはそれが、別世界の出来事をテレビで見ているように感じられていた。
声や映像が、薄い膜越しに見えているように聞こえているように感じられていた。
それは、自分の身に起きたことへの少なからぬショックに対する心の防御反応だった。
「あ、来た来たこっちこっち!」
猫耳少女が大きく手を振る。
少女が手を振った先から、大型の荷馬車がゆっくりと近づいてきた。
「ゴローさぁん! ご無事ですかぁ!」
荷馬車からヒルダの明るい声が聞こえた来た。
瞬間、様々な音声や映像が実態を持ったように現実感を帯びて目や耳から飛び込んできた。
一気に視界が開け、音の聞こえがよくなったような感覚に襲われる。
「ゴローさぁん!」
ヒルダの呼びかけに、五郎はノロノロと右手を上げる。
「はい、ヒルダさん私は健在です!」
そう答えて五郎は年甲斐もなく微笑んだ。
微笑んで、すぐ、自分の笑顔を想像してその気持ち悪さと恥ずかしさに背中がゾクリと泡立つのを抑えられなかった。
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「やあやあ、さっそくのお手柄だね、まずは重畳!」
ヒルダに連れられて、五郎に与えられたこちらの世界の住居に戻ってきた五郎を家の前で迎えたのは、五郎を面接して採用し、こちらの世界に連れてきた……と、五郎は思っている……エーティル・レアシオ・オグ・メ女史だった。
「ああ、ルーティエさん! いらしてんですか。はい、何が何だかわかりませんが、大きなシカのモンスターをこれでやっつけることができました」
五郎は巨大シカグランアングーラを倒したエアソフトガンを掲げ、エーティル・レアシオ・オグ・メ女史に会釈する。
面接会場でそう呼ぶように言われた愛称で呼びかけた。
「ふふふ、我が来たのはその何が何だかの部分を説明するためだよ。ちょっと、いいかな?」
エーティル・レアシオ・オグ・メ女史は、掌で五郎の新居のドアを指し示す。
「あ、はい。まだ片付いていませんが、お茶はお出しできるかと……」
そこまで言った五郎は、ヒルダの気配が変化していることに気が付いた。
「ヒルダさん?」
振り返ると、ヒルダは両膝を地面について、手をつき深く頭を垂れていた。
「異界からの招かれ人、サイトーゴロー様をお迎えしためでたきこの日、大地の女神ルーティエ様のご降臨にヴァルトブリーゼのエルフの族長たるこの身、ブリュンヒルデ・ミェリキ感激に堪えませぬ、大地の女神よ、この穢れたるこの身が御前に在ることをどうかお許しください」
ダークエルフの少女ヒルダが声を震わせて、五郎の目の前に芍薬のように佇む蒼眼赤毛の美女に土下座をしているのだった。
「な、ヒルダさん? え? 大地の女神様?」
「ああ、五郎君申し遅れた。我は真の名をルーティエという。愛称だといったのが真名だ。そして、大地の女神とか大地母神とか言われているものだ。ヒルダだが、これは仕方ないんだ。この娘の出自がね我にこうした態度をとらせてしまうんだよ。もうかれこれ三百年もこうだからねえ……」
そういって、エーティル・レアシオ・オグ・メ女史こと、大地の女神ルーティエが微笑みながらため息をついた。
このとき五郎は少女だとばかり思っていたヒルダが、最低でも300歳だということに少なからぬ衝撃を受けていた。
「シルッカ・ミェリキの娘にしてヴァルトブリーゼのエルフの長ブリュンヒルデよ、ここに在ることを許すします。面を上げなさい。……で、さぁ、ヒルダいい加減にもっと、こう、フランクになれないのかなぁ。君の父上のようにさぁ。これでも我、ここの部族の氏神のひとりなんだからさ」
「ち、父はいい加減が過ぎます。この身のふりこそ、神のご降臨に際した人の子の正しいふりでございます」
大地の女神は、小さく肩を竦め、愛おしむような視線をヒルダに向ける。
だが、ヒルダはただただ女神ルーティエに平伏し続けるのだった。
「はあ、仕様がない。ゴロー君、お家に招いてくれるかい」
「あ、はいっ! 喜んで女神様ッ! でも……」
五郎は平伏し続けるヒルダに視線を落とす。
そんな五郎を見てルーティエがヒルダに呼びかける。
「ヒルダ、愛しいヴァルトブリーゼの娘よ。我は、少し五郎君と話がしたい。この後グランアングーラで五郎君の歓迎会をするのだろう? 美味しい料理で五郎君を歓待してほしい。お前の父直伝の料理で、ね」
「はい、かしこまりましてございます」
「では、皆のところに行きなさい」
「はい、大地の恵みに感謝を!」
そう叫んでヒルダはウサギが猟師から逃げるような速さでその場から立ち去って行ったのだった。
「ああ、すまない五郎君……」
「ええ、では、どうぞルーティエ様。粗茶なりと進ぜさせていただければと存じます」
「はあ……、君まで……頼むから平易に接してくれまいか?」
「はい、お望みのままに」
五郎はドアノブに手をかけ、ルーティエに向かって口角をかすかに上げる。
「さあ、どうぞ、お入りください」
※※※※※
「ああ、このお茶美味しいなぁ、我が欲しいのはこの香りと味なんだがなぁ、むつかしいなぁ」
蒼い瞳がちの目を伏せ、大地の女神とも大地母神とも呼ばれる女神ルーティエは湯呑から香り立つお茶の香気を楽しんでいた。
「こちらには緑茶…無いんですか……? 私、好きなんですが」
「ただ今絶賛開発中ってとこだねぇ……かれこれ二百年にもなるかなぁ」
「では、私の手持ちがなくなったら、とりあえずは終了なんですねぇ」
「うーん……、どうにもねえ、今、この世界で流通しているお茶と作り方が根本的に違うみたいなんだよねぇ。食べ物のことを担任することになった新人の神……まだ、亜神っていう人間と神の中間なんだけどね……その子が、作り方を模索してるんだけどねぇ……」
元の世界では終ぞ味わったことのない、まったりとした空気が五郎の新居リビングルームに満ちていた。
(しかし、俺の家財道具一切を持ってこれたのに、たかだか緑茶の作り方がわからないなんて……なあ)
「いやあ、それが、君の世界の神々との約定だからねぇ。物自体は、招き人……君のように、あっちの世界からこちらに我らが招いた人間のことなんだが……それに付随したモノならむこうの神々との協議の上、こちらの世界の均衡を崩さない程度なら持って来てもいいというのが君んとこの神々との約束なんだ」
五郎は瞬間湯沸かし器のように顔が熱くなるのを自覚した。
「ああ、すまない。こう見えて我、神だからね。大地母神なんてモノを拝命してるからねぇ、君の考えていることわかっちゃうんだ。いや、申し訳ない。神という立場上、我を信仰してくれている者の声が常に聞こえるようにしてあるんだ」
(まるで、ラーメン屋のラジオだな)
「おおぅ、それだよ、まさにそれ。勝手に聞こえてくるんだ。だからあまり気にしないでくれ」
「い、いえ、その……失礼しました」
(って、ラーメン屋のラジオで通じるのかよ)
五郎はしどろもどろに応える。流石に考えていることがすべて筒抜けなのが気恥ずかしかった。
「君と君の家財道具程度なら、こちらに持ち込んでも大丈夫だろうっていうのが……我々の判断なんだ。まあ、君自身と、君が許可し我が認めた者以外が使えないように、君の元の世界で言うところのスクランブルをかけてあるけどね。つまり、こちらの都合で欲しくなったものをあちらの世界からホイホイとは持って来れないんだ。まあ、招き人の『知識』は、別だけどねぇ」
「あ、あのう……私が、それらを使ってこの世界を乱すということは、お考えにならなかったのでしょうか?」
「してみるかい? そうだね、この世界に覇を唱えることもできるだろうね」
言ってみて、五郎はすぐに前言を否定する。
「……いえ、人に恨まれるのは嫌ですし、己の身の丈を超えた欲でいろんなものを巻き込んで他人を不幸にするのは目に見えてるんで遠慮しておきます」
「そうそう、そんな君だから。我らはこの世界に君を招いたのだよ」
再び緑茶をひと啜りして蒼眼赤毛の小麦色の肌をした大地母神ルーティエは健康的で愛らしい笑顔を五郎に向けたのだった。
毎度ご愛読誠にありがとうございます。
次回もう少し詳しく五郎に与えられた加護についてのお話です。