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第二話 空き家対策特別措置法と色恋事情

 何の変哲も無いその町に、何の変哲も無いそこそこ大きな一軒家があった。二階建ての5LDK、駐車場有、庭有。

 その変哲のない町の中央には、南北に伸びる線路があり、中央やや南に駅がある。線路を境に西側を商業地域、東側を住宅街が占めており、町の北から北西にかけて地元でも遠足でよく登る標高のやや低い山が、反対側の東の端には自動車道が通っている。ちなみに自動車道にインターは無い。

 商業地区はアーケード街と少量の大型スーパーが存在するが、近隣に郊外型ショッピングモールが出来て、存続の危機に晒されている。

 住宅街は駅に近い旧市街地と、やや離れた新興住宅地に分かれていて、その境目に中高一貫校がデデンと存在感を醸し出している。

 そして、そのそこそこ大きな一軒家は、住宅街の駅に近い旧市街地の中にあった。


 そんなやっぱり何の変哲も無い町だが、昨今は一つの噂が住民の間に広がっている。

 家にいると、誰かに見られているというのだ。


 部屋で勉強をしていると、入り口から視線を感じると高校生が。

 お風呂に入っていると、換気用の小窓から視線を感じると小学生が。

 夜に布団に入って眠ろうとしていると、襖の隙間から視線を感じると老人が。

 昼間テレビを見ながらアイロンをかけていると、窓の外から視線を感じると主婦が。

 野球のピッチングの練習をしていると、近くの木の陰から視線を感じると高校生が。


 襖の隙間から。

 障子の隙間から。

 カーテンの隙間から。 

 家具と家具の隙間から。


 見られていると感じて振り返っても、当然誰もいない。それが一回や二回では済まないのだ。人々は恐怖した。実害は特にないが、その見られているという圧迫感は日に日に精神を削っていく。

 という噂だ。

 あくまでも噂なのだ。

 例えば、学校などで話題に上がれば心当たりは無くても、とりあえず乗っとく学生も多い。噂自体が気のせいで終わってしまう程度の内容なので、真偽の判定が出来ないから言った者勝ちなのだ。「見られている気がする」の一言だけで噂の当事者で話題の中心だ。

 だが、一旦噂を耳にすれば、意識に上らせれば、本当は何もなくても見られている様な気がしだすものである。シャンプー中とか特に。

 そして、同じように噂は広がり、別のどこかで真実のように語りだされる。

 それこそが噂だ。

 さらに、噂は悪霊が誕生する土壌であり、怪談へと変化する基礎である。そうなってくると、もう噂は噂では無く事実となり、今まで何も居なかったその家に、新たな悪霊、どこでも覗き霊が爆誕するのだ。

 ちなみに、冒頭に出ていた5LDKの家、つまり窓霊(まどれい)の自宅は今回の噂とは特に関係はない。


 その噂の元締めになっているのが、窓から覗く霊だ。どこでも覗き霊は、窓霊のもう一つの職業なのだ。

 人間があたふたしながら、視線を感じ続けている間のソワソワした雰囲気から発せられる何かを、吸収し続けるのだ。何かが何かは、よく解っていない。とりあえず、食べたらおなか一杯になるのは間違いないから、それで充分なのだ。幽霊に栄養学とか無いから。

 童貞の一本釣りに比べれば、一人当たりのエネルギー単価の少ない覗かれ被害者たちだが、どんな人間でもわりと簡単に暗示にかかり、一度かかると抜け出せない上に、ほっといても勝手に被害者が増えていくという特性で、窓霊さんの主栄養源の一端を担っていた。童貞を窓からフィッシュしなくても、窓霊は自分の食べる分はちゃんと確保出来るように頑張っているのだ。

 あっちこっちで中から外から覗きまくりの窓霊だが、彼女も花子さん同様に同次元同時間異位体同存在だ。どの窓霊さんも、それも私だ。と言うことになる。

 家が本体なのに、同時に複数存在するとはどういう事かと言うと、花子もそうなのだが、一応、大元の本体と呼べる個体は存在する。

 悪霊としての仕事は全個体がえっちら頑張っているが、個性を持って自由意志で日々を満喫しているのは基本的に本体の一個体だけであり、それが一軒家を本体とした作中の窓霊であり、ちょくちょく電話を掛けてくる花子である。



 人は死角を恐れる。見えないんだから怖いのは当たり前の話なのだが、だからこそ、そこに居もしない何かの存在を想像してしまう。当てはめてしまう。

 だからこそ、幻の視線を誕生させるのだ。臆病ですね。

 ちなにみ、作者はカーテンの隙間とかすごい怖い。夜寝る時に隙間があると絶対閉める。隙間から目だけが見えているのを勝手に想像してしまうのだ。



 窓から覗く霊の朝は早い。霊なのに早起きってどういう事だよとお思いかもしれないが、彼女の獲物は通勤や登校途中の清い男性である。幽霊は夜出るものと相場が決まっているとかは無い。

 そして、窓から覗く霊の昼は忙しい。

 朝の身だしなみと立てポップを設置したら、仕事が待っているのだ。

 当たり前の話なのだが、窓霊が住んでいる家は空き家ではない。ちゃんと日本国憲法に則って、窓霊が偽造身分で購入している。空き家対策特別措置法が、空き家の存在を許さないのだ。

 この法律のせいで、全国の出ると噂の空き家は対策を求められた。


 悪霊達が住み着いた空き家物件は、色々な噂の発生源になった。前述した様に、噂から発生する悪霊も多々いる訳だが、噂は人間達の恐怖心とかを煽り、噂されればされるほど悪霊達の栄養源にもなる。どこでも覗き霊もそう言った噂の活用例だ。

 しかし、当然噂の中心になる場所は良いイメージは持たれず、結果、悪霊が住み着いた空き家は不人気物件となってしまった。幽霊出るけど借りるか買うかする?となれば当然に返事はNOだろう。そして扱いに困った空き家は取り壊される可能性が高い。そこで、これはマズいと大家と悪霊が手を組んだ。

 海外では悪霊でるよと宣伝すれば、そっち方面の方々が喜んで買っていくそうで、幽霊を売りにしたホテル等もあちこちにある。

 閑話休題、大家的には悪霊に出て行ってもらうのがベストなのだが、すでに噂が定着してしまった以上、次の店子が見つかるか怪しかった。そうなって来ると、不本意な形でも取り壊しが選択肢に上る。

 悪霊はそもそも出て行きたくない。

 両者の利害が一致した。

 悪霊は大家から、中古価格と取り壊し費用の真ん中ぐらいの金額で、空き家を購入したのだ。全国でほぼ同時に一部の空き家が売られていった。空き家対策特別措置法対策による一時的な需要の増加だと言われているが、まあ、ある意味正しい。

 幾人かの大家は、購入した悪霊の素性を把握しておらず、普通に売買した。

 幾人かの大家は、購入した悪霊の正体を把握しており、戸籍や購入資金について、考えるのを辞めた。世の中、知らない方が良い事もある。

 余談だが、購入しただけでは相変わらず空き家なので、悪霊達はご近所付き合いを始めた。裏の顔という奴だ。言うまでもないが、表の顔が悪霊だ。


 完全に私見だが、賃貸物件として正しく管理されている空き家は、空き家対策特別措置法の対象外な気もする。結果的に悪霊、人間の双方が納得しているとは言え、違和感が残る気もしないでもない。


 窓霊は他にも、電気ガス水道も契約している。固定電話は通していないが、ネットもケーブルテレビも携帯電話も契約済みだ。もちろんすべて窓霊の偽名名義だ。

 悪霊だからといって司法も何も無いという訳ではない。法治国家の日本では無法は通用しない。悪霊にとって、暮らし辛い世の中になったものだ。

 悪霊に人権は無い。国家が身分を保証することはない。法律は残酷なのだ。しかし、人間のフリをしていれば、法は悪霊も守ってくれる。窓霊も日本の法で、必要な範囲は素直に従っている。最近はネットのお陰で、家に居ながら役所の手続きとかも出来るので非常に便利だ。ちなみに、日本の法で、必要で無い範囲は従っていない。いいとこ取りだ。悪霊にとって、暮らし易い世の中になったものだ。

 学校の怪談一味は、学校の敷地内で特定の場所か、あるいは備品に成りすますので、住まいに困ったことが無いらしい。なんて妬ましい。

 空き家対策特別措置法はともかく、上記の様な事情により、窓霊は日本銀行券を稼ぐ必要がある。支払いは多い。家は一括だったが、光熱費や通信費、税金や町内会費。

 家具家電は窓霊の能力で精製出来るが、消耗品はそうはいかない。つまり、茶葉や茶菓子、そのた嗜好品等だ。さらに、趣味にもお金を使う。毎月末の金曜日は趣味で購入した通販が届く日だ。

 昨今の幽霊生活もお金が掛かる。窓霊の様に定住していなければ、他にやりようもあるらしいが、家から出られない窓霊には関係のない話だ。


 だーいぶ話がそれたが、窓霊は、昼間は在宅で仕事をしてる。簡単な内職などだが、材料を家の中に持ち込んでしまえば、すでに窓霊の能力影響範囲内だ。後は念じるだけで、材料が自動的に完成品へと変形合体していく。そのペースは同僚のなかでもトリプルスコアで不動の一位を築くほどだ。仕事の成果に問題が無ければ、出来高払いである以上、不正を疑われることもない。余裕っち! とはまさにこの事。

 他にもアフィやネトオクでちょいちょい小銭を稼いでいる。知り合いの幽霊が墓地マイホームから持ってきた骨董品に高値が付いたこともあった。後日、似たような品がなんでも鑑■団で驚きの高額鑑定になっていたが、似ていただけだろう。

 さらに、以前ある法律が施行された時に、空き家に住み着いていた全国の悪霊達から相談を受けたことがあった。その際に人間のフリをして大家から空き家を買い取ればいいとアドバイスし、相談料を何割か受け取ったりもしていた。面倒見が良いのも窓霊のチャームポイントだ。あえてお金を取ることで、相談してきた悪霊が遠慮しないように配慮したのだ。マーベラス。

 人間への商売も忘れない。不人気賃貸物件を抱えた大家に、人間のフリをした悪霊達を紹介し、紹介料を取っていた時期もある。悪霊でありながら、人間社会への理解が深いのも、窓霊の博識さを窺わせるエピソードだ。

 というように、窓から覗く霊の昼間は割と忙しい。



***



 太陽が西の空に沈む直前、世界を赤に染める逢魔が時、子供たちは学校から、公園から、友人宅から帰宅する。巣へ帰るのだろうか、空には蝙蝠の群れが飛び交い、車道は帰宅する車で溢れかえる。

 各家庭からは夕餉の支度の匂いが漂ってきて、何処かから聞こえるラッパの音は、豆腐売りだろうか。他方では、セーラー服を着た女学生が友人達と談笑しながらバスを待っている。遠く学校の校庭からは運動部の掛け声も聞こえる。

 そこには、独特のノスタルジックな雰囲気を感じさせる世界が広がっていた。

 あと数十分で太陽は山の向こうに隠れ、辺りは夜の時間帯になる。短い時間だからこそ、この夕方は魅力的なのかもしれない。

 その日も瑠美子(十二歳。趣味はリリアン、好きな勉強は社会)は、小学校の校庭で友人達と竹馬や一輪車で遊び、門限ギリギリに家に帰ろうとしていた。

 学校から自宅へは、指定された通学路を使うのが一番安全だ。多少遠回りになっても、児童たちの安全を確保できるようになっており、通学路の要所では、児童たちの駆け込み場所も協力者と共に確保されていた。

 しかし瑠美子は急いでいた。

 そもそも、ちゃっかりギリギリまで遊んでいたのだ。急ぐのは予定通りであり、そのための退路も確保している。

自宅と学校をほぼ真っ直ぐ繋ぐ道があるのだ。ただ、民家や人気が少ないことから、遅い時間に子供が通ることは推奨されなかった。

 瑠美子は油断していた。最上級生になった事から、大人に成ったと勘違いしていた。妹が生まれたことも大きかった。

 辺りを赤く照らす夕日の中、瑠美子は家路を走っていた。だからなのか、気付いた時にはもう手遅れだった。すぐ目の前にソイツがいたのだ。顔下半分を覆う大きなマスクを付けた、背の高い女性が。

 ソイツは腰までの黒髪を垂らし、冬でも無いのに赤のロングコートを着ていた。いや、そのコートは赤いが白くも見える。夕日の影響で赤く見えてしまっただけなのだろうか。赤なのか白なのか判別がつかない。面倒くさいので間を取ってピンクでいこう。

 その女は、冬でも無いのにピンクのロングコートを着ていた。目が痛い。あのピンクはさすがに無いんじゃないだろうか。センスを疑わずにはいられない。瑠美子だってドピンクは3年生で卒業した。本当に目が痛い。

 その女は、左肩にバックを掛け、右手で同伴の男性の肘を掴んでいた。何だカップルか。

 瑠美子はピンクの無さに辟易しながらも、ついカップルの会話に耳を傾けてしまった。


「ねえ、私、キレイ~?」

「……え?」

「ね~えぇ、私ぃ、キレイ~?」

「なに言わせようとしてんだよ? 恥ずかしいだろー。」

「でも、聞きたいの~! ねぇ、わたしぃ、キレイ~?」

「…………きれいだよ」

「! ホント~?」

「ホントだって。何度も言わせんな!」

「照れちゃって可愛い! …………これでも~?」


 そう言って、女がマスクを取ると、その下からは耳まで裂けた、大きな口が出てきた。


「……それでも、愛してるよ」


 男はそう呟くと、女の裂けた口に自分の口をそっと重ねた。驚いて女が目を見開く。二人の顔が朱いのは夕日のせいだろうか。


「嬉しいっ!」


 女は満面の笑みで男の胸に飛びつき、今度は自分からキスをする。その瞳から溢れるのは、ダイヤですら霞んでしまう至高の宝石である。

 頬を伝い落ちていくかと思いきや、耳まで裂けた口に流れ込む至高の宝石。別に飲むわけではないので、口に溜まってそのまま溢れ、顎を伝って流れ落ちる至高の宝石。口から零れるその様子では、なんかもうヨダレにしか見えない至高の宝石。

 目元の化粧が崩れてしまうのは愛嬌だが、口紅すら流す至高の宝石。もう見ていられない。

 瑠美子は目の前のカップルに声を掛けた。だってお互いが、お互いしか見てないから、口裂け女の惨状に気が付いてないんだもん。男の視線には入っている筈なんだけどね。


「あの、お節介かもしれませんが、これをどうぞ」


 女子小学生が出したのはハンカチだ。さすがにスッピンの女子小学生から、化粧の乱れをケアする道具は出てこない。


「あら? まー! ありがとう」

「あ、ごめんな。ありがとう」


 カップルは気持ちの良い笑顔で女子小学生からハンカチを受け取り、そこで口裂け女の惨状に気付き、笑いが漏れる。

 口裂け女はハンカチのお礼にと、遠慮する女子小学生にベッコウ飴を渡す。

 結局、瑠美子は門限に遅れ母親から怒られたが、あの気持ちのいいカップルに会えて良かったなと思いました。ピンクに見えていたコートも、いつの間にか赤か白に見えるようになりました。


 口裂け女、という妖怪が居る。背丈の高い女性で、顔の下半分を覆う大きなマスクをしているのが特徴だ。季節に関係なくロングコートを着用しており、その色は血が目立たない赤か、逆に返り血が際立つ白か、である。そしてマスクの下には、耳まで裂けた大きな口がある。

 彼女は放課後に現れ、マスクをしたまま通行人に尋ねるのだ。「私きれい?」と。

 否定しようものなら、怒りを買い口裂け女が隠し持っていた剃刀で口を裂かれる。

 肯定しようものなら、マスクの下の口を「これでも?」と見せられ、お前も同じ様にしてやると、やはり口を裂かれる。出会ったが最後、死を覚悟する凶悪で面倒くさい妖怪なのだ。

 だが、口裂け女はベッコウ飴が好きか嫌いなので、投げつけてやれば撃退出来る。好きなら食いつき、嫌いなら逃げていくのだ。動物か。



***



「それでですね。センパイ。相談があるんですよ」


 窓霊宅のリビングでは、二人の女性が会話とお茶を楽しんでいた。

二十畳ほどあるダイニングと続いているリビングには、中央に背丈の低いテーブル、その左右にファミリーサイズのソファーが設置されていて、それぞれに窓霊と口裂け女が向かい合う形で座っていた。

 テーブルの上にはティーカップが二つに、スナック菓子が散乱している。テレビは一応付いているが、二人とも見ていない。

 家具も家電も、ついでに食器類も高級品ばかりだが、窓霊は念じるだけで再現できる。本物を触ったことが無くても本物と同様にだ。間取りだって、外観さえいじらなければ思いのままだ。超便利。

 触ったこと無いのに、何で本物と同じって分かるんですかと、テケテケが訊いてきた時は、タンタンコロリンの刑に処した。タンタンコロリンは居ないので、その辺のオッサンで代用した。


「相談ねえ。報酬は?」


 内職が一段落し、昼のホンワカした陽気に包まれて、即席で創造した屋上テラスで、優雅に読書タイムと洒落込んでいた窓霊だったが、口裂け女の来訪で中断された。基本的に寂しがり屋の窓霊なので来客歓迎なのだが、今日はたまたま読書が興に乗っていたのだ。そのおかげで、口裂け女への対応が悪い。


「報酬、ですか?」

「そ、何をお願いするのか知らないけど、ただ働きは無しよ?」

「もちろんですよ! ちゃんと紹介料は払いますから」

「紹介? 何を紹介させる気なのよ」

「それはですね………」


 やっと本題に来たと、口裂け女はここぞとばかりに溜めを作る。

 しかし先に口を開いたのは、裂けていない方だ。


「家?」

「なんで先に言うんですか!」


 要件が分かれば、会話の細かいディテールは気にしないのが、窓霊。会話のテンポなんてどうでもよくて、とっとと会話の内容を先に進めたい。

 要件が分からなくても、その場が楽しければいいのが、口裂け女。テンポ大事、空気大事、割と聞き上手。


「あんたみたいに、外を徘徊するタイプの悪霊には、家とか要らないんじゃないの?」


 場所にこだわる悪霊については前述したが、そうで無い霊、テケテケや口裂け女などは、基本的に時間に合わせて活動範囲、あるいは出没範囲を設定する。朝ならこの道、夕方ならこの道、夜なら姿を消したりなどだ。

 口裂け女は今まで家を必要としなかった。そういう怪談じゃないからだ。だから今まで、人間達が口裂け女に遭遇しようと思ったら、町中を徘徊し、エンカウントするのを待つばかりだった。


「それはですね。え~と、彼が~」

「かれ?」


 自身は童貞釣りしかしていないので、リアルな男女交際をすっかり忘れている窓霊である。言葉の意味すら直ぐには分からなかった。

 一番最後に聞いた知人の色恋は、帰宅に必要な道具を落とし、拾った男に隠され騙され交際していた天野さんぐらいだ。ひどい話だった。

 口裂け女は、頬を赤く染めながら続ける


「彼って言うのは、私のダーリン、つまり恋人のことです。あ、恋人って言っても、もう殆ど夫婦みたいなもので、彼のご両親にも挨拶して来たんですよ。なれそめ? え~、恥かしいなあ。きっかけは、私が何時も通りに声をかけたんですよ。私キレイ?って。そこで彼がとっさに私の手を引いて抱き寄せたんです。痴漢かと剃刀を構えようとしたら、すぐ後ろをトラックが凄い速さで通り過ぎていったんですよ。もう、ビックリすると同時に彼の温もりにドキドキしちゃって。男の人の胸板って大きいんですね。それに抱きしめてくれた腕の太さになんていうか、すごい安心しちゃって。運命ってこれなんだって、ビビッて来ましたよ。その後に彼、急に抱き寄せてすみませんって謝ってくれたんですけど、顔が真っ赤で、それがまた可愛くて。あ、可愛いって言っても頼りないとかじゃ全然無いんですよ。むしろその優しさが、またドキッてしちゃって。それで、その後、お礼に近くのレストランに誘ったんですけど、彼ったら遠慮しちゃうものだから、じゃあ自販機でジュースでもってことになって。二人で公園のベンチに座って缶ジュースを飲んだんですけど、このシチュエーションがまた最高で。でも、その時はそのまま別れようとしたんです。私的には連絡先を訊きたかったんですけど、初対面で図々しいと思われるのも嫌じゃないですか。だから、最初は良いことあったなあぐらいで思い出にしようとしたんですけど、彼がもう暗いから送っていくよって言ってくれて。でもほら、私、家を持ってないじゃないですか。だからどうしようかと思ったんですけど。運命を信じて全部話してみたんですよ。口裂けの事も全部。引かれるかなって思ったんですけど、ここで押さなきゃ彼との運命も消えちゃうと思って。そしたら彼、なんて言ったと思います。何と私の事をう」


 要約するとこうだ。

 人間とデキたから同棲する。


「ねえ、口裂け女、吊り橋効果ってしってる?」

「吊り橋降下? 成人式ですか?」

「…………まあ、いいわ」


 すっかりお茶も冷め、茶菓子も食べつくし、最近は人間との付き合いが多い口裂け女に合わせて、夕食を窓霊自ら作り、食べ終わり、夕食後に小休憩を入れて、やっと窓霊が口に出来た言葉が上記のものだ。それまで口裂け女はひたすら喋っていた。喋りすぎで口が裂けたんじゃなかってぐらい喋っていた。

 今の窓霊は口裂け女の彼氏の氏名や住所、出身地や職業、家族構成に交友関係、趣味や性的嗜好!? 果ては婚姻歴まで把握していた。


「ん? その彼って、結婚してるの?」

「ハイ。奥さんとお子さんがいるらしいですよおおおおおおおおおおおおおお!!?」


 食後のお茶を優雅に楽しんでいた口裂け女は、衝撃の事実に勢いよく立ち上がる。


「歌舞伎みたいね」


 出囃子が聞こえてきそうだ。

 カップを持ち上げニルギリを一口。窓霊のマイブームは紅茶です。


「う、浮気!!!」

「というか、あんたが不倫なんじゃないの?」

「だ、騙されました!!」

「知ってたじゃん」

「なんたるちーあ!」

「サンタルチア。私らが口にしたら駄目なネタね」


 悪霊ですから。


「せ、先輩! 刃渡り六センチ以上の剃刀とかありませんか!?」

「あるわよ」

「お願いします!!」

「ほどほどにね」


 窓霊は、渡しては駄目な、剃刀的な刃物を口裂け女に渡す。正当な理由が無ければアウトだが、口裂け女が剃刀を所持するのは仕事なのでセーフだろう。どのみち悪霊には司法も何も無いのだ。但し、都合の良い場合に限る。


「じゃあ、吉報をお待ちください」


 そう言うと、口裂け女は猛ダッシュで外に駆けていった。そう言えば、口裂け女の噂の中には、足が速いとかあったとかなかったとか。どうでもいいか。


 窓霊は、リビングを片付けてからお風呂に入る。口裂け女が勝手に出て行ったので、食器などはそのままだ。食器単体だけなら消すのも簡単なのだが、食事の汚れや紅茶の飲み残しなどは消えない。消した食器をまた出すのも大変なので、洗って食器棚に入れる。

 二人が食べた料理の材料は、冷蔵庫に普通に入っていたものだ。食事は嗜好品、引きこもりの窓霊にとって貴重な娯楽なのだ。


 お風呂から上がり、今日は口裂け女の長話で疲れたからと、就寝前の読書をカットしてさっさと寝ようかと寝室に向かう。

 片付け忘れていた窓霊さんポップを収納にINし、さあ寝ようかとしたらスマホから「自由の明日」が流れてきた。着信欄には花子さんの名が。


『ホワホワッ! 花子だ!』

「どんなテンションよ」


 口裂け女の変なテンションに付き合わされていたので、花子の変なテンションがウザい。


『近々、小学校で肝試しするって話を聞いてね。花子は楽しみなの』

「へー」


 窓霊的には特に興味はない。肝試しなら、町で噂の我が家に来てくれれば、家を汚くして出迎えるのに。


『でも、危ないの駄目ってことで中止になったよ、肝試し』

「……へー」


 昨今の小学校は防犯には特に力を入れている。休日の校庭開放など論外で、放課後ですら門を閉めるのだとか。プールの周囲を目隠しで覆っていたりもする。

 そんな感じで、おどろおどろと話しが盛り上がる。


『そーいえば、最近、人体模型が半身浴にハマってるらしいの』

「半身浴? 人体模型が?」


 脳裏に浮かぶのは、テケテケの姿。確か人体模型は普通に四肢があるし、そもそもあれが半身浴なのかって話だ。


『何でもね、お姉ちゃん。内臓と皮膚ではお風呂の湯加減が違うんだって』

「……それ半身?」

『前は面倒くさいって言ってたんだけど、人間達に流行ってるって聞いて、むしろこの手間がオサレだって喜んでたよ。気持ち悪い感じで』

「人間は内臓と皮膚で、分けて風呂に入るのね」

『人体模型のね、脳みそを児童たちが無くしちゃったの』

「あれ、意味があったの?」

『無いよ』

「……そう」


 そのまま適当にお喋りして、日付の変わる前に電話を終える。明日も朝が早いのだから、しっかり睡眠を取るべきなのだ。


「そういえば、イメチェンはどうなったのかしら」


 電話越しでは姿も見えない。お互いスマホなのだし、今後はテレビ電話にしようかなと、寂しがり屋が温もりを求める。

 着替えを終えて、ベッドに潜る。そういえば、口裂け女が言っていた、彼の両親との挨拶とは何だったのか。そんなことを寝る前にふと思い出す、今日も平和な一日だった。


「おやすみなさーい」


 悪霊が平和で良いのか。


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