第九話 彼女の事情(前編)
怖いものは怖い。
暗いところとか。見えない場所とか。よく分からない現象とか。
要するに、分からないものは何となく怖いのだ。
真っ暗だと何が居るのか分からない。後ろに誰か居ても見えない。例えば突然足とかが切れたら意味が分からなくて、やっぱり怖い。
じゃあ、どうすれば良いのかというと、分からないなら、分かるようにすればいいのだ。
真っ暗でも何か居るって決めつければ、警戒出来る。
後ろに誰か居るって決めつければ、対応出来る。
突然足が切れたのなら、透明な生き物が刃物を持ってたって決めつければ、意味も分かる。
大切なのは真実では無く、心の平穏だ。本当の事なんてどうせ分からないんだから、こっちから決めつければいいのだ。簡単なことだ。ああ、落ち着いた。
ところが、誤算があった。決めつけたら本当になってしまったのだ。
真っ暗な場所に物の怪が居るってみんなで噂していたら、ある日、本当に出てきた。
後ろに誰か居るって噂していたら、振り向いたら本当に物の怪が居た。
透明な生き物を想像して噂していたら、本当にそんな生き物に出会った。
亡くなった誰かに会いたいと願い続けたら、ソレは枕元に化けて出た。
死してなお、強く残った思いは、形となって生者を襲った。
そういった現象をなんて呼ぶのかは、それこそ分からなかったが、そうやって悪霊とか妖怪とかと呼ばれる存在は誕生した。
人の悪き隣人として。
***
何の変哲も無いその町に、何の変哲も無いそこそこ大きな一軒家があった。
そこは永いこと空き家だったのだが、一般的な住宅街の真ん中だったので、空き家であることでそれなりに目立っていた。
目立つという事は、異端だという事だ。つまりよく知らないって事で、それは怖いって事だ。さすがに大昔ほど、人は知らないことを恐怖しない。空き家になる理由なんて幾つでもある。でもだからこそ、いろいろ考えてしまうのも仕方がないのだ。
その切っ掛けがなんだったのかは今となっては分からない。
誰かが言った。「あの窓に人影が映った」
別の誰かが言った。「人影がこっちを見た」
他の誰かも言った。「あの人影が自分を見た」
こんな事まで誰かが言い出した。「あの人影は綺麗な女性なんじゃないか?」
まあ、昔から幽霊とか妖怪とか女性が多かった。恐怖を克服するために誕生したのに、ムキムキのマッチョじゃ勝てる気がしない。
振り向いて女性の妖怪なら、不気味とか気味が悪いとかの感想になるけど、ムキムキマッチョだと、例え人間でも怖いからね。
そんなわけで、色々な噂が集まり形になって、窓から覗く霊はその空き家に誕生した。訳ではない。
窓霊の誕生はかなり古い。
空き家の窓に人影が見えて、それがこっちを見てるとか、平安の昔からよくある怪談話の内の一つでしかない。
障子に人影が映ったのに、開けても誰も居ない。灯籠が映し出す影が一つ多い。夜道の提灯が居ないはずの人影を照らした。などなど事欠かない。
そう言った怪談は、単純に見えない事への恐怖から来る為、無くなることがなかった。時代と共に形を変えて存在し続けたのだ。だって見えない場所とか何時の時代でも怖いじゃん。
窓霊は、そんな怪談や噂から誕生した「見えない場所にいる何か」の代表だ。固有名詞を持たないのは、固有の現象ではないからだ。
例えば、固有の現象とは、突然足に切り傷が出来てしまい、その原因が不明な場合などを言う。人々は透明な物の怪──カマイタチ──を作り出し、その現象の原因に仕立て上げた。
彼女は他の悪霊達からも一目置かれていた。昔から存在し、絶対に消えることのない噂を土台にした悪霊として。
何の変哲も無い一軒家に窓霊が現れたのは、噂の内容が彼女の存在理由に合致したためだ。そしてそんな噂はどこにでもあり、窓霊はどこにでも居る。
ところで、このままだと家が本体だという話と噛み合わない様に思える。
窓霊は幾つかの噂や想像から生まれた悪霊だが、その幾つかある噂の内、さらに幾つかの噂は、別個の怪談や物語として細分化され、固有の妖怪や悪霊を誕生させた。その為なのか、覗いてくる妖怪や悪霊はかなり多い。もう常に見張られている勢いだったりするのだ。
暗闇は明かりに照らされ、文化の発展は怪談に彩りを与えていく。
そうやって生まれた妖怪は、窓霊の噂の中から独立していく。そして残った噂や怪談などが屋内を舞台にしたもので大半を占めた為、窓霊は屋内限定の存在となり、それ以上の細分化を嫌って家を本体として、人々の生活圏に密着することで落ち着いたのだ。
怪談に限らず、物語の細分化は他でもよく見られる。現在では独立した物語でも、遡っていくと別の物語の一部分だったりすることも珍しくない。かの有名な四谷怪談だって、元は忠臣蔵の一場面なのだ。ビックリですよ。
そんなこんなで窓霊は重鎮扱いなのだが、当の本人は日々をのんびり暮らすことに充実している隠居老人状態だ。
上記でもあるように、人々に積極的に害を与える悪霊では無いのでそんな生活も有りだったのかもしれないが、人間側には、また違う思惑が有る。実害が無くても悪霊は人間の恐怖の象徴にして、具現化された脅威なのだ。実際に暴れすぎた妖怪や悪霊も少なくない。人間側にも事情があり、それが今回ついに窓霊に対して牙を向くことになる。
***
ここは窓霊宅リビング。最近は何かあるとみんなここに集まるようになってしまい、賑やかな事が割と好きなおコトは喜び、一人が好きなフリをしつつ寂しがりやな窓霊も喜んでいた。ごはんは食べないくせに、キッチンの戸棚にはかなりの種類の飲み物と茶菓子が常備してある。冷蔵庫の中も同様で、自宅を改造した喫茶店とか開けそうなぐらいの凝りようだった。
そのリビングには現在、おコト、花子、口裂け女脱獄囚、メリー人形、テケテケが集まっている。しかし、皆の表情は一様に暗い。テーブルにはそれぞれの好みの飲み物が用意されているのだが、手を付けているのは花子だけだ。
何故皆が集まり、そして重い雰囲気が漂っているのかというと、それは今朝まで遡る。
おコトは今朝もいつも通りに窓霊を起こし、起こされた窓霊と二人でリビングでお茶を楽しんでいた。
事ある毎にお茶、お茶、お茶である。胃に負担が有る訳でも無く、トイレが近くなる訳でも無い。香りと味を楽しんでいるだけなので、飲み物というよりかはガム感覚で楽しんでいた。
窓霊の不労所得により、窓霊の好きな紅茶も、おコトの好きな日本茶もかなりの茶葉を常備していて、おいしい飲み方の探究などが楽しいらしい。最近ではイギリスのその手の協会と連絡を取り合っているとかで、もはや窓霊がどんな悪霊なのか本人ですら忘れかけているぐらいだった。平和なのは良いことだ。
もちろんおコトも、そしておそらく窓霊もそんな平穏な日々が続くと信じて疑わなかったのだが、その日訪れたある来客によって、平穏な日常に大きな亀裂が入ることになる。
「ん? 珍しいお客ね」
リビングでのんびり読書をしていた窓霊は、唐突に本へ落としていた視線を上げた。向かいのソファーに座ってテレビを見ていたおコトが、その窓霊の独り言に反応して口を開こうとしたが、声が出るより早く室内にインターホンの音が響く。
「私が行くわ」
「え」
おコトが家に来てから、怠け者一直線だった窓霊が自ら客を出迎える。それは、おコトにとってかなりの衝撃であり、玄関まで行こうとした窓霊がそんなおコトの表情をみて、思わず足を止めてしまう程だった。
「あのね、おコトちゃん。私だってそれぐらいするわよ」
自分がどう見られていたか客観的に理解できてしまい、思ったより評価が悪そうな事実に、弁解をせずにはいられなかった窓霊。
「あ、いえ。分かっています。インターホンより先に反応されたので、ちょっとびっくりしただけです」
その言葉を素直に受け止めるか、優しい嘘だと解釈するかで窓霊は一瞬悩んだが、もう一度鳴ったインターホンに思考を中断させされ、とりあえずは目の前に集中するかと玄関へ向かう。そしておコトは、そのちょっと後ろを付いて行った。
家全体を把握できる窓霊は、家からちょっと外れた玄関前の道路もそれなりに把握出来ていたりする。普段は朝夕の獲物の通り道なだけなのだが、来客に早い段階で気付けるという利点もある。
そんなわけでインターホンが鳴らされる前に対応しようとした窓霊なのだが、ここでおコトに指示しなかった意味を、おコトは自身に対応を任せられない重要な相手であると解釈した。
窓霊の後ろを付いて行ったおコトだったが、そのまま勝手に同席するのもどうかと判断し、ちょっと離れて玄関からは見えない位置で待機することにした。大事なお客ならお茶を出すよう指示されることもあるからである。ちょっとの好奇心ももちろんあったが。
そこでドアが開き、窓霊が招き入れた相手の気配を察知して、おコトは意外な相手であることを知る。
人間なのだ。
この家に来る人間は、窓霊に釣られた獲物か、花子が連れて遊びに来る瑠美子か、回覧板を持ってくるご近所さんぐらいしか居ない。
姿は見えないのでどういった人物なのかは分からないが、かすかに聞こえてくる声から大人の男性であることが分かった。
窓霊と男性は玄関で二、三会話を交わしたかと思うと、そのまま男性は玄関を抜けて帰って行った。しかし、少ない会話の中で、かすかであるが聞き捨てならない言葉が聞こえてきたのを、おコトは聞き逃さなかった。会話全体は聞き取れなかったのに、その言葉だけ聞こえたのは、それだけインパクトが大きかったからだろう。
しかし、それにしては早く帰ったものだと思ったおコトは、思わず玄関に顔を出してしまう。
「あら、おコトちゃん。どうしたの?」
「あ、いえ。お客様ならお茶の準備が必要かなと思ったんですが……」
おコトはつい視線を玄関ドアへと向ける。
「もう帰ったわ。これを持って来ただけみたいね」
窓霊は手に持った封筒をヒラヒラしてみせる。
そこで会話は終わりとばかりに、窓霊は二階の書斎に向かった。
その後ろ姿を見送ったおコトは、先ほどの会話で聞こえてきた言葉の意味を求めて、つい二階の書斎のある方向へ視線を向けてしまった。
確かにその人間は言った。「この家は撤去される事が決まりました」と。
おコトは窓霊に事実確認をしたかったが、そもそも盗み聞きだし、窓霊は書斎に入ったきりだしと、持っていき場の無いモヤモヤが喉の辺りでウネウネしていて、つい電話で花子に吐き出してしまった。行儀の悪い行為だとは理解していても、それはそれで呑み込めなかったのは、それだけこの場所が、まだ住み始めて日の浅いおコトにとっても、大切な場所になっていたということに他ならない。
ただ、ここからがおコトが自分の迂闊さを呪う展開になる。
面白そうな話を聞かされた花子は、子供らしく「これ秘密の話ね」と周囲に言いふらした。本人は秘密を守れる相手にしか話していないつもりなのが性質が悪い。そうして集まったのが上記のメンバーだと言う事だ。
「と言うわけで、第一回、人間にどうやって思い知らせるか対策会議を始めたいと思いまごきゅごきゅごきゅごきゅ……ぷはぁげふっ」
そう言うと花子は、景気づけとばかりに目の前に置かれたジョッキ(オレンジジュース)を一気飲みして、空になったジョッキをテーブルに叩きつけるように置く。そして、見届けたほかのメンバー、口裂け女、メリー人形、テケテケも花子に倣うかのように用意された飲み物を一気飲みする。「あっつう」とティーカップから手を放し、膝に中身をぶちまけさらに悲鳴を上げた人形とかもいたりするが。
いくら気の利くおコトが用意した紅茶だといっても、一気飲みするなど想像もしていなかったのだから仕方がない。紅茶の一気飲みとかはしたないしね。
「あれ!!? シーン冒頭ってそんな雰囲気でしたっけ!!?」
ただ一人、飲み物を一気飲みしなかった協調性のない空気が読めないおコトが、花子がせっかくのパフォーマンスで盛り上げた場の勢いを、台無しにするような事をのたまう。
皆がそれぞれ持ち寄ったお菓子をテーブルに広げている中、女性の比率が高いことを見越したテケテケが、あざとく有名店のシュークリームを用意していたりするが、女性受けを狙ったそれは、狙われている事が全面に押し出されているので無視されていた。アピールは気づいた時だけ分かるぐらいのさりげなさが、多分ベストだ。多分。
しょっぱなから騒々しいことこの上ないが、此処、窓霊宅のリビングに集まった彼女らは、おコトからのSOSを受けた花子によって、窓霊宅消滅の危機に立ち向かうべく集められた勇士たちだ。
「おコトお姉ちゃん。フインキとかどうでもいいの!! 大切なのはこれからどうするかひゃふぉむぐむぐむぐ」
さっきからやけにエキサイトしている花子は、またしてもセリフの途中で口に物を含む。今度はテーブルに置いてあった、誰も手を付けていないシュークリームだ。
「ところでおコトさん。この家が人間の手によって撤去されるというのは、本当なのですか? 人間とはいい関係が築けていたと思うんですがねえ。あのお尻とか」
一見紳士なテケテケが、飲み食いに意識を持っていかれている花子の代わりに話を進める。女子高生のお尻を追っかけるのがライフワークの彼だからこそ、人間との距離感の重要性を理解しており、決して敵対しないように日々気を配ってきたのだ。ちなみに、下半身の無い彼の目線んでは、お尻が一番自然に視界に入るので、尻を追っかけるというのは比喩とは限らない。
花子はというと、シュークリームがよほど美味しかったのか、すでに三つ目だ。
「あ、それは私も気になります。まあ、最近のことはちょっと分かんないんですけど、今まで人間とはうまくやってきたと思っていたんですけどねえ。……私はうまくいきませんでしたが」
口裂け女もテケテケに同意する。ただし、本人にはかなり思うところがあるようだった。最近までちょっと外と隔離された檻の中に入っていて、自主的に出てきたばかりだ。原因を考えれば同情できなくも無くもないのだが、それでも刃傷沙汰は駄目よ。しかし、悪霊用のそういう収容施設もあるというのが恐ろしい。
残りのメリーも同意見のようだが、体にかかった紅茶の熱さで、会話に集中できない様子だ。とりあえず同意しとけばいっかぐらいの気持ちかもしれない。
「なんでしょう、こう、引っ越し先を考えた方が建設的な気もしてきました」
大切な我が家のはずなのに、人間に追い出されるのも仕方が無い気がしてくるおコトである。相談する相手を間違えたとも言えるし、悪霊とは何かと考えれば、人間と敵対するのも止む無しとも言える。ただ、口裂け女だけは悪霊とは関係ない問題だが。
「ほんな、ほふぁひへふぁへふぁお!!」
「汚い、口の中の物を飛ばさないでよ」
「あの、ちゃっとごっくんしてから話してくださいね」
「ごっくんしてとか、おコトさんは上級者ですね」
「うわさいていだ」
エキサイトしてシュークリームをまき散らしながら何か叫ぶ花子に、まき散らされたシュークリームを浴びたメリーに、そんな花子を優しく諭すおコトに、最低なテケテケとそのままのつまらない感想しか言えない口裂け女。
みんなで騒いでいると、おコトは考えてしまう。この家が撤去されるということは、今みたいな楽しい時間は、もう無いということなのだろうかと。生きていればまた会えると人は言う。死んでいる悪霊達なら寿命の時間制限がないから、人間以上にいろいろな機会に恵まれている事だろう。現におコトは数百年前に生きていた元人間だ。ここで笑い合えること自体が人間にはあり得ない巡り合わせなのだ。
改めて今後の事について意識してしまうと、ついうるっと来てしまう。涙ぐみ始めたおコトの様子に、騒いでいた周りの悪霊たちもやや神妙な表情になる。一人を除いて。
「泣かないの、おコトお姉ちゃん! そんな弱気じゃダメでしょ!!」
「花子ちゃん……」
「花子もこの家が好きなの。人間に好き勝手されたくないの。だから! 諦めちゃだめだよ、何としても人間に目に物見せて、この家を守るんだよ!」
花子が胸を張って宣言する。ソファーの上に立ち、ちょっとふらふらしながらも。だがハッキリと言う。「この家が好き」と。先程からテンションアゲアゲな花子だったが、大切な場所が害されようとしているのだ。いつも通りでいられなくても当然なのだ。
この発言におコトは泣き笑いの表情を見せ、「そうですね!」と力強く頷いてみせた。ほかの悪霊達もそれぞれの形で同意を示す。
「でも私たちでは人間側の事情が分からないわ。今まで問題無かったのに、なんで急に撤去なんて話になったのかしら」
一番重要な疑問点をメリーが再確認する。今更言われるまでもなく、皆当然のように理科出来ている問題点である。むしろ現時点では、問題点はそこにしか無いわけだが。
「たまたま聞いただけ「大丈夫! ちゃんと事情を知ってる人間を連れて来たわ」
おコトが事の発端である立ち聞きの様子を語ろうとするが、花子がそれに被せて重要な事実を口にする。花子の発言を受けて、テケテケが挙手をしながら口を開く。
「事情と言うが、そもそもおコトさんが聞いたという先輩の事情は、把握しているんですか?」
「とりあえず、そこの廊下に待たせてるから」
「入れてあげてくださいよ!」
おコトが慌ててリビングのドアを開け廊下にでると、そこでは瑠美子が棒立ちしていた。
「瑠美子さん!!?」
「こんにちは。おコトさんと、………うわっ。み、皆さんも」
リビングに入ってきた瑠美子がその場の面子を確認して、若干引く。瑠美子がすでに知り合っている窓霊、おコト、花子は見た目普通だが、下半身の無いテケテケ、そのまま口裂け女、動く人形のメリー達は姿形からして異形であるから仕方の無い事である。
そのままおコトに案内され、空いていた椅子に落ち着いた瑠美子は、出されたジュースを一飲みして、一息つく。
「花子さん、なんで瑠美子ちゃんを中に入れてあげなかったんですか?」
「え? 真打はここぞという場面で登場するもんでしょ?」
「ええ…」
絶句である。そんな理由で一人で待たされ続けた女子小学生が不憫だ。
さて、瑠美子と初対面になる奇々怪々な面々との挨拶が済み、話は本題へと入る。瑠美子が知る事情とは何なのか。そもそも女子小学生に何を期待するのか。ここに至る経緯を聞かされた瑠美子に、テケテケが話しかける。彼は女子高生を追いかけるが、女子小学生も追いかける。テケテケの怪談は小学生にも広まっているのだ。ああ、怖い。
「で、その女の子が知る、先輩の事情ってなんですか?」
「ん? 瑠美子ちゃんなら花子たちの事情を知ってるから、いちいち説明しなくてもいいでしょ」
「ああ、こっちの事情……」
確かに、人間をこの場に連れてきて説明させようにも、そもそも人間たちは悪霊などの存在を認識していない。そこから説明したところで理解出来るかも怪しい。そういう意味では瑠美子は適任なのだろうが、連れてきてどうしようというのだろうか。
「一応訊くけど、瑠美子さんは、人間が何でこの家を撤去しようとしているか知ってる?」
ソファーに座ったフランス人形が女子小学生に話しかける。動く人形というのもなかなかシュールなもので、瑠美子にとってもかなりのインパクトがあった。ちょっと怖い。
「いえ、心当たりもありません」
まあ、そうだよね。
そんな空気が場を支配する。誰も端から小学生に期待なんてしていない。悪い意味ではなく普通にだ。連れてきた花子ですら瑠美子に期待している様子は無い。本当に何で連れてきてしまったのか。
「ただ──」
瑠美子は続ける。
「皆さんとは、これからも一緒にいたいと思います」
「…瑠美子ちゃん」
「最初はびっくりしたし、怖いこともありますけど。こうやってお話できるんだから、それで良いと思うんです」
集まって遊んだり、お茶を飲んだりするのは楽しい。
「私みたいに、明らかに人間とは違う形をしていても?」
「はい。怖いのは最初だけです。それによく見れば、とても可愛らしいお人形だと思います」
「! か、可愛いのには自信あるわ」
ビスク・ドールが頬を朱に染めて視線をそらす。眼球が動くと不気味だ。
「私なんて、男に騙されて、いろいろ貢がされたわ。口が裂けてても仲良くできるのかしら」
「え。それはちょっと、私にはわかりませんが、以前お会いしたことのある口裂け女さんは、人間とも幸せそうでしたよ」
「そうなの? なら、私の人生もまだまだ希望があるのかしら」
口裂け女が期待に胸を膨らませる。ちなみにこの二人は、過去に一度だけ面識があるのだが、瑠美子は裂けた口の印象が大きく、口裂け女は目の前の偽りの幸せしか見ていなかった為、それぞれが相手だとは思い出せなかった。
「女子高生のお尻を追いかけまわすのは、どうでしょうか?」
「それは正直、どうかと思います」
「やはり、悪霊は怖いですかね?」
「痴漢は普通に怖いです」
「……女子小学生にそういう目で見られるのも、悪くないですね」
集まって遊んだり、お茶を飲んだりするのは楽しい。そこに人間だとか悪霊だとか、何の価値が有るというのか。どんな理由で悪霊達を排するのかは分からないが、人間では無いというだけならば、それほどつまらない理由もない。それ以外に理由になりそうな事案もちらほら散見している気もするが。
「ちょっと、撤去とかもしょうがないかなって気もしてくるんですが」
「また、この流れですか!?」
さっそく軌道修正を図りかける女子小学生に、おコトが慌てて待ったをかける。自分もつい先ほど同じような結論に達したばかりなので、共感出来なくもないのだが、心の棚に放り投げることで解決した。よく考えれば、この家の撤去問題を解決してから、改めて下半身が無いのに下半身で考えている変態をどうにかすれば良いのだ。
「あの、事情ならこの家の持ち主の、あのお姉さんに訊けばいいんじゃないんですか?」
瑠美子が、何でしないのかと言わんばかりの表情で提案する。だがしかし、直接、窓霊に訊ねられないのには理由があった。
「ご主人さんは気分屋なので、あの……」
「お姉ちゃんは怒るときは怖いんだよ」
「先輩は機嫌が悪いと、すぐ何かしてくるんですよ」
「センパイは優しいから、こういう暗そうな話題は訊きづらくて」
「アイツは寂しがり屋だし、きっと堪えてると思うのよね」
窓霊と一緒に住んでいるおコトや、よく遊ぶ花子の評価が低くて、たまにしか会わない口裂け女やメリーの評価が高いという、なんとも面白い結果になってしまった。結界で撥ね返されてのそんな評価だなんて、メリーこそ優しい人形だと思う。
窓霊本人がデリケートなのか、話題がデリケートなのか、とにかく気軽に訊ねられないというのが全員の意見だった。
「……それなら、私が訊いてみましょうか? 気にはなるんですよね」
瑠美子が提案する。とりあえず誰かが窓霊に訊ねなければ、話し合いも何もないのだ。
「ほんと? あ、いや、やっぱり花子が訊こうかな。付き合いも長いし、人任せもあれだし」
「あ、じゃあ、私も一緒に、ご主人さんに訊ねます。一緒に住んでるんだから関係者ですし」
「私に訊くって、なにがよ?」
「「「「「!?」」」」」
「あ、お姉さん。こんにちは」
「はい、こんにちは瑠美子ちゃん。で、集まってたのは知ってたけど、なんの集まりなのよ、コレ?」
何となく避けていた本人に訊ねるということを、やっぱりこのままじゃ駄目だよねと重い腰を上げたところで、本人がこの場に来てしまった。
その場の全員の視線が集中するその先には、困惑顔の窓霊が一人、若干引き気味で立っていた。
「みんなで一斉に見られると、なんか怖いわね」
一人、書斎で書類仕事をこなしていた窓霊だが、当然家の中に誰が居るかは把握していた。本来ならば会話も聞こえるのだが、それをすると誰も訪ねて来なくなるだろうと思い、自重していた。そもそも盗み聞きの趣味なんて無い。
一階のリビングで友人たちが楽しそうにしているのを感じながら、二階で一人寂しく仕事をこなす自分を顧みて、さらに寂しくなるというセルフ悪循環に耐えながらも仕事を終え、今一階に降りてきたばかりだった。
「あ、そういえば、お姉さん」
「ん? 何? 瑠美子ちゃん」
「この家が撤去されるって本当ですか?」
窓霊と瑠美子を除く面々が、驚きの表情で瑠美子を見つめる。マガジンとかで!?マークが出ているシーンぐらい皆驚いている。確かに訊くってなったけど、いきなりすぎるよ。もっと流れとかあんじゃん! とかそんな感情が表情に現れていた。
「そうよ」
あっさり肯定する窓霊に、全員が驚く。訊ねた瑠美子も、まるでちょっとコンビニ行ってくると言わんばかりのトーンで返事が返ってきて、二の句が継げなくなっていた。事前に花子たちに聞かされていた事情からは想像出来ない軽さだった。
しかし、次に続く言葉で、さらに場は驚きに包まれることになる。
「耳が早いわね。お母さんにでも聞いたの?」
「え」
窓霊の言い様では、瑠美子の母親までもが窓霊宅撤去に関わっているかの様だった。