第七話 真・学校の怪談(下)
前回からの続きです。
「ねえ、瑠美子。最近さ、あの四人とよく一緒に遊んでるみたいだね?」
学校での早朝、朝の挨拶より先に親友の加奈からそんな問いかけがあった。
「あー、うん。まあ。おはよう」
「おは。で、なんでよ?」
「何でと言われても……」
そこまで考えて、そう言えば茉莉さんからは特に口止めとか言われてない事を思い出す。
「茉莉さんに、誘われたからかな?」
「あー、なんか変わったよね、あの子」
「知ってんの?」
「去年は同じクラス」
「へー、地味な子だった?」
「ん。だから、ビックリ。今の明るい茉莉ちゃんは別人みたい」
別人かもよ。とは言えない。証明する方法も無いし、明るく楽しいのがあり得ない性格だって言われるのも、ちょっとやるせないと思った。
その日の放課後は、茉莉さんが予定が有るとかで遊びに行く必要が無くなった。代わりに三人から呼び出された。場所は近くのハンバーガー屋。私のお小遣いでも余裕で駄弁れるからよく利用する。
ボックス席で、三人と対面する形で座る。二人ずつではない。
「ねえ、瑠美子は、ホントに茉莉の事は何も知らないの?」
「見たまんましか知らない」
「嘘」
「むしろ、どうして嘘だと思うの?」
三人から呼び出しがあり、話の内容はやっぱり茉莉さんについてだった。
加奈も茉莉さんは以前とは変わったと言っていたが、どんな関係であれ普段から一緒にいた三人にとっては、その変化のショックはまた特別なのだろう。以前を知っていても、話したことも無い私では想像もつかない。
だからといって、話すことも特にはないけど。
「加奈も茉莉さんが変わったって言ってたけど、三人は何でそんなに気にしてるの? 今のなにが不満なの?」
「……何でもない。どうせ言ったって信じないし」
「ふうん? 別に無理に訊かないけど」
茉莉さんの正体というか、見え隠れしている別の何かが潜んでいることを知っている私にとって、三人の言う信じられない隠し事は、言えば多分信じられることなんだろうとは思う。ただ、そこまで深入りするつもりはない。見えたからといって、何か対応が取れる訳じゃないし、この三人に何か手助けをしようとも思えないからだ。
その後の会話も特に意味はなかった。
あの三人は、茉莉さんが変わったことについて、何か心当たりあるようだったが、それは誰かに話す事が出来ない程に荒唐無稽なものである様子だった。
そして、その日がきた。
彼女、篠田茉莉さんにとって、特別な最後の日が。
その日は、朝の会の後に体育館で全校集会があった。別に特別な事は何もない、ただの定例報告会みたいなものだ。誰が賞を取ったとか、どこそこの通学路で事故が多いとかそんな事ばかりだ。
そして最後に、七不思議の一つである校長先生のあまり長くないスピーチを聞き流し、終わりの挨拶を担当の先生が発しようとしたその時、私たちの隣のクラスから一人の女子児童が壇上に駆け上がった。
ざわつく周囲に、何事かと壇上の女の子に駆け寄る先生たち。
そして、そんな周りを気にもかけずに、壇上から全校生徒を見下ろす篠田茉莉さん。
ついに何かするつもりなのかと、緊張する私に気付いたのか、茉莉さんは私と目を合わせ、人差し指を一本立てると唇にそっと当てた。口を出すなということか。やはり、この後に何かをするのだろう。
ふと様子が気になり、三人の方へ視線を向けると明らかに困惑している。もしかしたら私以上に状況を把握していないのかもしれない。確かに三人は茉莉さんが豹変した事情は全く知らない。けど、私は四人の間にあった事情を全く知らないのだ。
この期に及んで、茉莉さんの言動が自分たちとは無関係だと思っているとも思えないけど。
私や三人以上に、先生方は困惑しているだろう。大人しめの茉莉さんには似つかわしくない大胆な行動だ。因みに、他の児童たちはあまり気にしていない。そうだろう。一人の女の子の行動にどれだけの影響力があると思うのか。私も茉莉さんと関わっていなければ、興味を示したかも怪しい。
「皆さんに、聴いて欲しいことが有ります」
突然に響く茉莉さんの声。手にはマイク類を持っていないのに異様な大きさだ。
先生方は茉莉さんの周囲で様子見しているが、あれは多分動けなくされているのだろうと思う。
児童側も騒がしかった私語がピタッと止んだ。ただ、周りに声が出ずに戸惑ってる雰囲気の人は居ないので、私の時よりかはスマートな方法で声を封じているのかもしれない。
「私は、ちょっと前まで、いじめにあっていました」
檀上の茉莉さんに目を向けると、必死の表情で訴えている様に見える。それが本心か演技かはここからでは分からない。
「いじめと言っても、痛いことはほとんど無くて、何かを買いに行かされたり、酷い悪口を言われたり、逆に無視をされたりと、ニュースとかに比べれば些細な事ばかりです」
三人の様子を窺うと、真っ青になって震えている。声も体も自由がきいていないのが外からでも分かる。まあ、同じ目にあった自分だからこそ気付いたのかもしれないが。
「私をいじめたのは、何時も一緒にいた三人の女子です。────これが、証拠です」
茉莉さんが手を振り上げて、そのまま降ろすと、檀上にスクリーンが下りてきて映像が映し出される。アレは映写機が必要なタイプだから、冷静に考えるとどこから映してるんだってなりそうだけど。
映っている映像は、三人が茉莉さんに無理難題を押し付けて笑っている場面ばかりだ。最初は隠した私物を探させているぐらいだが、段々エスカレートしていき、後半では万引きなどの犯罪をさせようとしている。でも茉莉さんは犯罪行為は泣きながら断っている。最後の一線を越えないように頑張っているが、三人への懇願の仕方を見ていると、他にやりようが有るのではとも思えてくる。
ただ、これは加奈に言わせると、私が強いからだそうだ。あまり分かりたくない理屈だ。
あんなのが毎日続くなんて想像もしたくない。誰が撮ったのか気になるけど、多分考えたら負けな部類だ、あれ。
どんどん流れていく、茉莉さん曰くニュースより些細ないじめ現場の証拠映像。
さすがに周囲のざわめきも大きく――――ざわめき?
声を封じられていた筈なのに、周囲ではあちこちで映像に付いての私語が目立つ。その割には不自然に声量が小さいから、これも茉莉さんの仕業なのだろう。三人の顔色もどんどん悪くなっていくから、ざわめきをある程度さそって、事態を大きく見せようとしてるのかもしれない。無言のまま映像が流れるよりからは、当事者への影響は大きいだろう。
「見て頂いたように、一つ一つは些細な事ですが、私にとってそれは」
檀上の茉莉さんの表情は変わらない。必死ではあるが、何を考えているのか分からない。
「自殺、を、考えるほどの、恐怖、でした」
茉莉さんの声が揺れる。
自殺。
その単語の影響は絶大だ。児童はみんな、茉莉さんの話に聞き入っている。
だが、三人の様子がおかしい。自分たちのせいで死を意識した人がいると、当人から聞かされて平常心を保てる人もそう居ないと思うが、それとは違う。
あの三人の怯え方は異常だ。その視線は、まるで幽霊でも見ているかのように檀上の茉莉さんへと注がれている。
幽霊か、最初に茉莉さんと会った時を思い出す。自殺と幽霊。嫌な予感しかしない。
「でも、」
茉莉さんの声が一段高くなる。声に張りが出て、顔は毅然と前を向いている。
「色々あったけど、今は仲よく遊んでいます」
これは嘘だ。三人と茉莉ちゃんは最後まで馴染むことは無かった。初日に比べればましかもしれないが、笑い合うことも、冗談を言い合うことも無かった。
「だから、彼女たちを責めないでほしいのです」
気持ちが悪い。
茉莉さんの言い分は気が狂ってる。
三人を許し、責めるなと言うならば、あのいじめの映像を公開する必要は無かった。
むしろ、何もする必要は無いのだ。
今まで問題になっていない事柄を公にして、ケジメを着けさせることも無く、挙げ句の果てに、私たちには気にするなと言う。
何のために?
「私は、三人を許します」
誰のために?
周囲の困惑もどんどん大きくなっていく。本来ならば三人は非難される流れなのかもしれないが、目の前で被害者が許せと言うのだ。感情をかき回しておきながら、どこに持っていかせるつもりなのだろうか。
「今まで、いろいろ大変な事ばかりでしたが、卒業まであと少し、みんなで笑って卒業したいと思います」
檀上の茉莉さんの姿をした何かが、卒業生の心情を代弁する。確かに言う通りだが、得体のしれない奴には言われたくなかった。
そもそもこんな事をしておいて、笑顔で卒業出来るのだろうか。
茉莉さんは最後に一礼すると、檀上から降りて集まってきた先生方と一緒に体育館を出ていった。これから事情を訊かれるのだろうと思う。
そして、残った体育館では、クラスメイトの三人が周りからあまり良くない視線を向けられている。責めるなと言われはしたが、ハイそうですかと済ませれるような、可愛げのある映像ではなかった。三人は居心地が悪いのだろう、茉莉さんが居なくなってから、体育館を出ていった。
その後は少し落ち着いた頃を見計らって、先生方は児童を順次教室に返していった。教室まで帰る途中に、加奈に何か知らないか訊かれたが、もちろんなにも知らないのでそのまま答えた。
その日は通常通りの授業が行われた。クラスメイトの三人は体育館からそのまま学校をさぼり、篠田茉莉さんは先生に言われて早退した。
そしてそのまま姿を消した。
茉莉さんのいじめ暴露の次の日、三人と茉莉さんは休んだ。この時はみんな当然だろうと思っていた。昨日あったことを考えれば、次の日に登校してこなくても不思議ではないからだ。私は最近あの四人と一緒にいる事が多かったので、友人や先生に事情を訊かれたが、やはり知りませんとしか言えなかった。幸い、それまではほとんど接点が無かったから、あまり深く訊かれることも無く、解放された。
その次の日、三人は登校してきた。
周りの対応は酷かった。全員が露骨に避けるのだ。先生ですら対応に困っていた。なにせ被害者が事態を公にしてすぐ許したから、三人への感情を持て余しているのだ。そんなもの無視して罵る人も居なくはなかったが、関係ないの一言で黙らせていた。事実関係ないのだ。許された相手を追い詰める正当性は誰にも無い。
これが本当に許しなのかは疑わしいけど。
さらに次の日、篠田茉莉さんの両親が学校に来ていた。てっきり映像の件で相談でもあるのかと思っていたが、なんと私も呼び出された。
茉莉さんはあの日から家に帰って来ていないそうだ。いじめを告白した件は、全校集会の後、すぐに茉莉さんのご両親に連絡があったそうだ。ご両親は茉莉さんが帰ってきたら相談するつもりだったらしいのだが、その日は帰ってこず、次の日は心当たりを探しながら一日過ごし、今日学校にも様子を伺いに来たとの事だ。
私は、最近一緒にいる事が多かったから、何か知っていることが無いかと呼ばれたらしい。もちろん何も知らない。加奈にも三人にもそう答えた。篠田茉莉さんのご両親もそれほど期待していたわけではないらしく、簡単に話をしたらすぐに帰された。
茉莉さんは何をどう許すつもりだったのか、本当に分からない。三人は学校での居場所を無くし、ご両親は心配でやつれていて、問題を表ざたにしただけで、むしろ悪化しているようにも見える。
彼女と初めて会った時の笑顔が思い出される。
あの、人のものとは思えない笑顔。被ったお面が笑っている様な、目の奥が真っ黒なあの笑顔。あれが彼女の本性ならば、本当の篠田茉莉さんは─────
私は、クラスに戻って、呼び出されていた経緯に興味津々なクラスメイトを「ごめん」と躱し、親友の加奈に一つの事柄を確認した。残念ながら加奈は知らなかったが、そばで聞いていた別のクラスメイトが好きなようで、詳しく教えてくれた。
思ったより簡単なその事実を胸に、私は放課後に動こうと思った。この件で、初めて自分から動こうと、本気で思った。
校舎の三階の女子トイレ、その一番奥の個室が花子さんが出ると言われている。
時間はぞろ目なら何時でも良くて、三回ノックをして、その場で2回周り、もう一回ノックをして「花子さん、遊びましょ」と声を掛けるだけ。
時間がはっきりと指定されていないのは、深夜では子供たちが試し辛いかららしいが、子供に配慮した怪談なんて初めて聞いた。まあ、確かに深夜の時間帯では、試す為のハードル自体が高くなり、花子さんと会うだけでも大変だ。
ぞろ目で放課後なら、四時四十四分か、五時五十五分ぐらいが丁度よい時間だったので、なるべく人気が少なくなる時間帯ということで、午後五時五十五分を選んだ。
外はだいぶ日が沈んできており、赤い日差しが校舎内に差し込んでいる。人気が少なく、赤色に彩られた校舎は、いつもとちょっとだけ雰囲気が違って感じられた。
さて、三階女子トイレへ到達し、一番奥の個室へ向かい、その場で教わっていた召喚の儀式を行う。最後に、
「花子さん、遊びましょ」
と、トイレに向かって声を掛けると、どこからともなく「はーあーい」と女の子の声が聞こえてきた。
そして、触れてもいないのにトイレの個室のドアが開き、中から一人に少女が出てきた。
背は一年生くらい、髪はボブカットで、白いブラウスに赤い釣りスカートと、どこからどう見てもその少女は花子さんだった。
「あれ? 瑠美子ちゃんだ。何して遊ぶの?」
その花子さんは初対面のはずなのに、かなり親し気に話しかけてきた。
「あなたが花子さん?」
目の前の少女は一瞬ポカンとした後、ハッと自分の姿を見下ろす。
少しだけ逡巡した後、ばつが悪いなあと言わんばかりの苦笑いを見せる。
「は、初めまして?」
「遅い。やっぱり茉莉さんは花子さんだったのね」
私の表情はおそらく硬いだろうと思う。今まで会っていた茉莉さんが花子さんだった事も問題だけど、それ以上に、本物の彼女の行方が気になるからだ。
「まさか、瑠美子ちゃんが来るとは思わなかったよ」
「この場所を最初に指定したのが茉莉さんだし。勝手に居無くなれば探すこともあるよ」
「探してたの?」
「もちろん。聞きたいことが有る。分かるでしょ?」
私の問いに、花子さんは無言だ。ややうつむき加減の顔からは表情が良く分からない。
ただ、「んーー」と唸りながら顎に手を当てているところから、なにかを考えているのかもしれない。
「別に大丈夫かな。そんなに悪い話じゃないし」
顔を上げた花子さんの表情はあっけらかんとしていた。少なくともこれから重い話をするようには見えないので、私はちょっとだけ安心する。
「何が知りたいの?」
何がと言われて、とっさに頭の中を整理する。まず必要なのは、茉莉さんの所在かな。
「本物の篠田茉莉さんはどうなったの?」
「死んだよ」
「………は?」
「だから、もう死んでるって。瑠美子ちゃんが茉莉に変身した私に会う前の前の日かな、この学校の屋上から飛び降り? いや、突き落とされてかな?」
「え?ちょ、ちょっと待って。茉莉さんは死んでるの?」
「そうだってば」
予想していた筈なのに、花子さんの軽い雰囲気に釣られてしまった。いや、私が人の死に慣れてるわけない。普通にショックなのか。
ほとんど話したことも無い、それでもこの一週間で距離が縮まったと思っていた相手がもういない。あ、縮まったのも花子さんなのか。駄目だ、心の整理は後に回そう。胸のドキドキが止まらないけど、なんとか話は続けなければ。
「死んだのが、私と話す二日前?」
「そうだよ」
「何で死んだの?」
「学校の屋上から落ちて」
「え?」
「えっとねえ、あの三人に突き落とされたっていうか、冗談で落とされそうになった時に自分から落ちたっていうか。んん、多分、自殺かな?」
「……あの三人は、茉莉さんが屋上から落ちたのを知っていたの?」
「知ってたっていうか、落とした本人たちだから。まあ、茉莉がそれを利用したんだけどね。三人もまさか落ちるとは思って無かった筈だよ」
「茉莉さんは、死にたかったの?」
「そうみたいだね。理由は知らない。聞いてない」
「じゃあ、花子さんは何に関わっているの?」
「茉莉に頼まれたの。五時五十五分に三回ノックされて、死ぬ前に茉莉と遊ぼうって」
「遊び?」
「そ、遊び、花子さんは遊びが大好きだから」
「それは、放課後に遊んだ事?」
「半分正解。花子が茉莉に誘われた遊びは、真似っこ。一週間、ずっと茉莉の真似をするの。完璧だったでしょ? 茉莉が茉莉じゃないって気づいたのは、今此処に居る瑠美子だけだよ」
「……この前の集会の演説は?」
「あれはお願い。茉莉からお願いされたの。三人のやったことを全部明らかにして、そして許してあげたいからって」
「ゆるし」
「うん、そう言ったでしょ? この前も」
もう理解が追い付かない。腰が抜けて崩れ落ちそうになるが、そう言えばここがトイレだったと何とか踏ん張る。そのまま壁に背を預けて、割と下らないことを考えてるなあと、自分の思考を客観視してしまう。
現実逃避ってこういうのなのかもしれない。
理解できない現実を前に、現実を逃避することを理解してしまうなんて、小学生には荷が重い。
言葉は分かっても、意味が分からない。落ち着いて考えたいと思うけど、一つだけ確かな事がある。
もう終わってしまった事なんだろう。茉莉さんは居なくて、花子さんは花子さんに戻って、三人は居場所が無くて、私も放課後の予定が空いて。
でも、私たちの学校生活は続く。
あの三人は今後どうするのだろう。茉莉さんのご両親はどうするのだろう。
おそらく、唯一すべてを知っている私は、どうすればいいのだろう。
結局、茉莉さんの真意は分からない。あれを本当に許しだと思っていたのだろうか。何故、自殺してしまったのだろうか。
ああ、頭が痛い。帰ってゆっくり眠ってしまいたい。なんで私がここまで頭を悩ませなければならないのか。
「茉莉さんもあなたも居ない。三人は許されたとか言うし、これで全部終わりなのね」
私がそう問いかけると、目の前の幼女は笑った。その笑顔を肯定として受け取った私は、「そう」とだけ小さく頷き返し、さよならを言ってその場を離れた。
あまりの出来事、事実に眩暈を覚えていた私が、あれほど警戒していた彼女の笑顔に騙された事を理解するのは、ずっとずっと先の事だ。
***
その少女はいじめられていた。
殴られたとか、クラス中から無視されたとか、そんなニュースで見るような酷いことはされなかったが、それでも少女はいじめられていた。少なくとも本人はそう自覚していた。
色々な命令をされた。お小遣いも使わされた。それでも、本当に嫌なことは土下座してでも断っていた。でも、土下座がどんな意味なのかは、そのうち忘れた。
少女の心は強かった。
両親には黙っていた。心配を掛けたくないからだ。
教師には黙っていた。信用が出来ないからだ。
友達には黙っていた。弱者と見られるのが嫌だからだ。
少女の心は強かった。
だから、彼女は人生を諦めた。
少女は今世に見切りをつけた。もう生きていても仕方がない。十分生きた。
でも、大人しく退場するつもりはない。少女は別に優しい女の子ではない。
そんな少女が、あんな幼女に出会ったのは、どんな偶然だったのか。
少女がそのトイレを使っていたのは、教室から離れていたからだ。彼女の心は強かったが、無用な争いは避ける賢さも持ち合わせていた。
三人自分をいじめる連中と顔を合わせる事がないそのトイレで、ふとした時に思い出した噂。たまたま、時間がちょうど良かったこともある。記憶の通りに儀式をしてノックをすると、その三階の女子トイレの一番奥の個室から返事が有った。
そこから出てきた幼女とその少女は、仲良くなった。人ではない幼女と、もうすぐ人を止める少女は気が合った。
だから幼女は提案した、お礼に何か出来ることは無いかと。
だから少女は提案した、死ぬ前に伝えたい思いがあると。
幼女はそんな彼女の願いを、快く引き受けてくれた。多少難しいところもあるようで、少女は、死後に地獄へ行くことを約束させられた。でも大丈夫。少女はすぐに生まれ変わる。そこまでが少女の願いだからだ。
少女は復讐する。
「私をいじめた奴らと、仲良く遊んで、友達になって、そして最後に全部ばらして、笑って許してやって欲しい」
「全部を明らかにしたうえで、誰も責めさせないで欲しい」
「そうすれば奴らは苦しむ。どうしようもない環境に、状況に、許されたのに、許されていないその罪に」
「そうすれば奴らは忘れない。私の事を、私にした事を、私にされた事を。もう居ないのに、いる筈のない私を」
「でも、もしかしたら奴らは忘れる」
「大した事のない、子供の頃の記憶なんだから」
「だから、一番最初に忘れた奴の」
「その子供として」
「生まれ変わらせてほしい」
「出来るのならば、私はなんでもする」
「出来るのならば、私は地獄にでも行く」
少女は復讐する。
少女の心は強かった。
だから、最後まで諦めない。諦めずに復讐するのだ。
でも、少女は知らない。
彼女の両親の思いと、苦悩と、後悔と、絶望を。
そして人は結局、いろいろな事を忘れるのだという事を。
彼女の事は残らない。三人にも、クラスメイトにも、友人にも。
彼女は途中で居無くなったから、卒業文集にも残らない。
扱いに困って話題に出さずにいたら、そのまま話題に上らなくなっただけだ。
そして彼女は生まれ変わり、絶望する。
前世の自分の痕跡の無い、この世界に。
名を明かし、驚愕より先に困惑する、自分の今世の親に。
名を明かすのを、年頃に成長するまで待ったのに、奴らは自分の事を覚えていなかった。驚愕したのは、愛娘が変なことを言い出したからだ。心配された元少女は、怒りの余り、台所の包丁で自分の「今の親」を刺した。
「────────────!!!」
何度も、何度も、何度も、刺した。